群れるカモメとスズガモ

北海道にもカモメやスズガモが居ます。さして珍しくもありませんが、冬の北海道は生半可な寒さではありません。なのに平然と強風の海風邪の中に立ち向かっている姿を見るといじらしい。

鵡川河口すなわち、鵡川旧川野鳥観察場でカモメの群れを見た。

少しばかり写真を撮ってみたが、寒くて我慢できず、すぐに帰った。

更に、勇払マリーナの湾内に冬の強風を避けて漂っているスズガモを見た。

風雪が激しくなって、写真を何枚か撮ったが、これも寒くて我慢できず、すぐに帰った。

東京の葛西臨海公園でのスズガモは有名だ。 2018年10月18日付で、都立葛西海浜公園の干潟がラムサール条約湿地登録簿に掲載されたと聞きました。

スズガモを見ると東京でバードウォチングをしていた頃を思い出す。もう8年前のことです。未だに探鳥(バードウォチング)が好きで趣味になってるんです。

 

 

最後の将軍・峠・敗者の美学

司馬遼太郎の「最後の将軍」と「とうげ」を読んだ。以前「 高貴なる敗北者」を投稿した。その敗北者の系譜とでも言えるものです。

「最後の将軍」の主人公は第15代将軍の将軍”徳川慶喜よしのぶ”である。「峠」の主人公は越後・長岡藩の”河井継之助つぎのすけ”である。いずれも、幕末期に「敗者の美学」を体現した者で、分かっていながらも、やむを得ず敗者の道を選んだ者たちである。

司馬遼太郎は「最後の将軍」の”あとがき”にこんなことを書いている。

慶喜よしのぶが将軍であった時期はわずか二年たらずでしかなかった。
(中略)当初きずかなかった。それでもなおいま、書き足らなかった悔恨かいこんがかすかに残っているのは、どうしたことであろう。(中略)徳川慶喜という私のこの対象には、素材そのものがすでに酒精度の高い、ひとを酩酊めいていさせるものをもっているがためのように思える。そうとしか思いようがない。

第15代将軍 徳川慶喜は凡庸な将軍ではなかった。優れた行動力と明晰な頭脳を持って、期待を一身に集めた人物だったが大政奉還をおこなった。鳥羽伏見の戦いの敗戦を尻目に江戸に一人逃げ帰った。その後は「恭順きょうじゅん」を貫きとおした。幕末という時代の敗者である。

また「峠」の”あとがき”についても触れておきたい。

人はどう行動すれば美しいか、ということを考えるのが江戸の武士道倫理であろう。
人はどう行動すれば公益のためになるかということを考えるのが江戸期の儒教である。この二つが、幕末人を作り出している。

長岡藩の河井継之助も非凡なほど、英明な頭脳と行動力を持った人物で、越後の長岡藩の家老として活躍した。

大政奉還の後、戊辰ぼしん戦争が北越へ転進するなか小千谷おじや談判に及んだが、余儀なく北越戦争に及び、敗退して亡くなった。

敗者の美学とは、幕末期の武士の美学だったのかも知れない。

歴史小説を読んでいると、歴史となった固定事実でありながら、いまその時空に身をおいたような錯覚におちいる。経験をしたことがないような体験を、我が身に降って起こったような気がする。

幕末、尊王攘夷そんのうじょういを口にせぬ者は武士ではない様な雰囲気にあり、尊王が征夷大将軍を破り、攘夷がもとで開国に迫まられた。世のインテリ即ち武士がこぞって熱に浮かされ、世情は沸騰した。

日本は一つ方向に世情が沸騰することが度々ある。戦前の八紘一宇や大東亜共栄圏を信じ、世論を沸騰させたこともあった。
戦後生まれの者でも70年代の学生運動にはまった。これも世情沸騰の一つだ。今の日本でも外界と隔絶された島国の一面を持つ。

話が横道にそれ始めてしまった。もどす、幕末という抗しがたいエネルギーの渦中にあって、先の英傑たちは敗者となるのを敢えて選んだ。英雄は「敗者の美徳」を持つとでも言うように。

小説の読者としては、時空を超えて旅しているようで、こんな面白いものはない。敗者の美学だと云うのは読者だからだ。読者は傍観者として面白がって読めばいい。もしタイムスリップしたらどうであろう?幕末の世情に巻き込まれたら命がけで生きたかもしれない。読者は気楽なものである。面白がっていればいい。

しばし、歴史小説にうつつを抜かしてみたい。

 

2026年謹賀新年

新年、あけましておめでとうございます。

北海道で4回目のお正月を迎え、雪景色にもすっかり慣れ地元・恵庭や札幌などの土地勘もついてきました。

今年は、気に入った本をたくさん読もうと思っています。体力が落ちても、読書ならできます。

同年輩の方の訃報が入るようになりました。人生は長いようで、あっという間に終わります。体をいたわりながら健康長寿を第一に暮らして参ります。

そして、今年も平和で、平穏な一年になりますように。

 

