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北海道は道東の旅

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

今回もレスパイト旅行で、釧路から根室、更に納沙布岬まで足を延ばしました。バードウォッチングが目的だから春国岱で2泊、根室で1泊、そして釧路で2泊し釧路湿原を見てきました。

春国岱と釧路湿原でのバードウォッチングについては別に投稿しますが、道東の旅で想ったことを少々書きめておきます。
帰宅後あっという間に1週間たってしまいましたが、記念のため旅日記の投稿です。

道東は寒い。出発した4月15日(金)早朝は、東京の気温11℃でしたが、目指す釧路の気温は2℃、にわか雪が降っているようです。



果たして釧路空港に着いてみると、少し気温は上り4.6℃でした。北海道はまだ東京の真冬なみの寒さです。

初めて見る釧路駅。何だか活気がなくさびれています。

東京の人混み雑踏からカルチャーショックを受けました。

これこそが、旅の面白いところでしょう。早速、昼食を何にしようか?事前に調べておいた駅近くの和商市場へ行ってみた。

やはり花咲カニが名物だった。そう釧路は漁業の町、サンマ漁で有名でした。

勝手丼を食べてみました。丼にご飯を頂いて、ご飯の上に刺し身などを勝手に載せて、お会計をします。

釧路から根室まではバスを使いました。実は、目指す春国岱はこのバス路線で途中下車した所にあるのです。何もない原野をバスで移動します。それも冬景色の殺風景な景色が広がっています。


春国岱近くのバス停「東梅とうばい」に着きました。東京の我が家から民宿までドア・ツー・ドアで約8時間。気温もさることながら景色も大違い。このカルチャーショックが旅の面白さでしょう。

5泊6日の一人旅、目的がなければ行きゃしません。バードウォッチが趣味になり一人旅もイソイソと出かけるようになりました。いい趣味を持ったと独りごちています。

春国岱のバス停「東梅」からJR根室駅までは、路線バスで15分程度です。根室駅に着いて驚いた。想像以上にさびれた駅でした。

この街からさらに東端の納沙布岬まで行くことにしました。納沙布岬まで路線バスで約45分です。この路線バスも日に何本もありませんから、計画して乗り遅れないようにしないと大変。

ここは北緯43度23分、東経145℃48分の東端です。貝殻島灯台まで3.7km、そこから先はロシアに占領された北方四島なのです。

ロシアはいまウクライナで戦争をしています。この極東でも緊張が走ります。最近、自衛隊機がスクランブルをかけたそうです。

さて、根室で一泊したあと釧路へ向かいました。

JR根室駅の先はありません。終着駅( Terminal )です。

ここからJR釧路駅へ戻りました。途中の厚床、厚岸を通って海岸に沿って移動です。

根室から釧路までの道東は、北海道の中でも寒いところです。
オホーツクからの寒流が太平洋側へ回り込んで寒い気候を生んでいるそうです。笹が生える痩地と湿原が続く地域なのです。

昔ロシアのゴローニン事件でカムチャツカに連行された高田屋嘉兵衛が、国後や択捉へ渡ったのはこの海からです。

最近ではサンマ漁も激減し、人口は毎年流出して過疎化が進んでいるようです。

サンマ漁で賑わいを見せたであろう釧路港も、今はどこか寂しそうな街でした。

人が集まり人口が増えるわずらわしさからから比べれば、人が去り人口が減るサビしさはなんとも言えないみじめな感覚になります。

旅行者でさえそんなことを肌で感じるんだから、ここに生活する人にとっては如何ばかりなことでしょう。
否、通りすがりの旅行者が勝手なことを言ってはいけません。何も知らずに勝手なことを言ってはいけませんね。

釧路駅前で「風雪の樹」と銘打たれた一本の老木を見つけました。

風雪に耐え、風雪を乗り越えたからこそ、歴史を拓いた「釧路」の発展があったのでしょう。

人生も風雪を乗り越えたところに人生讃歌が輝くようなものです。

道東にエールを送ろう。輝く未来を祈ろう。しばし、この樹をじっと眺めて、帰路につきました。

 

勝海舟を偲ぶ

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今日4月4日は、江戸無血開城えどむけつかいじょうの記念日です。そう慶応4年(1868) 4月4日、西郷吉之助(官軍大総督)が初めて江戸城に入場しました。江戸城が新政府へ引渡された無血開城の日なのであります。

150年以上も遠い昔のことですが、三百余年続いた徳川幕府は、血生臭い戦いを避け、無血で政権交代を叶えたのです。
勝海舟など幕臣に人物がいたから為し得たもので、今も日本が誇る歴史だと思っています。

穏やかな洗足池に桜とキンクロハジロ (2022.4.1)

無血開城の立て役者である勝が西郷と開城談判したの所が、池上本門寺です。勝海舟がその近くの洗足池あたりを歩いたのは桜の季節にだったと思う。

そんな想いで桜の季節に洗足池を訪れてみました。

のちに、勝海舟はここ洗足池に隠居を構えました。今は大田区の勝海舟記念館が建てられています。
勝海舟の図書を収集した清明文庫が有形文化財となって大田区の所有となり、リニューアル(2019.9.7)されています。

近くには勝海舟と妻”おたみ”の墓があり、いまも誰かが供物と供えていました。
勝海舟(1823~1899)は、ここで享年77歳で亡くなるまで洗足池あたりに居ました。

