最近(2017年3月)ニュースを見て、驚いている。否、怖ろしい。
トルコのエルドアン大統領が5日「今の行動はナチス時代と変わらないということを知るべきだ」とドイツを非難したという。どんなことがあっても言ってはならないことがある。これは禁句中の禁句だ。
ドイツとトルコ(エルドアン)は、分断したも同然となるは必至。
また、キム・ジョンナム殺害事件を巡りマレーシア政府は4日、北朝鮮大使を追放するとし国外退去を求めたという。
マレーシアは北朝鮮に対し、国交断絶を言い渡したも同然です。
釜山の日本領事館前の慰安婦像は、未だに撤去されず。駐韓日本大使が帰国して3月9日で2カ月経とうとしている。
日韓関係は、異常な事態が続いています
慰安婦問題は、日韓で視点が違っており根深い問題だが、余りに異常な事態が長く続き、国交断絶の状態に等しい情勢です。
北朝鮮は3月6日、ミサイルを同時に
4発も発射させました。
日本やアメリカ、韓国など各国から強い非難が相次いだのは当然ですが、情勢は危険水域に入ったと思います。
李克強首相の譬喩ではないが、同じレールの上を向かい合って走って来る列車のようです。チキンレースでいつ衝突するか?だれが先にボタンを押すのか? 核爆弾、核弾頭にワナワナ震える気持ちです。「黒い雨」が降らぬよう、今は祈る思いです。
ブリグジット(Brexit)から始まって、トランプ現象(Amexit)に移り、世界中に「分断」が拡散し始めました。
5月にはフランス大統領選挙で、マリーヌ・ルペンが大統領になったらどうしよう?
そして、ドイツ統一選挙でAfDのフラウケ・ペトリが勝ったらどうしよう?
何か身近に戦慄を禁じえません
我々は、戦争の世紀の20世紀から、21世紀は平和の世紀になると希望を持っていました。
21世紀の最初の10年が、孤立と分断の力に翻弄されることなく、人種や国境を超えて結びつきの絆を深め、大自然とも共生のハーモニーを奏でゆく時代となるよう祈っていたのです。
しかし、いま全く違う方向へ歩み出してしまったようです。
それも、正当な民主主義の投票によって、世界は「分断の世紀」へ変貌していくような気配を感じるのです。
先日、池田先生はSGI提言(第42回「SGIの日」記念提言”希望の暁鐘 青年の大連帯”)でこのように言ってます。
分断をもたらす排他主義や、犠牲を顧みない経済的合理性の追求に抗する、社会の楔となるものは何か—。
私は、一人一人の顔といった具体的な像をもって心に立ち現れる「友情」のような、確固たる結びつきではないかと考えます。
「私の経験では、伝統的な偏見を徐々になくしていくのは、個人的な付き合いであった。どんな宗教、国籍、あるいは人種の人とでも、その人と個人的に付き合えば、かならずその人が自分と同じ人間であることがわかるものである」(『交遊録』長谷川松治訳、社会思想社)
かつて対談した歴史家のアーノルド・J・トインビー博士の言葉です。
一人一人の対話によってしか生まれない友情の絆の中にしか、この「分断」を防ぐ方法は無いのかも知れません。
日本で「分断の時代」を招いてはなりません。我々はできる範囲で対話をするしかありません。