2025年 謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

北海道で3回目のお正月を迎えました。こんな幸せ北海道だけなんて呑気なこと言っています。

それも健康だからこそ、好きなお酒を毎日晩酌できほど健康です。
降圧剤は欠かせませんが、健康そのもので絶好調です。

どうも北海道が性に合っているのかも?

北海道に移住し、やっと道民になりかけました。根っからの道民ではないのでネオ道民ですが…。
健康で長生きすることが、大切だと思うようになってきました。

今年も元気に過ごせますように、皆さんよろしくお願いします。

 

わたしのジルベスター(Silvester=年末)曲

今年(2024年)も終わりかけた。12月はメランコリーな12月Melancholy Decemberです。冬の北海道は寒いし、雪が降ってくると気分がふさぐ。

最近は、耳が遠くなって補聴器がるようになってしまった。
もうクラシックを聞くことはできないだろうと諦めていた。

ところが先日、補聴器とAir Pod Pro2で書いたように、Air Pod Pro2 の音がすぐれてて以前と同じように楽しめるので、Apple Musicのサブスクを延長再開した。好きなクラシックを Air Pod Pro2で聞くだけでも気が晴れます。

新たに好きな曲が見つかった。グスタフ・マーラーの交響曲第5番第4楽章が心に染み渡ってきた。それもレナード・バーンスタインが良い。これもメランコリーな12月のせいでしょうか?

これをわたしの年末の曲「ジルベスターSilvester曲」にしようと思っている。難聴になりクラシックを聴くのを諦めたが、何だか少し気が晴れ元気になった。

補聴器を掛けて、元気だして、ジルベスターコンサート札幌に行ってみようと思ってる。少し若返ってみようと思っている。

年末 元気出して、真冬日の札幌へ出かけてみようか?といった気分になっている。

 

 

 

古代の恵庭について

地元恵庭市の「西島松5遺跡」から発掘された出土品が、重要文化財に指定された。ローカルながら話題を呼んでいる。

先日(12/7)、西島松5遺跡の意義と背景の講演を聞きにいった。

北海道で刀剣が出土するのは、江別や余市の遺跡にもあるだそうだが、西島松5遺跡のように、30振りもの刀剣が出土するのは珍しいとのこと。

北海道西島松5遺跡出土品の刀剣類

西島松5遺跡出土品の刀剣は錆てるが、専門家の解説では、つかさめの皮が巻かれたものだそうだ。

この点、正倉院の黒作大刀に似たものであるらしい。

正倉院中倉8黒作大刀第13号

正倉院に現存する黒作大刀(正倉院中倉8黒作大刀第13号)は、出土の朽ち錆びた刀剣を「昔を今に見る」ようなもの。

この宝剣が西島松5遺跡から30本も出土したことで、重要文化財に指定された。

7世紀頃の北海道(蝦夷えみし)では、鉄製の刀剣はまだ作れなかった。出土した直刀は、実用的な武器ではなく本州の朝廷から下賜かしされたものに相違ない。

奈良の石舞台古墳は7世紀前半に作られた

日本の7世紀といえば、倭国わのくにから天皇の飛鳥時代に差しかかる頃の時代だ。

日本書紀で天智天皇が大化の改新(645年)を断行し、古代天皇制を確立した頃のことだ。

版図はんとという言葉がある。欧米では戦闘や略奪によって領土を線引する考え方であったが、古来中国には領土という概念はなく版図という考え方に基づいていた。いわゆる版図拡大である。

中国へ貢物みつぎものを持っていけば、その貢物以上のものを下賜かしすることによって上下関係が生まれる。戦闘や略奪によって領土を線引するのではない。線引がない版図といった関係で主従が決まった。

こうした版図の考え方は古代日本にもあった。蝦夷えみしの国から貢物を持っていく、そうしたら貢物以上の返礼を下賜する。
朝廷から賜った刀剣が、その国を治める象徴となる時代である。西島松で出土した刀剣がそれに当たるだろう。

恵庭郷土資料館では、出土品展が行われた。

蝦狄えみし渡島蝦夷おしまえみし粛慎しゅくしんか分からないが、日本の朝廷との関係を結び版図拡大したに違いない。
まだ石器や擦文さつもん土器を使う生活だ。ここに鉄の刀剣が入ってきた。歴然とした文化の違いに驚嘆したに違いない。

それも30本もの刀剣が出土し、古銭まで出てきた。この西島松の勢力が、北海道の全域に及ぶ版図を持っていたと言うから面白い。何か文字を残してくれれば北海道古代史も盛り上がるのに。古代蝦夷に文字がなく記録がないのが残念だが、会話言語はあっただろう。また大和朝廷との間に意思疎通ができたはずだ。

古代、擦文時代から、ヒエやアワを栽培し農耕していたようだ。本州の近畿までどのように往来したのか?記録が全く無いので、勝手に想像するばかりで、古代の恵庭を想うばかりだ。

