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ロバート・キャパ(Robert Capa)

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

写真に興味を持つ人で、ロバート・キャパを知らない人はいないと思いますが、1930年代から1954年に没するまで、戦争の時代に生きる名もない人々を撮った報道写真家です。

ロバート・キャパRobert Capaこと本名Friedmann Endreはハンガリー生まれで決して裕福な家の生まれでなかった。世界恐慌で親の仕送りが途絶え、ドイツの写真通信社の暗室補助員として已む無く就職。それが写真家への出発になりました。

スペイン内戦日中戦争第二次世界大戦ヨーロッパ戦線第一次中東戦争、および第一次インドシナ戦争での写真の数は膨大で約7万枚もありました。喪失したもの没収されたものもあります。
写真集として弟のコーネル・キャパが選んだ937枚が写真集となっています。

戦争の生死のきわに立たされた人々のスナップは、感動的でもあり描写力もって迫ってきます。

1932.11コペンハーゲン_レオン・トロツキー

この写真は暗室補助員から、写真家へとデビューさせた写真です。キャパ20才の作品です。

パリで知り合ったゲルダ・タローと恋に落ち、その頃の幸せな一枚がこれです。

1935パリ_キャパとタロー

ゲルタ・タロー(本名Gerta Pohorylle)の企みで、米国著名な写真家「ロバートキャパ」との触れ込みはバレました。
しかし、それ以降、ロバート・キャパと名乗りフリーの写真家となりました。

では、ロバート・キャパの写真集から感動の写真を選んでみました。僭越ながら個人的なコメントの加えました、御覧ください。


1936.9.5スペイン_コルドバ戦線_崩れ落ちる兵士

崩れ落ちる兵士は、写真集の表紙を飾るほどに有名です。

こんな瞬間に遭うのも珍しいが、当時のカメラで、この瞬間を撮るのはかなり難しかったでしょう。

 


1937.2スペイン_アルメリア_マラガからの避難民

1937年7月スペイン内戦で、写真家ゲルタ・タローは戦車に轢かれて亡くなりました。

キャパとタローは、たった4年の付き合いで終わりました。

この悲しみの写真の裏に、そんなでき事があったのです。

この写真に写る少女の眼差しが印象に残ります。

 

 


1937.5.1パリ_メーデーの祝祭

キャパの写真には、爺さんと子供の写真が多い。絵になります。

主題がどちらか判らないが、戦禍のなかで一時休憩のような、日差しが差し込んでいるような、パリのメーデーの光景です。

この後、悲惨な世界大戦(ヨーロッパ戦線)がパリを襲います。

 

 


1938.3中国_漢口

老婆の気品を伝える見事な写真です。爺さんや婆さんを映す時はいまもモノクローム(白黒)がとてもいい雰囲気を出します。


1938.7中国広州近郊_孤児院にて

この笑顔を見たらもう忘れることができない。

日中戦争の戦禍に比例して命輝く笑顔があるのでしょうか?
忘れ得ぬ印象です。

 


1938.10バルセロナ_義勇兵

義勇兵の男の顔です。真剣な眼差しが語っています。

頭上部がはみ出た構図です。こんな構図をキャパはよく使います。だから迫力ある写真が生まれる。

 


1939.1バルセロナ_市外へ避難する前にピエロの芸を見る子供たち

子供たちの命の煌き輝いている。身を乗り出して見つめる姿には歓喜と勇気が湧き起こっているようです。スペイン内戦の戦禍のなかのバルセロナ、明日は疎開する子供たちです。


キャパの写真には子供たちを撮った写真が多い。これも子供たちの表情が際立っています。ツール・ド・フランスに夢中です。


1940 アーネスト・ヘミングウェイ_アイダホ州サンバレー

キャパはアメリカでヘミングウェイの取材をしています。

書斎の様子でしょうか、この構図も頭の上部がはみ出ています。何気ないポートレイトですが、迫るものがあります。

 


1940.12イリノイ州カリュメット・シティー(罪の町)で飲む

禁酒の掟を破って飲みに来る客とそれを接待する女たち。

ヨーロッパは戦場と化していた頃、世界恐慌さなかのアメリカの一コマです。

男の物悲しさが印象的です。


1941.6ロンドン_出征中の息子からの手紙を読む

一歩引いて撮っている写真です。

何処か外の世界を暗示しているようです。

オブジェクトは、人物でなく写真の中央の「手紙」が主題です。

 

 


