メンデルスゾーンの一生

Felix Mendessohn Bartholdy
Felix Mendessohn Bartholdy

Felix Mendelssohnこと、Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdyは Mozartと並ぶほどの早熟な天才児だったそうです。 Robert Schumannの1ッ上で、同じ時代に生きたんですが、その一生は余りにも違ってます。
ユダヤ上流階級(途方もない金持ち)で、知識階級で、教育熱心で、優美な家系Mendelssohnであります。
Mendelssohnの後にBartholdyと云う名をつけているのは、 存命当時から反ユダヤ主義の迫害を恐れて、キリスト教に改宗した名前を付けていたたそうです。
Mendelssohn fanny
Mendelssohn fanny

Fanny 4ッ上の姉Fanny(Fanny Cäcilie Mendelssohn-Hensel) もピアニストで作曲家でした。この二人一緒にまとめてみました。なぜか1847年、 この同じ年に二人とも短い人生を終えてしまいました。 Ferix 38才、Fanny 42才でした。

 

西暦 Felix年齢 Fanny年齢 生涯 作品
1805   0才 Fanny:Hamburgでユダヤ人上流階級に生まれる。
父AbrahamはKompagnon銀行に務め、母Leaも製造関係の名家Salomonの出であった。Salomonはバッハの次男のパトロンで、また鍵盤楽器の弟子でもあった。このためMendelssohn家には音楽が根付き、子供たちはprotestantの作法や語学教育などと並んで音楽教育を受けていた。
 
1806   1才    
1807   2才    
1808   3才    
1809 0才 4才 Felix誕生。  
1810 1才 5才    
1811 2才 6才    
1812 3才 7才 ≪1812年ロシア戦役≫  
1813 4才 8才    
1814 5才 9才    
1815 6才 10才 Felix:母からピアノを学ぶ。
≪フランス7月革命≫
 
1816 7才 11才    
1817 8才 12才 Felix:父親がParisに赴いた際に同行し、合唱団Sing Akademieの指揮者マリー・ビゴーのレッスンを受ける。父は音楽に限らずFelixの才能を伸ばそうとしていた。この年からBerlinでKarl Friedrich Zelterに作曲を学ぶ。  
1818 9才 13才    
1819 10才 14才    
1820 11才 15才    
1821 12才 16才 Felix:ツェルターの紹介でWeimarに住む72歳のGoetheを訪問して2週間ほど滞在。  
1822 13才 17才    
1823 14才 18才 Felix:大バッハのマタイ受難曲の写筆スコアを母方の祖母よりクリスマス・プレゼントとして贈られる。 ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲
1824 15才 19才   Sinfonie Nr.1 in c-Moll op.11:交響曲第1番 ハ短調 作品11  
Ouvertüre für Harmoniemusik in C-Dur :吹奏楽のための序曲 作品24
1825 16才 20才 父AbrahamはFelixをパリに連れて行き、Paris音楽院の院長Luigi Cherubiniや、フンメル、モシェレス、Gioachino Rossini、Giacomo Meyerbeerの知遇を得る。 またParisから戻り、Berlinの私邸Mendelssohn’sche Haus(現在のドイツ連邦参議院)ではGoetheの訪問や、毎日曜日に音楽室、Gartenhausでコンサートを開かれるほどであった。ある意味優雅な上流階級の暮らしぶりが窺える。 String Octet, Op.20:弦楽八重奏曲 変ホ長調 作品20 mov.1 part1 mov.1 part2 mov.2 mov.3 mov.4
1826 17才 21才 Felix:シェイクスピアの戯曲『夏の夜の夢』を題材としたEin Sommernachtstraumを作曲、Mendelssohn’sche Hausで発表した。
もとはMendelssohnが姉のFannyと楽しむためのピアノ連弾曲として書いたものであったらしいのですが、後にプロイセン王Friedrich Wilhelm Ⅳの勅命により、Op.61として劇付随音楽になってしましました。未だに演奏されており、17才で作曲したと言うんですから、たいしたモンです。
Ein Sommernachtstraum Ouvertüre Op.21:「真夏の夜の夢」序曲 Op.21 『夏の夜の夢』は演奏会用序曲(作品21)と劇付随音楽(作品61)がある。
part1 part2 ≪1843年のEin Sommernachtsträum Für Zufällige Musik Op.61を参考にして下さい≫
Trompten-Ouvertüre Op.101:トランペット序曲 Op.101
1827 18才 22才 Berlinで勉強中で、その頃公にしても良いと考えたString Quartet in A Minor Op13を作曲。 String Quartet in A Minor Op13:弦楽四重奏曲 イ短調 作品13
1828 19才 23才 元もと「海上の凪と成功した航海」は、BeethovenGoetheの2つの詩『海上の凪』と『成功した航海』に付けられた曲で、カンタータMeeresstille und glückliche Fahrtとして発表したものです。その頃はBeethoven(45才)もGoethe(66才)も生きており相互に親交がありましたが、Mendelsshonが作曲した頃は、Goetheが83才で亡くなる4年前のことで、巨匠Beethovenに習って2つの詩を演奏会用序曲Konzertouvertüreとして作曲したものだと思います。 Meeresstille und glückliche Fahrt Op.27:序曲「海上の凪と成功した航海」
1829 20才 24才 Felix:3/11,自ら監督し、Bachのマタイ受難曲の公開演奏をBach死後初めて実現させ、全ヨーロッパにおけるバッハ復興につながった。当時「世界で最も偉大なキリスト教音楽をユダヤ人が復興させた」と評され、会場に入りきれない人が千人もいたほどだった。演奏会場にはBeethovenが第9交響曲を献呈した国王Friedrich Wilhelm Ⅲや哲学者Friedrich Hegel、思想家Ernst Schleiermacher、詩人Heinrich Heineらがいた。
5月に初めてイギリスに渡ってスコットランドを旅し、後に交響曲第3番『スコットランド』の楽想となる。
Fanny:何年かの交際の後、宮廷画家のWilhelm Henselと結婚。HenselはMendelssohn家の音楽/文芸サロンに出入りし、Fannyとのなれ初めもそこだった。
 
