このモリパパのホームページは、ブログ(Blog)が中心です。
ブログは個人的Publishingですから未完成で移ろい易いものです。
「こうあるべきだ」とか「こうあらねばならない」といった、考えを拘束するものなんて何もありません。天馬空を翔ける如く、自由に書き散らしています。それでいてこれは社会的な行為なのです。モリパパ・ブログは、気になったことを取り留めもなく書き綴ってますが、次第に自分の傾向性に自ら気づくようになりました。
モリパパは、ブログを書く特徴をこんな具合に考えています。
- カテゴリー:自分でカテゴリーを意識していますが、意に反してカテゴリー(範疇)を変える必要に迫られることがあります。
- タグ:カテゴリーを縦糸とすれば、タグは横糸なんて思っていましたが上手くいかず、カテゴリーとタグの区別が曖昧です。
- リンク:Webはリンクが命でしょう。わざわざ説明しなくてもリンクを貼っておけばOKです。これが最大のメリットかも。
- 関連:プラグインまかせです、自分では忘れていた投稿を拾い集めて「これ関連あるでしょ」と注意してくれます。
- SNS:これがなかったらブログではありません。ブログがSNSに自動投稿し、良し悪しは別にして拡散してくれます。
- 検索:自分の投稿を検索することがよくあります。手軽に検索して思い出します。自分で自分に驚くことがあります。
- 閲覧状況:訪問者数と閲覧数は気になります。どんな投稿がヒットし、どんな投稿が人気ないか気になります。
ブログは、新聞や雑誌のエッセーのような静止情報ではありません。日々ダイナミックに自己と他者と向き合う、コミュニケーション・ツールです。
そして「書くことはリテラシーliteracyを磨くこと」でもあります。
ブログの書き方も「客観的かつユーモラスに、冷めた目で見た情熱が伝わるように書くこと」と「手垢のついた言葉を軽々しく使わない」ことです。
文章能力は稚拙でも、磨 斧 作 針(鉄の斧を磨いて針を作る)とかで、とにかくドンドン書きまくろうと思ってます。今畜生と思うくらいの気持ちで書けば、多少はモノになるかも知れません。
自分で言うのも何ですが「精神的雑食性」が強く、何でも興味を持って、頭を突っ込み、その雑多なこと甚だしいのであります。だからブロブの焦点も定まらず収れんしません。
世間に憚かることもなく、人に阿ねる必要もない自由な立場だからこそできることです。
ひょっとしたらセレンディピティ(serendipity)という付録もあるかも?と思いながら書いてます。思いがけない価値ある事や才能ある人に出会えるかも知れません。
ともあれ、若い人より長く生きてきた分、情熱を傾けたり、挫折したり、人を愛したり、嫌われ蔑まれたり、罠に嵌って悔やんだり隆盛の傲りも、減退の惨めさも味わい、一通りの人生を歩んできたからこそ書けることがあります。それら全てが結晶性知能を昂める栄養となっています。数学者 森毅先生の言を借りれば「老年の自立」ってところでしょうか?
定年になってから始めたら、どんなに下手でも平気です。
もうモノにせんでもええんですよ。どうせ先がそんなに長くないんだから。
“精神的な貧困”を克服するためにうまくすれば終生ブログっているかも知れません。