1941.6ロンドン_防空壕の中で監視官が中年女性とお茶を飲む

1940.9~1941.5にかけてドイツはイギリスに大規模な空爆を行った。
4万3千人が亡くなり、100万人が家を失った。

この防空壕に怯えた空気はない。あるのは思いやりと静けさでした。

静かに忌まわしい歴史ときが去るのを待つかのようです。


1941.10アイダホ州サンヴァレー_アーネストヘミングウェーと息子のグレゴリー

今回のヘミングウェイは穏やかのある日を思い起こすような写真です。

ここでもキャパは、老人と子供の取り合わせを選びました。

これがキャパのアングルです。

 

 


「アメリカ人将校と部隊が養子にした」少女たちの間に、信頼と希望が漂っているようにみえます。


1943.7シチリア島パレルモ

戦闘の跡の瓦礫の上で、男と少女が話をしている。

これからの話しをしているのだろうか?二人の表情は明るい

全て無くなった後、それでも希望が語られている。

 


捕虜となったドイツ兵に哀愁が見事に迫ってきます。どちらも画面いっぱいに撮られているところがキャパの構図です。


イタリア激戦地カッシーノからの避難を撮っている。沈黙の中に決意が伝わってくる。瞬間のスナップはドラマの一瞬です。


1944.1.22イタリアのアンツィオ

姿見に焦点が当たってそれが主題になっています。

カッシーノ付近では4ヶ月ほど大規模な戦闘が行われた。

町は荒廃し、多くの人が命を落とした。

 


1944.1イタリアのカッシーノ_救急車運転手

彼女達は救急車の運転士だったのです。

 

激しい戦闘の合間にも黙々と目の前の仕事を、編み物をしている姿を捕らえてます。

人間の生きる強さが、この女性たちから伝わってきます。


1944.5ロンドン_アーネスト・ヘミングウェイ

何度もヘミングウェイを撮っています。

これはロンドンで事故にあったヘミングウェイです。

ヘミングウェイの眼差しが何かを語るようです。
迫力ある写真です。

 


1944.6フランスのノルマンディ_アメリカ軍警察が捕虜のドイツ・ナチス親衛隊将校の身体検査をする

ドイツ・ナチス親衛隊の将校が毅然と見えます。どちらが勝者かと思うほどです。

この写真も将校の頭上部が写真からはみ出ています。

主題を切り取るテクニックは、キャパの特有のテクニックかもしれません。

 

 


1944.7.31フランスのグランヴィル

ノルマディーの戦闘の後、捕虜になったドイツ兵、それを見に来た民衆です。

これが終戦という歴史の瞬間です。

 

 


1944.8.25パリ

戦車で鼻をほじくる少年。
ナチス占領から開放されたパリの一コマです。

この写真はパリ開放の翌日です。シャンゼリゼ通りは戦勝パレードが行われていた。キャパが切り取ったのはパレードではなく、この超然とした少年でした。

キャパにとってパリは、タローと一緒に幸せなひとときを過ごした街でした。

 


1944.8.25パリ_歓呼の声で迎えられるフランス軍部隊

パリが開放された喜びを戦車の向こうにいる女性に焦点を当て、表現しています。

(残念ながらタローではありません)

 


1944.8.26パリ

これもパリ開放の写真です。

爺さんと少年はキャパの好きなアングルでした。確かに絵になります。

爺さんはこれまでの苦渋を噛み締め、少年はどこか未来を見つめているようです。

 

 


1944.9パリ_アトリエでのパブロ・ピカソ

パブロ・ピカソのポートレイトです。

ポートレイトも上手い。

 

 

 

 


1945.3.24ドイツのヴィーゼル近郊_アメリカ軍の捕虜となったドイツ兵と民間人

ドイツではまだ敗戦となっていない時期です。

この写真は当時の日常だった。
戦争は人(民間人)をこのように扱った。

 


1945.4.18ドイツ ライプツィヒ

連合軍の兵士がドイツ兵を足蹴にしている。

この写真は出版禁止となったが、キャパは戦争とはこういったものだと言いたかったのしょう。

 


1945.4.18ドイツ ライプツィヒ_バルコニーで機関銃を構えていた若き伍長が狙撃兵に撃たれた

たまたま現場に居合わせて撮った生々しい写真です。

若き伍長は即死だった。この後に残ったのは、ただただ静寂だけです。

 

 


1946.7ハリウッド_イングリッド・バーグマン「勝利のアーチ」の一場面を撮る

アメリカに渡ったキャパが、ハリウッドで撮った写真です。

ポートレート写真の旨さが光ります。

 

 


