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恵庭の夏の茂漁川、柏木川

恵庭の市内を流れる茂漁川・柏木川は清流です。清流にしか育たない梅花藻バイカモが夏になると一斉に咲きます。
恵み野中央公園の中を流れる小川にも梅花藻が咲いています。

恵み野中央公園内を流れる小川に育つ梅花藻(バイカモ)

こんな小川のほとりを散策するのも夏の楽しみです。茂漁川の川沿いは自然豊かで、緑が深い散策路です。

そして、近場の柏木川の散策路もなかなか趣があっていい。

盛夏から晩夏にかけて、鳥を見る機会は少なくなりますが、清流があるおかげで、近くの川沿いを楽しく散策できます。

空気がいい、こんな恵庭に暮らすと少し長生きするかも?

 

島松のヨサコイ

恵庭市の北に島松がある。JR島松駅から一本の道路が伸びるだけの小さな町です。ここでしままつ鳴子まつりが開催された。

札幌のYOSAKOI祭りの二番煎じではあるが、小さな小さな島松の町だからしままつ鳴子まつりは盛り上がりに盛り上がった。

そもそも札幌ヨサコイ祭りのルールは、①手に鳴子を持って踊ること②曲にソーラン節のフレーズを入れることたった2つだそうです。衣装も自由、曲まわしも自由ですから、凝りに凝って独自の振り付けで楽しみます。

こりゃ、札幌オリジナルのお祭りを超えているんじゃないかな?
耳もつんざくような大音響。踊るかたも笑顔が絶えない。青年のものすごい熱気。飛び跳ね駆け回る。掛け声をかけてパッと衣装替え。
大旗を巧みに振って走り回る。観る方もビール片手に大声援。

こりゃ北海道オリジナルのヨサコイまつりです。最後殿しんがりは北大のメンバーが躍り出た。そしてフィナレーを飾る、お馴染みの衣装を脱ぎ捨て、天高く舞い上げて、アカフンで踊りだした。

もうこりゃ大変です。北大生がアカフンで踊り狂います。小さな島松の町は大騒ぎで、若い人じゃないと出来ない狂い踊りです。
そして踊り手は誰も楽しそうに、叫び、笑い、大声をげてる。

北海道でしか見られない、すごいエネルギッシュな夏祭りです。

 

2024道新・UHB花火大会

札幌の花火大会(道新・UHB花火大会)に行って観賞した。
どのくらいの人出だったか?おそらく3万人位ではなかろうか?

北海道新聞(道新)を電子版を年間申し込みしたら、道新花火大会にカップルで招待いただいた。楽しみにして当日、恵み野を14時に出かけ、お弁当とビールを持参して花火大会会場の豊平川河川敷に開場17:40に付き、花火を観賞してきました。

花火は19時40分予定通り始まり、1部、2部、3部形式になっていて約4,000発の花火が50分続いた。
花火の火の粉をかぶるような招待席で鑑賞できた。こんな真近で花火を見たことは初めてだったので感激も一入ひとしお

第2部No.2のタイトル:白粉花オシロイバナで「協賛は北海道創価学会…」とアナウンスされた時「あぁそうした時代なったんだ」と何か誇らしくなってしまった。一緒に行った人も「スポンサー創価学会だよ」と言ってくれた。

来年(次回)は、道新電子版の実況中継で観ることになるかな?

 

旧島松駅逓

恵庭市の北端、北広島市の南端に旧島松駅逓きゅうしままつえきていがあります。
ここが、久蔵とクラーク邂逅の地、島松駅逓です。札幌農学校一期生に「少年よ大志をいだけ」と言った送別の地であります。北海道に来る観光客は大概 羊ケ丘のクラーク像を見ますが、ここ旧島松駅逓に来る観光客は以外に少ないようです。

2024年7月16日から暫く改修工事に入り再開は2026年春になるようで暫く見学できません。そこで休館する前に再訪してみた。
(現在の旧島松駅逓はM14年の平面図をもとに、S59年に完成したもの)

明治9年9月に開拓使より駅逓を拝受していた

旧島松駅逓は、中山久蔵翁の「北海道米のふるさと」としての紹介されてます。

クラーク博士が離任最後に挨拶したとされる時期(明治10年1877年)には、中山久蔵翁は駅逓に在任していました。

久蔵とクラーク邂逅の地、島松駅逓にも書いた通り、クラーク博士の残した言葉が如何なるものか?議論は多かった。しかし以下のような言説がもっともらしいと思っています。

“Boys, be ambitious like this old man”
“ Boys, be ambitious in Christ (God) ”諸説ありますが、
“ Boys, be ambitious for what a man ought to be. Gentlemen, good-bye. ” というのが一番穿うがっています。
即ち「人間として役に立つ仕事をするために、人間というものは野心的であらねばならぬ」です。(知的野蛮人のすすめ 岡野加穂留著 P6)

真実は確かではない。しかし札幌農学校の二期生となった内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾、岡崎文吉など錚々たるメンバーによって、クラーク博士の言葉を箴言たらしめたのだと思います。

駅逓所とは人馬を備えて、宿泊・運送の便をはかるために設けられたものです。嘗て北海道に600以上の駅逓があったそうです。
昭和22年に駅逓制度が廃止されて、現在は殆ど残っていません。

さて、中山久蔵翁に話を戻しましょう。中山久蔵は”稲づくりの久蔵”として、北海道の米作に寄与したことは勿論、勤勉実直の人格だったようです。

開拓使 松本十郎の「中山老翁81有一寿序」明治41年

同時代の開拓使 松本十郎は中山久蔵翁を「中山老翁八十有一寿序」で富・貴・寿の三者集まる者として褒め契ほめちぎってます。

91才で没するまで慕われたようです。

 

 

後に正式に島松駅逓取扱に任命され、更に明治14年明治天皇の北海道巡幸に際して御昼幸在所に当てられる栄誉に浴しました。

再来年(2026年)の春になればまた見ることが出来ます。旧島松駅逓の佇まいは、明治期の様子を観ることが出来ます。

恵庭市民の一人として、旧島松駅逓を観光スポットにして欲しいと思っています。

 

PMF2024

今年もPMFのコンサートへ行ってきた。

今年34回目の開催だそうです。7月(7/4~30)全30回公演があるそうです。

そのうち7/14PMFオーケストラ演奏会へ行ってきました。

演目は、R.シュトラウスの交響詩「ドンファン」、プロコフィエフ「バイオリン協奏曲」、ドビッシー「牧神の午後への前奏曲」そしてストラビンスキーのバレエ組曲「火の鳥」でした。

PMFは、新鋭の若き音楽家を育ててます。今回の公演の指揮者はエリアスEliasグランディGrandyでした。

キタラの前に立つバーンスタイン像
中島公園にて

PMFはレナード バーンスタインが残した北海道遺産です。

この人がPMF(Pacific Music Fesithival)を創設した。

そして札幌のコンサートホール(キタラ)の前で、バーンスタインはキタラを見つめています。

バーンスタインにとって最期の仕事は札幌のPMF創設でした。そしてPMF創設した数カ月後、バーンスタインは亡くなってます。

私はと云うと、耳が遠くなって補聴器が必要になり、コンサートからも縁遠くなってしまいました。でもPMFに賛同し、これからもPMFコンサートには参加させていただこうと思ってます。