都市には必ず公園があります。とりわけ緑が少ない東京にも自然公園と言われる公園がいくつもあり、重要な役割を果してます。
今年4月から、ボランティア活動に加わった東京港野鳥公園も自然公園の一つです。ことし開設30年を迎えるそうであります。
以前、投稿した「東京の鎮守の森”明治神宮”」は今から百年前、荒涼とした荒地でした。学者が集まって百年の計を建てました。でも百年を経ずして、極相林となりました。自然の底力を感じさせます。
若き時に親しんだ、目黒の付属自然教育園は、明治時代陸海軍の管理地でした。その後(大正6年)宮内省の白金御料地となり、戦後は国立自然教育園として一般公開されるようになりました。今も都心の真っ只中にぽっかりと自然が息づく空間となって、大都市の中に融合しています。
昨年ラムサール条約に登録された葛西海浜公園も自然公園です。三枚洲という海が公園となっていて、99.9%が水域という珍しい公園です。
冬には、スズガモなど海のカモが2万羽も集まってきます。
東京で始めてラムサール条約に登録された自然公園です。
自然公園の生い立ちは様々ですが市民運動が中心となって初めて出来た自然公園があります。
大田市場に隣接した東京港野鳥公園です。ここは、かつて埋立地でした。
埋立地の一部が野鳥公園となるまでには、市民活動による物語がありました。
この野鳥公園の設立に関った市民の人々がいます。作家:加藤幸子もその一人です。
「鳥よ、人よ、甦れ」は著者、加藤自身が野鳥公園の設立に関っていく奮闘記をつづったものです。芥川賞受賞作家だけあって、面白く読ませていただきました。
東京港野鳥公園のある大森は、もともと広大な海苔の養殖地でした。1963(S.38)年に漁業権が、すべて放棄され、東京湾の海苔養殖は完全に終わりました。
昔の海苔養殖地はすっかり埋め立てられ、埋立地の大井第7ふ頭に様々な野鳥が集まるようになりました。その大井第7ふ頭はすべて大田市場の用地となる予定でしたが、市民運動によって一部が野鳥公園となりました。
「鳥よ、人よ、甦れ」に詳しく記述されてますがこれを読むと、いまの野鳥公園が市民の小さな声によって作りあげられていったことがよく分かります。政治や行政の発想からでは、こんな自然公園は生まれません。
歩道橋を作って遠回りさせ、結局誰も利用しなくなる施設のようでは、親しまれ価値ある自然公園にはなりません。また、鳥好きの市民活動だけでも自然公園は産まれないのです。
行政主導の公園では、遊戯施設やバラの花が植えられてしまったでしょう。加藤さんのような熱心な市民活動家がいなければ、今の野鳥公園はなかったのです。
最近(2018年3月)、野鳥公園は更に11 ha 拡張され36 haとなりました。
そして、いま東京湾野鳥公園の進む道が意識され問われ始めました。
これから果たすべき役割を、市民の目線で考える時代になったようです。加藤さんは都会と自然について、こんなことを書いています。
都会と自然、矛盾したものが溶け合ってできた都市には自然性があると閃き、都市と自然との相似を意識した。
森が自然の森であるためには、多種多様の動植物の存在がなければならない。都市が都市らしくあるためには、多種雑多な人々がいられるようでなければならないだろ。
都会の多様性は、自然の多様性にも似ているのでしょう。
日本野鳥の会の会誌「野鳥」特集号に金井裕(日本野鳥の会参与)が寄稿しています。
東京湾野鳥公園の干潟、湿地、森林の重要性は非常に大きくなっています。生物の多様性や湿地の保全・利用が大きく求められる今の社会においては、東京港や東京湾内のそのほかの湿地施設と連携しながら、里地・里海の保全と利用に関わる活動拠点の役割を果たしていくべきでしょう。
自然環境を守ることは、SDGsのうち、14番目(海の豊かさを守ろう)、15番目(陸の豊かさも守ろう)にあたります。それは自然環境を守るレベルがより高度になって来ているからでしょう。
われわれの意識も、高度成長期の昔の頃とは全く違って、自然環境への意識は高次になってきていると思います。
これからは自然保護から自然保全そして自然活用、自然利用すること、つまり自然の豊かさを楽しむ時代に入ってきたんだと思っています。