1947.8ウクライナ

これはポートレートじゃありません。

ウクライナでは男が殆ど戦死して、残されたのは女だけ‥それをスナップ写真で撮って語りかけています。

 

 

 


1948 ブタペスト

戦後のアンマッチを映しています。

このときから8年後、ハンガリア動乱が起こるのですが、一見平和を装ったスナップとなりました。

 

 


1948.8フランスのゴルフ・ジュアン_ピカソと息子クロード

キャパの好きなテーマで、老人と子供。

キャパは、やはり老人ピカソと子供の写真を撮っています。

 

 


1949 インディアナ州

ここはアメリカ・インディアナです。それも戦勝ムードが漂う頃のアメリカです。

1939.1バルセロナ_市外へ避難する前にピエロの芸を見る子供たちの写真とは緊張感が違います。

 

 


1949.5チュニジア_枢軸国軍の敗北後チュニスの自宅に戻る住民

キャパはチュニジアに向かった。

戦闘が終わって、帰郷する列を映しています。

遠近法を使った構図が良いですね。

 


1949イスラエルのハイファ 到着したばかりの移民

炎天下、新しい祖国に到着したばかりの母と子供です。
これを家族と言えるでしょうか。母と子の二人だけです。

母のスカートにすがるように歩き続ける子供の気持ちが伝わってきます。

 


1952.7 パリ

戦前のパリが戻り始め、カフェが賑わい始めた。

何気ない風景は、パリ開放という歴史を乗り越えて得たものです。

 

 


1954.4.2焼津

キャパは毎日新聞の招聘で来日しました。ただし、日本のカメラを使用するのが条件だった。

キャパが使った日本のカメラは、ニコンSだった。

NIKON S

ここでも老人と子供をアレンジした。

 

 


1954.4焼津

キャパの好きな構図です。

老人と子供、この老人何とも渋い、いい味を出しています。

 

 


1954.5.1東京

何処だろう?皇居前広場でしょうか?

戦後、日本の雰囲気をよく掴んでいる。

何気ない平和な写真です。

 

 


1954.5.10ラオスのルアダラバン

キャパは日本からインドシナ戦線へ赴いた。

異国でも子供は無邪気です。ここの何処かで戦闘が繰り広げられていたのだろうか?

 

 

 


1954.5.23ハノイ

虚ろな視線が物語るものは何か?

何処かで戦闘がまた始まっていた。

 

 


1954.5.26ベトナムのナンディンからクイビンへ

キャパはここで地雷を踏んで亡くなった。これが最後の写真です。

ロバート・キャパ、40才でした。

 

 


もう既にお気づきだと思いますが、写真は全て年代順に並べました。つまり写真家ロバート・キャパの人生の順序です。

巨匠ロバート・キャパの写真で、モノクローム写真の勉強をさせてもらいました。

彼が使ったカメラは全て白黒フィルムの小型カメラです。今では骨董品です。今のデジカメから見ると実に使い難いカメラです。

 

 

コロナ禍と日本の精神風土

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。
WHOシニア・アドバイザー
進藤奈邦子さん

WHOの進藤奈邦子さんは日本のコロナ対応を評価している。

日本が、可能な限り普通の生活を維持しながら感染拡大を抑え込んだことは、世界で奇跡的と見られている。
世界に類を見ない人口密度と人の移動頻度・距離が大きい日本ではもっと早い段階で感染爆発が起こっていたに違いない。

日本でここまでコロナ対応できたのは、世界的に見れば素晴らしいことなのです。しかしながらこの日本でも、コロナ感染者は18,110人に及び、死亡は968人に達しました(2020.6.25現在)。

この数字、実は交通事故で亡くなる人数より少ないのです。
交番には昨日の交通事故で死んだ人数が掲載されています。交通事故では年間3000人程亡くなります。コロナで命を落とす人より多いのです。
熱中症で亡くなる方も年間1500人程度。コロナより多いのです。

コロナが爆発的に感染するとワクチンも特効薬もない現状では、何十万人の被害を与えると言われてるから怖いのです。それをこれまで日本は見事に押さえ込んできました。

もし日本がアメリカと同じ感染率、死亡率だったら、感染者は53倍の958,284人、死亡も50倍の48,503人にもなります。
日本は、よくぞここまでコロナを抑え込んだもんだと思います。

2020年6月24日時点の統計(厚生労働省)

