満州事変、戦争の時代へ

歴史の考察は将来の教訓と示唆を与えます。歴史を読み解き歴史に学ぶ必要があると考え、大正デモクラシーから昭和初期を振り返ってきました。

今から丁度百年前の1918年、大正デモクラシーを象徴する原敬はらたかし内閣が誕生[1918年(T.7)9月組閣]しました。それから、わずか12年後満州事変[1931年(S.6)9月柳条湖事件]が勃発したのです。

この満州事変から第二次世界大戦の終戦まで、13年10ヶ月も長きに亘って「戦争の時代」を迎えることになろうとは、当時誰が予想したでしょうか。満州事変こそ、悲惨な第二次世界大戦の扉を開けることとなった大事件なのです。
不戦の決意を込めて、満州事変を俯瞰してみたいと思います。

国連難民高等弁務官だった緒方貞子氏の著作の「満州事変」は、Barkeley,Univ. of Californiaで、’Defiance in Manchuria’として書かれた博士論文(1964)を加筆・翻訳したものです。(なので少々難しい本です)

また緒方自身、犬養毅を曽祖父に、当時の国際連盟代表だった芳澤健吉(後に外相)を祖父に持ち家族受難の意味を問い返し、満州事変を研究したことでしょう。

関東軍と陸軍中央と政府のせめぎ合い、国際関係の変容、背景、形成過程、事変の展開を克明に分析した優れた著書です。

他にも、満州事変と国際連盟と関わりを追って「リットン調査団」に焦点をあて、国際・外交の視点から満州事変を扱った「満州事変 世界の孤児へ(NHK取材班編)も優れた書籍です。

日本が国際連盟[1933年(S.8)10月]を脱退し、次いでドイツも脱退し国際連盟を潰しました。日本は、国際連盟を潰した責任があります。
第二次世界大戦は、軍部永田鉄山たちが予想した通り国家総力戦となり、これ以上悲惨な戦争はないほど惨禍を招きました。

満州事変が戦争の入口であったことは、いま疑う人は誰もいません。「戦争の時代への入口」となった重要な事件でありました。
そうした意味から、満州事変を歴史的史実として他と同列に考えることはできません。

満州事変を扱う書籍の多くは「なぜ戦争の時代を引き起こしたのか」を追求したものであります。
満州事変から87年、戦後73年を過ぎた現在にも通ずるものを感じます。教訓と示唆を与えられます。

まさに、尻尾しっぽ(関東軍)が犬(陸軍/政府)を振り回す事態となった、それが満州事変でした。事態はますます泥沼化し、米国を相手に太平洋戦争へと向かってしまいました。これも関東軍の石原莞爾等が予想した国家総力戦のシナリオでした。
もう満州事変の段階では、世界戦争を避ける道を見失っていたと言って過言ではないかも知れません。

この投稿は「大正デモクラシーが、なぜ戦争の時代への入口となったのか?」について一連のシリーズを締め括る最後の投稿です。これまでの関連投稿を挙げると以下の通りです。

歴史を読み解くことは大切です。そして面白いものです。

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