2025年を振返って

昨年は6月18日突然に坐骨神経痛を患いその後半年悩まされた。それでもよく旅行に出かけたものだと、我ながら振返って思う。

  1. 12/31~1/1 札幌で年末年始
  2. 1/16~23 誓願勤行会(東京)参加
  3. 2/19~22 宮古島の旅
  4. 3/5〜8 長州・萩の旅
  5. 3/21〜26 千葉/鴨川の旅
  6. 4/4 壮瞥/洞爺/伊達の小旅行
  7. 4/9~10 日高、襟裳岬への旅
  8. 4/24~25 松前と江刺の旅
  9. 5/17~22 九州福岡 長崎の旅行
  10. 5/28~6/3 千葉へ旅行(病気見舞)
  11. 6/22~23 帯広の旅-2
  12. 8/14〜16 利尻島・礼文島の旅行
  13. 9/20〜23 陸別・阿寒へ旅行
  14. 9/30〜10/3 厚田戸田記念墓園
  15. 10/5~7 静岡・伊豆の旅
  16. 11/7~9 佐渡の旅
  17. 11/16~17 室蘭へ初旅行
  18. 12/22~25長男家族と登別の旅

殆ど毎月、旅行をして、数えてみたら18回、延べ66日も旅行してた。
自分ながらあきれてしまった。

坐骨神経痛の痛みを抱えての旅行でした。
同伴してくれるひとがいたからできた旅行です。ありがたい。感謝です。

今年は円安で、海外旅行は諦めて、国内旅行だけでした。12月ドイツに住む長男家族が北海道に来てくれた。円安享受できたかな。

坐骨神経痛をわずらい、体の老化を身にしみて感じた年でした。去年のように重いカメラを持って出かけられなくなり、Bird Watchingも少なくなりました。

無理が効かなくなりました。そのうち旅行もおぼつかなくなり、早晩、旅行も楽しめなくなる日が来るような気がします。

そう思うと、せめてあと5年、81才までは元気でありたいと思う。
この年は学会創立百周年に当たる年になります。

いよいよ、人生の”総仕上げ”を迎える時期に差し掛かりました。
「信心は、晩年が、総仕上げの時が大事」と言われます。じつに幸せで、豊かで、穏やかな総仕上げの人生でありたいと願っています。

ドイツから初来日の孫と共に過ごす(登別温泉にて)

室蘭へ初旅行

初めて室蘭を尋ねた。北海道に転居して3年にもなるが室蘭に行ったのは初めてだった。11月16日天気は上々だった。

かつては「鉄の町」として、多くの関連企業によって賑わった時期もあった。夕張炭鉱など北海道で産出する石炭が、ここ室蘭に集まり鉄鋼産業を支えた。北海道で室蘭は「鉄の町」になった。

しかしその後、人口は1970年の約16万2千人をピークに減少し、現在2025年10月末には7万3千人まで減ってしまった。いまでは鉄鋼コンビナートの盛衰をみるような町になってしまった。

室蘭といえば地球岬である。アイヌ語で「断崖」を意味する「チケプ」が「チキウ」と変化し、「地球岬」という当て字になったものらしい。

地球岬の鋭い断崖は自殺の名所だった。真偽は確かでないが、かつて不幸な事件を訊いた。これまで室蘭に足を向けなかった理由はそれだった。

室蘭地球岬にて

「地球」という表現は、幕末尊王攘夷そんのうじょうい勤皇きんのう思想が沸騰した昔、英雄豪傑が「地球では」と豪大な表現を使った。
何のことはない「世界では」といった程度の言葉である。

今や観光地として地球岬からの眺望は素晴らしい。「噴火湾」を挟んで対岸に森町の駒ヶ岳まで望むことができる。

ちなみに「噴火湾」とは1796年に日本近海を探検したイギリス探検船の船長 William Broughton が、Volcano Bay(噴火湾)と記したのが由来らしいが、決して噴火でできた湾ではないらしい。

旧室蘭駅の駅舎にはSLが展示されている。立派な駅舎でかつてのにぎわいをうかがわせる。現在の室蘭駅は東室蘭からの引込線のターミナル駅で去年、無人駅になってしまったそうだ。

今は、鉄道より車で室蘭の町に入る人のほうが多いことだろう。
「白鳥大橋」のふもとに道の駅「みたら室蘭」がある。この立派な橋もさほどな交通量ではなさそうだ。

道の駅「みたら室蘭」から国道36号線に向かっての眺望。

道の駅「みたら室蘭」の脇にあるパークゴルフ場でのんびりと休日を楽しむ人々がいた。
長閑のどかな雰囲気に一休みできた。工場群も静かなものだった。

室蘭の旅から帰って2週間後、12月1日室蘭・新日鉄で工場火災があった。怪我人も出なかったのは幸いだった。

室蘭に行った後だけに、ニュースを見て少し心を痛めた。