都市ロックダウンはせずに、ほとんどの人が自粛要請を守った日本は世界的に珍しい国なのです。

ところが一方で、どうも「お上には逆らえない」「長きものにはまかれろ」といった精神風土が、いまの日本にあるような気がしてならないのです。

もともと日本は、人種に白も黒もありません。日本は阿吽あうんの呼吸が分かる単一な文化です。文化の標準偏差が狭いがゆえに良くも悪くも「察する文化」となりました。

それに、日本ほど生真面目な人種も少なくないでしょう。
遅刻することがない風土、サボることを知らない風土、守らないと最低だという風土、そんな生真面目さが「コロナの自粛」につながった一面を感じるのです。

少しれるかも知れませんが、敢えて言えば、戦前・戦中の日本は、統制に従順だったことを思い起こしてしまいます。

軍部の暴走が悪いのも確かだったし、ジャーナリズムが体制迎合して物言わなくなったのも悪いし、何よりも大衆が「非国民」と言われることに首をすくめたのです。
「お上には従順に従った」その責任も極めて重いと思うのです。

そして最後は「民意の暴走」を許してしまったのです。まるで「自粛警察」のようなことが大規模に起こって、いともたやすく戦争に突入してしまいました。

戦争は絶対反対だと叫ぶことは大事ですが、何気なく民意の暴走を許す精神的な風土を見破り、主張するべきは主張すべきだと思うのであります。

マスクを付けずに外出しろと言っているわけではありませんし、2メートル離れてなくても良いと言ってるのでもありません。
これはどうかと思えば、マスク無しでジョギングしていいし、自然公園なら外出してもいいと思うのです。
排除や分断、特に社会的な分断に敏感になって、研ぎ澄まして考えることが大切です。

今日の聖教新聞(6/26)に掲載されていた御書「頼基陳情」にある通りです。

僕らは決して流されない。自分の評価尺度を持ち、それを忘れないことが「戦争を絶対許さない」ことにつながることだと思っています。

今月(2020年7月)の大白蓮華の巻頭言に、戸田先生の立正安国論を講義で、こう呼びかけられたと載ってました。

ご本尊を、ひとたび受持した以上、個人としての成仏の問題は必ず解決する。しかし、一家のことを、一国のことを、さらに動乱の二十世紀の世界を考えた時、私は、この世から一切の不幸と悲惨をなくしたい。これを広宣流布という。
どうだ、一緒にやるか!

これが創価学会の原点です。これが好きで好きでたまらないのであります。故に、学会のメンバーとなり通してきました。

 

マイクロフォーサーズのあれこれメモ

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

マイクロフォーサーズでのアスペクト比やEXテレコンの画素数や解像度について、あれこれメモとして書き残しておきます。

アスペクト比 (アスペクト比を変更した画像について)

マイクロフォーサーズのセンサーは約17.3mm×13.0mmです。このアスペクト比は4:3になります。コンデジやビデオカメラと同じアスペクト比です。つまり映像向きのアスペクト比ですね。

一方、フルサイズのセンサーサイズは約36.0mm×24.0mmで、アスペクト比は3:2になります。昔からカメラで使われてきた、スタンダードなアスペクト比です。APS-Cも同様3:2です。
(これを開発したバルナックは不滅ですね。)

プロの勧めもあってアスペクト比を3:2に設定して撮っています。これは縦方向だけ縮めアスペクト比を3:2にする設定です。

2015万画素を上下均等にカット(トリミング)しますので、1791万画素と画素数は小さくなります。(▲11.1%減少 横幅方向は変わりません。)

アスペクト比3:2に設定しても、RAW画像は4:3のままで変わりません。現像ソフト(SILKYPIX)を使って修正することもできます。

EXテレコン (EXテレコンはPanasonic LUMIXの機能です)

Panasonic LumixのEXテレコンは、カメラ内で画像を切り出すもので、トリミングして切り出すレタッチと同じです。

クオリティ(10M)サイズで1.4倍になり、S(5M)サイズで2倍になります。「EXテレコンを使うと、画質を劣化させずに」と書いてありますが正確に言えば、画質には手を加えず画素数を縮小することになります。

元の画像は横巾5184 pxで、EXテレコンの横幅は3712 pxに減少します。カメラ内でレタッチ(トリミング)したのと同じですね。
5184÷3712=1.4倍の望遠効果が得られます。

アスペクト比を3:2にしたうえEXテレコン(M)を使うと、元々の2015万画素(5184✕3888)の画像が、920万画素(3712✕2480)に半減した画像になってしまいます。

画素数が減ってもったいない気がしますが、それでもプリントサイズとしてはまだA4版推奨レベルで余裕があります。(DPI=360)

EPSON プリントテクニック講座 より

プリントサイズ(アスペクト比)