現役の頃は、赤坂の元氷川に住んでいました。安政6年(1859)から明治元年(1868)の足掛け10年住んでました。
ここに坂本龍馬や勤王の志士が出入りし、江戸城の無血開城を成し遂げるまで、忙しい日々を送っていました。

元氷川の旧邸(2021.11.19))
東京赤坂の元氷川にあった勝海舟の旧邸の今 (2021.11.19))

長崎で海軍伝習所を指揮したり、咸臨丸で米国に渡ったり、兵庫で海軍操練所を営んだり、江戸開城に苦心したりした頃は、この元氷川の邸が舞台でした。

今では旧邸の跡地にビルが建てられて、1階はBARになってるようです。周りも昔を偲ぶものはありません。

勝海舟の余生は長かった。江戸開城以降は余生だったと云える。

明治維新後、新政府の諸役に就くが、腰掛けのように短かった。

僅か70万石となった徳川の藩地駿府へ下ったが、再び東京へ戻った。

明治24年(1891)に洗足池の別荘「洗足軒」に隠居し落ち着いた。
亡くなるまで約8年間ここで過ごしたようです。

近代日本の黎明期、激動の時代を生きた薩長の群像の中にあってひとり江戸っ子気質かたぎの勝海舟の存在は一際ひときわ面白く思った訳です。

 

73歳の誕生日

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この3月29日が誕生日で73歳になりました。同日3月29日の聖教新聞に掲載されていた記事が目に止まりました。

2022年3月29日聖教新聞

これから如何ほどの人生を生きるのか?分からないけれど残された人生のカウントダウンが始まった気になりました。

朝々ちょうちょう仏とともに起き、夕々せきせき仏とともに臥す。題目根本に生き切っていくことができれば、幸いであります。

今月、目黒の学会組織編成があり、役務も全て外れました。

そして今月で新聞配達も卒業します。

これほど時間に自由になった事はない。

健康寿命「男性72歳、女性75歳」と言われています。これからは健康に注意して怪我や病気に気をつけていこうと思っています。

誕生日の頃は桜が満開になります。穏やかな季節になります。

桜の季節のように、人生も穏やかに過ごしたいと思います。気負わずに暮らそうと思います。

地球の裏では戦争が起きています。核の脅威に怯えながら悲惨な戦争が、いま続いています。

仏法に第六天の魔王だいろくてんのまおうという他化自在天たけじざいてんという恐ろしい魔性が説かれています。第2代会長の戸田先生は「核を用いるものはサタンだ」と喝破されました。人類に魔性が立ちはだかっている。
他化自在天は我欲のため、人をほしいままにする生命いのちです。その戦争がいま人々を苦しめています。「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。」時代が戦争へと逆行しています。

心から悲惨な戦争を憎む。苦しむ人に祈りを送りたい。3月29日の聖教新聞に池田先生が寄稿された記事があった。その最後に

遠大な未来を見据えつつ、地球民族の安穏を一段と強盛に祈り抜き、草の根の連帯を強く賢く麗しく築き広げていきたい。

とあった。一時、戦争の時代へ逆行するようなことがあっても、地球の平和を、地球民族の安穏を一段と強盛に祈り抜きたい。

参考:2022-03-29聖教新聞_新たな広布の勝利山へ

 

駒場殿の13人

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はからずも森家全員が駒場に集まりました。数えたら何と13人!

母のベッドの周りに、ニューカレドニアから来日した妹夫婦、ドイツから来日した長男夫婦、これに次男の家族と姪や甥が加わり私も入れて総勢13人、一同に会したのはこれが初めて

この日は「お寿司パーティー」でみんな大はしゃぎ。
同時にモリパパの誕生日も祝ってくれました。

一寸いいワインをいただきました。

今年一番のイベントに、母も嬉しそうだった。家族ファミリーってイイね。

家族ファミリーになってくれて感謝だ~~。

長男の孫と一緒に記念写真

ドイツから2年ぶりの帰国した長男と、まだ1歳の孫を抱えて記念写真。

こりゃ「長男」が、三代続いた恰好の写真になったw。

孫に囲まれるなんて幸せなことかも知れない。子供や孫たちの成長を楽しむ人生も満更でもないや…

 

遠い国、ウクライナ!

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右の声明は創価学会SOKA InternationalのFaceBookに 2/28掲載されました。

翻訳すると….

「戦争の炎はウクライナで広がり続けています。 民間人の死傷者が増加していることは非常に残念です。 多くの人々の生活、生計、尊厳は武力紛争によって脅かされてきました。 これは本当に悲劇的です。 毎日悲惨な状況を見るのは悲痛です。 私たちは敵意の即時停止を強く求めます。」

僕らは、ウクライナのことを知らない。遠い他国のことを歌でしか知ることはない。
遠い国の人々に思いをはせる。同じ人として伝わるものがある。

平和でありたい。その気持は何処いずこも同じ、心から願う言葉です。

若い頃見た映画「ひまわり」のロケ地は、キエフから南へ500kmほど行ったヘルソン州だと言われています。今でも7月下旬頃にキエフから南下して郊外へ行くと、一面に咲きわたるひまわりを見ることができるそうです。

同じ世代の人なら、この画像が説得力を持って迫ってくるでしょう。ここがウクライナなのです。

もうこれ以上は言う言葉はありません。「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争はまだ、つづいていた」