1830 21才 25才   Sinfonie Nr.5 in D-Dur/d-Moll op.107″Reformations-Sinfonie”:交響曲第5番ニ長調(ニ短調)op.107『宗教改革』”Reformation” 1/3 2/3 3/3
Die Hebriden(Die Fingals-höhle)Op.26序曲:「フィンガルの洞窟(ヘブリディーズ諸島)」  
1831 22才 26才   Kravier Konzert Nr.1:ピアノ協奏曲第1番  
1832 23才 27才 ≪3月22日Goethe亡くなる≫ Lieder ohne Worte:無言歌集 第1巻 作品19 Op.19 N.1《甘い思い出》 Op.19 N.2《後悔》 Op.19 N.3《狩の歌》 Op.19 N.4《ないしょの話》
1833 24才 28才   Sinfonie Nr.4 in A-Dur op.90″Italienische”:交響曲第4番イ長調『イタリア』”Italian”(Paavo Järvi) 
Das Märchen von der schönen Melusine Op.32:序曲「美しいメルジーネの物語」
1834 25才 29才    
1835 26才 30才 父Abrahamが亡くなる。
Felix:Gewandhausorchester Leipzigの指揮者となる。
Lieder ohne Worte:無言歌集 第2巻 作品30 変ホ長調 Op.30 no 1《瞑想》 Op.30 no 2《安らぎもなく》 Op.30 no 3《慰め》 Op.30 no 4《さすらい人》 Op.30 no 5《小川》 Op.30 no 6『ヴェネツィアの舟歌 第2』
1836 27才 31才   Lieder ohne Worte:無言歌集 第3巻 作品38 op.38 no3《詩人の竪琴》 op.38 no4《希望》 op.38 no5《情熱》 op.38 no6『デュエット』
1837 28才 32才 Felix:Cecile Charlotte Sophie Jeanrenaudと結婚。その後5人の子供に恵まれる。 Piano Concerto No. 2 in D minor Op.40:ピアノ協奏曲第2番 ニ短調 作品40 PartⅠ PartⅡ PartⅢ
1838 29才 33才 Fanny:Pianistとしてデビューする。デビュー曲は弟FelixのKravier Konzert Nr.1であった。この頃にはFannyの作曲活動も再び活発になっている。
夫Henselは、Fannyの音楽的才能の最大の理解者であり、自作を公表/出版するようFannyに根気よく説得した。
Felix:Gewandhausorchesterのヴァイオリン奏者Ferdinand Davidために作曲するとしたViolinkonzert E-Moll op.64は、結局6年後の1844年に完成した。
 