ここでプリントサイズについて触れておきます。

アスペクト比3:4はコンデジ用のDSC版(89×119)やキャビネ版(130×180)です。

一般的なL版サイズ(89×127)やA4版(210×297)は略3:2です。

プリントサイズは時代とともに変化し様々なアスペクト比が派生しました。結局は3:2=1.5、4:3=1.333がいまの主流になりました。でもアスペクト比はプリントサイズと僅かに違っているのです。

いい写真が撮れたらプリントしたいものです。プリントを意識してアスペクト比を選ぶことになりますね。

デジタルズーム(各様のデジタルズーム)

EXテレコンを先に書いてしまいましたが、昔からデジカメは、拡大・望遠効果を出すためにデジタルズームが一般的でした。
デジタルズーム(×2 or ×4)、これはカメラ内で中央部を切り出してオリジナルと同じ画素数の画像に拡大して出力する機能です。

デジタルズームはLumixにもOlympusにもあります。カメラの画像処理によって画質が多少劣化しますが、最小限に抑える処理がなされています。しかし、LumixとOlympusでは違うようです。

Olympusではデジタルテレコンと言って”画像処理エンジンでデジタル補間、出力し被写体を約2倍の大きさに出力する”と書かれています。画像の劣化はレタッチより明らかに少ないようです。

画像の分解能が上がるわけではありませんが、明瞭な画質になるようです。確かにOlympusデジタルテレコンはなかなか良い画質ですね。

画質について(やはり王道は超望遠レンズ+テレコン)

「画素数が多い≠画質が良い」とは言うものの、画素数の減少は少しもったいない気がします。画素数は減らしたくないですね。

画質の劣化は、ISO感度を上げたり、F値を絞ったり、シャッター・スピードを上げても、ノイズが乗って画質が劣化します。
また、レンズの解像度によるところも大きく影響してきます。やっぱりカメラはレンズですかね。

野鳥を撮る場合、画質の点では「超望遠レンズ+光学テレコン」でしょう。光学での拡大・望遠が王道でしょうね。画素数も落ちないし、解像度も分解能も落ちません。

テレコンバータを使って望遠撮影をしていませんが「超望遠レンズ+テレコン」でも画質、解像度の良し悪しがあるんでしょうかね。

OM-D E-M1 Mark II に M.ZUIKO DIGITAL ED 300mm F4.0 IS PROとM.ZUIKO DIGITAL 1.4x Teleconverter MC-14にドットサイト照準器 EE-1を付けたもの

プロの写真家の殆どは「超望遠レンズに光学テレコン」を使って撮影しています。

写真のレンズとテレコンだと35万円もしてしまいます。

ここまで投資すれば素晴らしい野鳥撮影ができるんでしょうね。(憧れの的です)

追記:その後、2020年9月に発売された M.ZUIKO DIGITAL ED 100-400mm F5.0-6.3が欲しくてたまらず、思い切って購入しました。参考「1600㍉相当の超々望遠レンズを購入\(^o^)/

ディスプレー(適切な解像度)

写真をプリントではなく、ディスプレーでしか見ない人も多いと思います。そこで最後にディスプレーについて一言。

昔のCRTの解像度は1024×768px (XGAと同じ)でした。今は全てFlatDisplayになりましたね。

FullHD(FHD)23㌅で1920×1080です。最近はやや大きめの27㌅で、IPSタイプのディスプレーも安くなってきました。これで充分だと思います。

通常、モニターが大きくなると解像度は高くなります。27㌅で、1920×1080程度でIPSパネルが見やすい大きさだと思います。
最近、4K TVと同じディスプレーもあるようですが、反って文字が細かく小さくなって、見え難くなってしまいます。

プロの写真家でRAW画像を編集する方はディスプレイにキャリブレーションが付いたカラーマネージメントモニターを使用しておられますが、趣味の域ではそこまで必要ないと思っています。

左はこちらで紹介されたモニターです。

<参考資料>

デジタルテレコンの解像度と親指AF

デジタルテレコンの効果 野鳥撮影で使えるのか?画質を検証してみたよ OLYMPUS OM-D E-M1 II

 

 

初夏の駒場野公園

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

今年は新型コロナ感染防止のため、4月7日より5月25日まで緊急事態宣言があり、皆さん外出自粛をしていました。

でも季節は春から初夏に移り、近くの駒場野公園ではいつもどおりバラが咲き、田植えが始まりました。初夏の季節は巡ってきました。

 

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ムクドリ

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仲がいいキジバト

キビタキ

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僅かに都内に残る自然や田植え、初夏の季節を感じる公園です。