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いよいよ冬到来

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

恵庭に移住して初めての冬を迎えます。11月30日初雪となりました。12月に入り雪は積もって消えません。気温は終日零下の真冬日ですが、晴れた日は気持ちいい。

12月に入ると雪が薄っすらと白く積もって銀世界になりました。

雪が降っている日と、晴れている日とでは気分も全く違います。

恵庭は札幌より雪が少ないそうです。雪が少ないということは晴れる日が多いわけで、助かります。寒くても温かい部屋から景色を見れば気持ちは明るくなります。

札幌がある石狩いしかり地方と苫小牧がある胆振いぶり地方では天気が全く違います。

千歳ちとせ苫小牧とまこまいを境界に、日本海側と太平洋側に分かれるようです。

小樽や札幌は日本海側で雪が多く、苫小牧は太平洋側で冬晴れです。
恵庭や千歳あたりが、気候の変り目になるのでしょうか。

住んで初めて分かったことです。

終日、氷点下となる寒い日、鳥たちはどうしているのでしょう?寒いが、気になって近くの森へ出かけてみると、シジュウカラもハシブトガラも元気にこずえを飛び回っていました。

_C035261_C035143_C035140_C035124_C055309(以上、写真はハシブトガラです)

_C055369_C055412(以上、写真はシジュウカラです)

氷点下3℃のなか、小一時間も歩いていると我慢できなくなって早々に帰宅してしましたが、野鳥にとって何でもないようです。

北海道の寒さはこれからだそうです。この季節バードウォッチングも難しくなってきました。(音をあげるのはまだ早いかな)

 

帯広の旅

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十勝平野は約1万8千年前に恵庭岳の噴火による火山灰地であす。そのど真ん中に帯広があります。

およそ北海道の開拓は、海路沿岸から成立したのに帯広だけは違った開拓の歴史を辿っています。

依田勉三ほか渡辺勝、鈴木銃太郎等の晩成社によりオベリベリ (帯広)の開拓が始まりました。帯広の開拓史は、彼等の壮絶な開拓の原点から始まったと言えます。

帯広百年記念館

帯広百年記念館に入ると、順路の最初に晩成社が出てきます。明治15年晩成社は結成され、北海道調査が始まりました。

依田の出自は静岡豪農で、渡辺、鈴木と慶應義塾で知り合って晩成社を結成しています。最終的に晩成社は大正5年事実上破産し悲劇的に終わりました。勉三73歳で帯広に没しています。

松山善三の「依田勉三の生涯」を読んだことがあり、百年記念館の展示に興味を持って見学しました。中でも印象に残った解説があったので写し取りました。

晩成社は花咲爺さんの犬の役目
開拓の苦闘を陰で支えたのは多くの女性達です。そうした女性の一人が渡辺カネであり、依田勉三を十勝開拓の父とするならカネは開拓の母と言えるでしょう。カネは二男四女を生み育て、夫の勝、兄の銃太郎、勉三の死をおくり、そして昭和七年発足から五十年の晩成社満期解散を見とどけ、同二十年十二月入植の地の自宅で八十七歳の生涯を閉じました。
昭和二十年八月、カネは郷土史研究家の質問に答えて「ここ掘れわんわんの花咲爺さんの犬のように、あとからやって来る人達が欲しがるようにな土地を開くのが晩成社の仕事で、立派に犬の役目をはたしたと思います。晩成社の五十年は夢のようです」と語りました。

左が渡辺勝、右がカネ

このカネの話で晩成社の意味が、自分の中で変わりました。

カネは聡明な女性だったのでしょう。十勝開拓の歴史に残ります。


さらに十勝の歴史には欠かせない人物がいます。寛斎カンサイです。この人も百年館に展示されてます。(帯広百年記念館では関 ユタカとなっていましたが同一人物です)

千葉東金辺りで生まれ、順天堂の創始者 佐藤泰然に蘭方医学を学び医師となり、松本良順の下でオランダ近代医学をポンペから学びました。その後、徳島蜂須賀藩の藩医となりました。
また戊辰戦争で官軍の奥羽出張病院長として、敵味方の別なく治療に当ったといいます。その後徳島に帰っていち医師となった。

