mori のすべての投稿

moripapaのFamily用のサイトです。 家族用の非公開を見ることができます。

人生の四季、玄冬期は不屈の楽観主義

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

四季は青、朱、白、玄とされ、キトラ古墳の壁画にも、東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武が描かれています。

人生を四季になぞえると、青春は0~25才、朱夏は25~60才、白秋は60~75才そして玄冬は75才以上に当たるでしょうか?

そろそろよわい75才に近づいてきて感ずるのは身体の衰えです。色彩も無くなり玄(くろ)になることから、玄冬の意味が分かります。

くろは黒ではなくモノクロームのことをさすように思っています。
モノクロ写真の愛好家もいて、なかなか味なものであります。

モノクローム写真は、Textureだそうで色合いより、ボケ具合やメリハリを際だたせます。

morituyoshi

森毅先生の「人生三回説」というのに共鳴し、老年の自立として第三の人生、自由人として振る舞うつもりでしたが、超高齢期の第四の人生が待っていました。

それこそ「玄冬」の季節であります。人生100年になると、これが長くなるのです。老年の自立は身体的な自立を問われるようになります。

介護の時代をどう過ごすかといった大問題が立ちはだかっていたのです。日本で100歳を超える長寿者が8万人を超えたそうです。75才から100才まで25年の過ごし方が問われます。

これを玄冬期としましょう。身体的な衰えを直視せざるを得なくなります。でもご安心下さい、エイジング・パラドックス(Aging Paradox)といって、ウェルビーイングは安定しているのです。

キトラ古墳の北壁、玄武

誰しも他人ごとではない玄冬期について学ばなくてはならない時代になりました。そのうち「古今これほど老化という価値観が変わった時代はない」と言われる時が来るかもしれません。

是非もありません。ミリオネアとなってサクセスエイジングの人生モデルを楽しむほどの気持ちで参りたいと思います。

私達老人が、自然に楽しそうに華やいだ雰囲気の中で暮らしていることが、将来、新たに老人になる若い人々に幸福感を与えることができるならば、「世のため人のため」となるでしょうから。

そのためには、不屈の楽観主義で参ろうではありませんか!

 

父系の遺伝、母系の遺伝

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

父に似ているとか、母に似ているとか人は言うけど、父母どちらからもDNAをもらっているから、当たり前のことであります。

面白いのは代々延々と受け継がれる父系の遺伝と母系の遺伝があるということです。
Y染色体は父系に代々世々に受け継がれます。男子は必ず父のY遺伝子を引き継ぎます。その父も祖父の遺伝子を、その祖父もまた父の曽祖父のY遺伝子を受け継いでいるのです。

つまり性染色体のY遺伝子はずーっとずーっと引き継がれているのです。曽祖父やそれ以前に10代遡っても100代遡っても、Y遺伝子は変わらず引き継がれて来ているのです。

22種類の対の常染色体と性染色体がありますが、そのうちY染色体があれば男性になります。Y染色体には、常染色体やX染色体のようにペアとなる相同の染色体はありません。

では、性染色体がXXとなりY遺伝子を持たない女性には、代々変わらず引き継がれるものは無いのでしょうか? 否、実は細胞内にあるミトコンドリアは娘にそっくりそのまま受け継がれ、代々変わらず引き継がれてい来ているのです。

女の子は母親のミトコンドリアを完全に引き継いでいます。父方からミトコンドリアを引き継ぎません。これをミトコンドリアの母性遺伝といいます。

ミトコンドリアは、細胞内でエネルギーの合成に係わっている重要な物質です。ATP(アデノシン三リン酸)というエネルギーを生み出す、生命の役割をしています。

父系にはY遺伝子が連綿と受け継がれ、母系にはミトコンドリアが連綿と受け継がれているのですから、男系も女系も同様にクローン的に引き継ぐ遺伝があると云う面白い話であります。

天皇家は男子に限ると、女系天皇を問題にする人がいますが如何なものかと思うのです。
元々、日本は推古天皇以降、十代八人の女性天皇がいたのですから、今更に女系天皇がどうこう云うのは、昭和の軍部じゃあるまし時代錯誤も甚だしい。後世の笑いの種になりますね。

少し話が脱線しました。ともあれゲノムやDNA以外にも代々世々に繋がって来た、父系母系の遺伝があるということを知って面白いと思った。

男の子やそのまた息子へはY染色体のコピーが受け継がれ、女の子やそのまた娘へはミトコンドリアのコピーがそっくり受け継がれます。それがどういった意味なのか分かりませんが、何か命の系図に意味をもたせてくれるように感じてしまいます。

Y染色体もミトコンドリアも、その機能が全て解明された訳ではありません。これから解かることの方が多いことでしょう。
これからはゲノムの時代。新たにどんな事が解るか楽しみです。

 

フォトジェニック(Photogenic)な写真

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

Photogenicとはphoto- + -genic(〜によって作られた)即ち、「光によって生じた」の意味だそうですが、インスタ映えと同じように「写真映りがよい」といった意味が加わったそうです。