西島松は自宅近くにある。今は雪捨て場になっている。
ここに古代、人が暮らしてたらしいと想うと何か楽しくなる。

沈黙の古代北海道でなく、賑やかな歓声が聞こえて来るようだ。

 

札幌誕生を読んで

札幌誕生といった魅力的な言葉に惹かれて、北海道新聞の連載小説を読むようになった。連載は2023年12月~2024年4月だった。

最初は島義勇しま よしたけ(開拓判官)から始まった。内村鑑三うちむら かんぞう、バチラー八重子、有島武郎ありしま たけおと続き、最後は岡崎文吉おかざき ぶんきちで終わった。
連載途中で、あれ?っと思った。この連載は短編小説を時系列に並べたようなものではないか?札幌に関する歴史小説ではない。

先日(2024年11月30日)、北海道新聞(道新)で「札幌誕生を書き終えて」という講演会があった。
著者;門井慶喜の講演会でした。
会場となったのは道新の新社屋だった。道新の新社屋イベントの一つとして、この講演会が開催されたようだ。

2024年11月移転した道新
2024年11月移転した道新

公演で、著者;門井氏は「土木」への興味がこの小説を書くベースになった言っていた。

最後に岡崎文吉おかざき ぶんきちの章を書くに当たって、さかのぼって小説を書くに至ったことを聞いた。それでやっと この連載小説の展開が理解できたが、実は期待した展開ではなかった。

そもそも札幌の歴史は浅い。他の首府(都市)と比べ、余りにも歴史が浅く近代史から始まる。北海道の歴史と重ねて僅か150年ほどの歴史しかない。

都道府県の首府となっている都市は、少なくとも江戸時代以前にさかのぼる。福岡は太宰府に遡り、大阪や奈良京都など近畿は平城京や平安時代に遡る歴史を持っている。

ところが北海道は蝦夷地として長く眠っていた。江戸時代にやっと北前船の往来で、函館は殷賑いんしんを極めた。だが北前船の往来は北海道の沿岸部であって、内陸部の開拓は明治に入ってからです。

その明治期に札幌は忽然と誕生した。北海道の首府をなぜ札幌に定めたのか?そこに疑問があった。なぜ函館や小樽ではなく、内陸に入った不便な札幌を首府としたのか?という疑問です。

開拓判官 島義勇

小説「札幌誕生」では最初に島義勇からひもといている。これは誰もがうなづく。
原野であった札幌を「五州第一の都」にと意気込んだのは島義勇だった。さきに鍋島藩主;鍋島直政なべしま なおまさが開拓総督に任ぜられ初代開拓使となり、次いで第二代に東久世通禧みちとみとなった。この等判官は北海道守護神(開拓三神)を奉じただけであった。

鍋島直政の命に感じて、北海道の首府を札幌にしたのは島義勇しま よしたけであることに違いないが、なぜ不便な札幌の地を選んだのか?その疑問は消えない。背景はロシアの圧迫とだけ説明されている。

明治の初期、西郷隆盛でさえロシアの圧迫を警戒し征韓論せいかんろんかかげたほど、当時の明治政府はロシアに脅威を感じていた。
しかし、その脅威と札幌誕生に断層があった。説明が足りない。

当時の軍隊は陸軍中心だったからなのか?海洋国家ではなかったからなのか?札幌の地を選んだ理由が釈然としないからだ。

ともあれ、札幌は人工的に誕生した。ひるがえって考えてみれば、近畿の平城京(奈良)も平安京(京都)も当初は、人工的に造られたに違いない。…が、余りにも古く日本書紀にまでさかのぼるような、祭り事「まつりごと」で決まった気分がある。

北海道もその始まり方は神国日本として祭儀や託宣の神事で、札幌の地が選ばれたのであれば、もうこれ以上詮索せんさくする気はない。
交易や経済、地理的な理由から決めたのではなさそうだ。神国日本の威信と権威によって北海道の首府;札幌は誕生した。

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秋、鮭が来る

秋になると北海道には鮭が川に遡上そじょうしてきます。千歳市にあるサーモンパークは10月初旬からインデアン水車が回り始めます。
今年もインデアン水車に遡上してきた鮭が飛び込んでいました。

恵庭を流れる川にも鮭が来るようになります。12月上旬のこと、茂漁川もいざりがわにも鮭が遡上してきました。
茂漁川は川幅10メートルに満たない小さな川です。橋の上から鮭の遡上を眺められます。

茂漁川は、湧き水が集まった急流ですが、鮭はたくしく遡上そじょうしてきます。すでに皮膚は傷だらけで白化しています。それでも急流の中で産卵してます。(うまく孵化して育てば良いのですが…)

茂漁川は漁川に合流します。漁川には鮭の死骸がありました。

そして、鮭の死骸をカラスが漁っていました。

自然の摂理と云えば、それだけのことですが、何故か悲しい気持ちになりました。

無事、鮭の卵が孵化して、稚魚が漁川いざりがわから千歳川、千歳川から石狩川へと下り、日本海へ辿り着けますように。