ところが、数え73歳となって十勝の陸別町に入植したのです。この入植には札幌農学校の次男の勧めがあったようですが、なぜ一念発起して北海道に入植したか?詳しい理由は分かりません。
陸別町への開拓事業に全財産を投入し、広大な牧場を拓き、後にこの土地を開放したが、自作農創設の志しが果たせず、大正元年82歳にして服毒により自らの命を絶ってしまった。

入植後も徳島の蜂須賀藩主から賜ったつつみを大切にしてたというから、徳島の生活をしのんでいたのでありましょう。

関寛斎については、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」に詳しく出てきます。帯広の開拓の歴史に登場する人々は、変人奇人の類に及ぶようです。今の農業王国「十勝」を切り拓い者は、有志の入植者です。農業を知らない有志の入植は悲劇的だった。
尤も、アイヌの暮らす原野に農地を開拓する者は、何かに取り憑かれたような人々でなければ為せなっかったのでしょう。

私事ながら73才になって北海道に移住してきました。依田勉三は73才で亡くなった。関寛斎は73才で十勝に入植した。73才とは節目かな?あるアンケート調査によれば「お年寄り」は73才、「シニア」は61才だそうです。(ふ~ん!)

さて帯広百年記念館に別れを告げることにしましょう。北海道の歴史は若い。明治より遡る歴史は少ない。若い大地です。
そんな想いをいだき帯広駅へ戻りました。

昨日、池田町のワイン城に行った翌日立ち寄った帯広はついで旅でした。観光地ではありませんから、開拓の歴史を考える旅としました。

タクシードライバーの案内で、駅で豚丼を食べることになった。
紹介されたのは「ぶたはげ」何とも面白い名の店です。

客が並ぶほど人気店で、帯広には珍しく混んでました。

最後に帯広名物「豚丼」で〆めて帰宅の途に就いたという訳です。

お粗末様でした。

 

池田町のワイン城

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社会人となってまだ入社1,2年の頃、ワインの楽しさを覚えた。
そこは、東京駅の八重洲にある池田町の町営レストランであった。

町営レストランというのも珍しくて、会社帰りに通ったのがワインの楽しさを覚え始めたキッカケになりました。

池田町に行ったことはなかったので、北海道に移住した機会に是非行ってみようと決心した。

トマム恵庭の自宅から特急おおぞらに乗って約3時間で池田町に着いた。

南千歳から石勝線せきしょうせんで日高山脈を超え十勝平野へ出るJR線です。
かつて陸の孤島と言われた占冠しむかっぷや星野リゾートがあるトマムを抜けて十勝平野へ出ます。

石勝線は1981年41年前に開通した。学生のころ調査で占冠に行ったとき(1969年)には無かった。便利になったものだと思います。

そんな思いを載せて初めて十勝の大地をめざした。新得から先は根室本線と一緒になり、特急は帯広駅、池田駅と停まります。

JR池田駅から、ワイン城こと「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」が見えます。

タクシーを呼んでもよかったが、カメラを片手にワイン城まで徒歩で行った。

池田町営のワイン城は地下2階、地上4階。2020年リニューアルしたらしい。

華美に走らずなかなかいい建築だと思った。
ここの地名は清見といい、ワイン名にもなっている。この時期ブドウの木は冬支度で葉はなくなってる。(ちょっと残念)

飾ってあるワイン樽に1974年ものがあった。これは私が入社した年のものだ。

八重洲の町営レストランで飲んだかもしれないワインだ。歴史はまだ浅い。

当時は確か十勝ワインはなく、池田町ワインと言っていたと思う。ワインの中でも「清見きよみ」はとても良いワインだ。
清舞きよまいは清見を母に、山幸やまさちは清見と山ブドウをかけたもので、清見が基本になっている。

ワイン城についてまずテースティングで2杯、ランチで2杯、ワインツアーで2杯+ブラディーを呑んだ。最後にテースティング・カウンターでデザートワインを1杯呑んで、いい気持・・・・