実は、写真がデジタルになって編集現像ができ、すっかり写真の考え方が変わってしまいました。
デジタル写真では写真は作り込まれるようになったのです。

写真を楽しむ人は、殆どRAW編集して写真を仕上げています。

RAW(ロウ)とは、直訳すると「生(なま)」の意味。デジタルカメラのイメージセンサー(撮像素子)から得られたデータを、カメラ内ではあまり加工せずに、生に近い状態で保存するファイルフォーマットのこと。フィルムカメラでいうと撮影しただけで現像していないフィルムにあたる。

写真を撮る楽しさとは別に写真の作り込みの楽しさがデジタル写真にはあります。それがRAW編集です。

RAWデータの写真は高級一眼レフのカメラしか扱ってませんでしたが、今では殆どのカメラでRAWデータが扱えます。
RAWデータの編集ソフトは、各メーカーから無償で配布されています。写真を編集し現像する楽しみが広がりました。

カメラメーカー毎に純正RAW現像ソフトがありますが、何と言ってもAdobeのRAW現像(Lightroom)が優れている気がします。

Lightroomは、主にPC上で扱うLightroom ClassicとWeb上で扱うLightroomがあります。機能的には同じですが本格的にPCで編集するにはLightroom Classicが向いています。

編集はPC上でLightroom Classicで行い、スマホやiPadで写真を見てもらうようになりました。これからは、みんながシェアする写真の時代だそうです。

大山顕は「楽しい・みんなの写真」のなかで「言葉は慎重に、写真はやみくもに」とまで言っています。とって撮って撮りまくる時代になりました。

kazuo mori のFlickrへ

そのためにWebでの掲載場所も揃い、掲載ツールも揃いました。
特に、Flickrは写真がキレイだし、拡大したり、Exifをみて参考になります。
どれだけの人が閲覧してくれたか? また❤をいくつ頂いたか分かります。
Instagramより一寸プロこのみなFlichrかな?(英語版しかありませんが)

 

写真は、一部の写真家から「みんなの写真」の時代に入りました。
ここ10年で画質も大きく変化しました。特にJPEGからRAWデータをみんなが扱うようになって、写真の保管管理、編集現像、公開・共有する新しい楽しみ方となった時代に入りました。

Flickrは、もとはYahoo! inc.(Yahoo! Japanではない)の運営だったのですが、2018年4月SumugMugに買収されました。でも世界的な人気は続いています。Pro Acountだと写真保管は無制限で、かつ20MBの写真が掲載でき広告もありません。

Flickrを見て思うのは、作り込まれた写真が多いことです。何気なく撮った写真も編集ソフトでしっかり作り込めば、見違えるほど映え、Photogenicになります。ありふれた自然の風景もとても印象的な風景になります。

イメージ通りのPhotogenicな写真を撮ろうと思っています。
まるで絵を描くようなものです。でも極端なRAW編集は気持ち良くありません。編集を気づかせない、自然な写りに編集すること 、うっとりするような写真を作り込みたいと思っています。

写真を撮るのも難しいが、写真を現像するもの難しい。やっと、写真初歩の第一歩を踏み出した気がしています。奥が深いなー!

 

自分自身の発迹顕本について(追稿)

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

数年前の投稿した「自分自身の発迹顕本について」の追稿です。


発迹顕本とはハット気が付き、何か「一皮めくれる」ように、パッと人生が変わるのかと思っていましたが、違います。
宿命転換を果たし、山のいただきに上り詰めたように、人生が変わるのかと思っていましたが、それも違います。

自分自身の発迹顕本とは、題目に挑戦し、教学や御書を学び、
功徳だと喜ぶ学会員に会って「素晴らしい」と拍手し、
苦労している学会員に「一緒に題目あげよう」と励まし、
学会批判されても「学会は素晴らしいよ」と心揺れることなく、聖教新聞はいいこと書いてあるよと勧めたり…
こんな創価学会員の日常の中にあるように思うのです。

2015.8.28 聖教新聞

他でもない信心は日常のなかの大確信です。

合言葉は「前進!」

仏法上の視座から見ることが「自分自身の発迹顕本」となるのではあるまいか?

 


以上が当時の結論でした。いま改めて追稿を書こうと思います。

何のために生きるのか?何のために生まれてきたのか?と問えば 、若い時「衆生所遊楽」だと答えたでしょう。

いまよわいを重ねて「題目をあげる」ことだと簡単明瞭に答えます。
題目は絶対です。題目は正義です。題目は勝利です。題目は利他です。題目は平和です。題目は人生です。題目は全てです。

これに気づける年齢になりました。題目をあげるために生まれてきたのです。人の生死をみてきて解るようになりました。

 

9月初旬の野鳥公園

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

コロナ禍で今年は野鳥公園に出かける機会がめっきり減ってしまいました。9月11日(土)久々に野鳥公園に行ってみました。

キンモクセイが咲き始め良い香りが漂ってました

キンモクセイが咲き始め、園内は良い香りが漂ってました。少し早いような気もしますが、もうコガモが来ていました。

コガモが7羽ほど来ていました。

珍しくカワセミ(翡翠)を近くで見られました。

前浜デッキに行ったら、イソシギとササゴイが来ていました。

最後に、ネイチャーセンター近くで、またカワセミを見つけました。水辺の宝石と言われるカワセミは人気です。

こちらのカワセミはどうやらオス(♂)のようです

来月初めには田んぼの稲刈りも始まるでしょう。イヌキクイモが満開でした。