1839 30才 34才 Felix:3/12 MendelssohnによってFranz Schubertの第8(9)交響曲がLipzigで初演された。これはRobert Schumannが楽譜を発見し、Mendelssohnに送ったもので、作曲家Franz Schubertの死から実に10年以上経ってから、初演されたことになる。Franz Schubertの音楽の復興に、Mendelssohnの寄与は大きい。 Ruy Blas Op.95:序曲「リュイ・ブラース」
1840 31才 35才 Sifonie Nr.2は、声楽付交響曲で、Mendelssohn自身が付けた原題は“交響カンタータ”だった。歌詞はMartin Lutherのドイツ語訳聖書からMendelssohn自身が選択したものらしいた。 Sinfonie Nr.2 in B-Dur op.52″Lobgesang”:交響曲第2番変ロ長調『讃歌』6/25,Lipzigで初演 1/11 2/11 3/11 4/11 5/11 6/11 7/11 8/11 9/11 10/11 11/11
1841 32才 36才 Felix:プロイセン王Friedrich Wilhelm Ⅳに招かれ、Berlinの宮廷礼拝堂楽長に就任する。  
1842 33才 37才 母が亡くなる。1829年5月Scottlandを旅した際、16小節分の楽想を書き留め、その後10年以上中断。完成までに13年かけSinfonie Nr.3を完成した。 Sinfonie Nr.3 in a-Moll Op.56,”Schottische”:交響曲第3番イ短調『スコットランド』  
1843 34才 38才 Felix:自ら奔走して設立資金を集め、Lipzig音楽院(Hochschule für Musik und Theater”Felix Mendelssohn Bartholdy”Leipzig)を開校した。また初代院長となる。作曲とピアノの教授にRobert Schumann(33才)を招聘した。
《同Hochschuleには1901年滝廉太郎(21才)が留学している》
 Ein Sommernachtsträum Für Zufällige Musik Op.61
Nr.5 intermezzo Nr.7 Nocturne
Nr.9 Wedding March結婚行進曲 :劇付随音楽『夏の夜の夢』Op.61を作曲。Op.21は劇の上演のための序曲として転用されいる。(Op.21とOp.61は別々の時期の作品)
1844 35才 39才 9/16、Violinkonzert E-Moll op.64(ヴァイオリン協奏曲 ホ短調)を全曲完成。
この曲を知らない人いませんよね?「Mendelssohnと言えばこの曲しか出てこない」感じです。 優雅で知性的なFelixの傑作です。
Violinkonzert E-Moll op.64 :ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64、1845年3/13Gewanthausにて初演 by Anne Akiko Meyers のストラデヴァリウス“ローヤルスパニッシュ”(Royal Spanish)の音色でお楽しみッ下さい。
Lieder ohne Worte:無言歌集 第5巻 Op.62 N.6《春の歌》Fruhlingslied genannt
1845 36才 40才    
1846 37才 41才 Joseph Joachim(15才)を伴ってLondonへ演奏旅行に出かける  
1847 38才 42才 Fanny:5月14日、弟Felixの≪ワルプルギスの夜≫をリハーサル中に、突如、脳卒中に倒れ、 そのまま帰らぬ人となった。
Felix:5月訪英の途上、姉ファニーの死の報に接し、悲嘆の余り神経障害を起こす。 一時回復したが11月3日には意識を失い、翌日、クモ膜下出血と思われる症状で急逝した(Lipzigにて)。 最期の言葉は「疲れたよ、ひどく疲れた」(Ich bin mude, schrecklich mude.)であった。
彼は生前には特に病弱という事もなく、登山などもしていた事、フェリックスの父アブラハムも 姉ファニーも似たように若くして突然亡くなっている事等から、何か遺伝的な要因があったのでは ないかとする説もある。
String Quartet in F Minor, Op 80:弦楽四重奏曲 第6番 ヘ短調 作品80 mvmt 1

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