「何のため」という根本目的に立ち返りながら

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この重大な使命に加えて、「教育センター」を設立することで、日本は「国際貢献の新しい道」を開くことができましょう。

世界平和の実現の基盤となるのは、国家の利害を超えた教育次元での交流と協力です。私は、この観点から、教育権の独立を世界的規模で実現するための「教育国連」構想を、20年以上前から訴えてきました。

日本が「教育センター」の設立を通し、「教育権の独立」という潮流を世界で高めていく役割を担っていけば、「教育立国」という日本の新たなアイデンティティーを確立することにもつながっていくのではないでしょうか。

本年4月、日本が主催国となって、主要国の教育担当大臣が集い、教育問題を討議する “G 8教育サミット ” が初めて行われました。

今後は政府レベルだけでなく、教育現場に携わる人たちの幅広い交流を兼ねた「世界教育者サミット」の定期開催を、日本が積極的に支援していってはどうかと提案したい。

G8教育サミットでも確認されたように、教育に関わる問題は、もはや1国だけの問題に止まるものではありません。だからこそ、日本が国際的な協力推進の軸となって、「21世紀の教育」の新たな地平を開く先頭に立つべきと考えるのです。
続いて、昨今、スポットが当てられている学校教育の改革について、何点か述べておきたい。

近年、打ち出されている改革の柱として週5日制の導入に代表される「ゆとり」の回復を目指す「学校教育の縮小化」と、学区制の見直しや公立の中高一貫校の増設など自由化を進めるための「制度的な規制緩和」があります。

これらは、詰め込み教育の反省や学校間の自由競争を意識してのものと思われますが、十分な受け皿が考慮されないまま改革が先行すると、子どもの自助努力にすべてを任せるような制度になりかねません。

牧口会長は、理念なき自由主義が教育にもたらす影響を、「解放しただけで、建設的の工夫が伴わなければ無軌道の放縦主義に堕することは、無心なる子弟の教育経済の為に座視するに忍びない」と批判しました。この警鐘は、時代を超えて今日においても見過ごすことのできないものと思います。

「ゆとり」に対して、学校や家庭サイドに、あるいは地域社会にどのような備えがあるのか――慎重すぎるくらいの検討を加えないと、取り返しのつかない結果さえ、招きかねません。
牧口会長が「方法上の改良案は教育目的観の確立を先決問題とする」と強調していたように、たえず「何のため」という根本目的に立ち返りながら、改革の具体案を検討していく必要があるといえましょう。

何のための「ゆとり」であり、何のための「自由化」なのかが明確でないままに、改革を推し進めても、かえって悪影響を及ぼしてしまう可能性は大きいのです。

牧口会長はある意味で学校のスリム化につながる「半日学校制度」を提唱していましたが、今叫ばれているような「知育偏重」への批判に立脚したものではありませんでした。

心身のバランスのとれた成長を図るために、「学校での学習」と「社会での実体験」を同時に進展させ、ともに充実させることが望ましいとの考えに基づいていたのです。

その証拠に牧口会長は、「今の教育の病疾は知育偏重ではなくて、正当に知育をなさないのにある」「将来の教育は知育の蔑視や軽減ではなくて、あくまで知育の増進にある。その徹底的改善にあり」と述べ、学校がその課題に真剣に取り組むよう訴えていたのです。