ランチのときガラス越しに、眼の前をタンチョウが飛んで行った。

写真を撮るいとまがなかったが、ワイン片手にラッキーな気分がイッパイに広がった。

実は今回の旅は、大腸癌の疑いが晴れてのご褒美・お祝いツアーでもありました。
ワイン呑んでるときが一番幸せになる性分は、年取っても直らないようです。

池田町の丸谷金保まるたに かねやす町長の奮闘記を読んだことがある。財政赤字やビート工場誘致失敗、冷害に苦しんた小さな町がワインで見事に立ち直った。お国や人に頼らずつかんだ幸運に、池田町に乾杯!

お土産には、「清見」と「夕映えの城(白)」を購入した。帰途についたのは午後4時。もうすっかり夕映えの城になってました。

少々酔って、池田ワイン城を後に帯広行きの電車に乗りました。

ナパ・バレーNapa Valleyのワインツアーやドイツ・ザクセンSachsenのワイナリーめぐりにも行ったこともあります。地方色豊かなワインを作っています。池田町も更に日本的なワイン文化や歴史を作って欲しいと願っています。

池田町までローカル電車を使ったワインツアーを企画してくれたら楽しかろうに。いい旅に満足しました。

 

日照時間

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北海道に来て3ヶ月、秋が過ぎてそろそろ冬の季節になろうとしている。11月下旬、北海道の寒さより日照時間が短くなることに驚いている。朝は6時になっても明けないし、午後3時頃には夕暮れを思わせる気配になります。

理由は東に位置しているだけではなく、緯度が高いためかも?と調べてみると、冬至(12/22)になると下のように違うのです。

  日の出 日の入り 日照時間 南中高度
札幌 7:30 16:03 9時間00分 23.5度
東京 6:45 16:30 9時間45分 30.9度
福岡 7:19 17:15 9時間56分 33.0度

 

何と日の出は福岡より11分遅く日の入りは福岡より12分も早い
そう、緯度が高いと太陽が低く傾いて何となく薄暗くなります。
日の出は遅く、日の入りは早くなり、高緯度の極夜ほどではないが、北海道でも日照時間が短くなったと感じるようになります。

ドイツへ転勤した人が最初に悩むのが、この遅い日の出と早い日没、そう日照時間の短さ(夜の長さ)だといいます。これと似た現象が北海道でもみられるのです。

札幌43.05度、東京35.68度と緯度が7.37度も高い。逆に太陽の南中高度もそれだけ低くなる訳です。これは冬至のお話しで夏至(6/20)では、札幌で70.4度、東京で71.7度ですから大した問題になりません。

寒さより太陽の傾き(暗さ)が気になりだした今日このごろです。

 

小樽の旅

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先日(11/11)、初めて小樽に行ってきた。小樽は観光地でいた。

明治の頃は北前船で賑わって、明治以降もニシンで殷賑いんしんを極め、日本銀行の支店までようした経済都市だったようですが、今は過去となり、昔の遺産に支えられた観光地となっています。

小樽駅の構内ホール天井

自宅を10時に出て11時半に小樽についた。

小さな駅だがレトロな天井に小樽の伝統を感じました。

それにガラス工芸品が売りのようです。

構内の観光案内所に立ち寄り地図のあるパンフを頂き、説明してもらった。

このベルの謂れは知らないが、有形文化財とあった。
駅前の標識はその土地柄を表すと思っています。どなたか「小樽のベル」のうたでも作ってくれるとわかりやすいのに。

駅から海は近い。下り坂の向こうに海が見えます。

この光景を見て、歩いて小樽観光をすること決めました。

パンフの地図を片手に坂を下る。途中で由緒ありそうな看板を見つけました。

このビルは今も大同商会なのだろうか?なかなか趣きのある建物と看板でした。

レトロを売りにしている小樽の今を感じてきました。

東京の銀座1丁目にもこんなレトロなビルがあって写真講習会の恰好な撮影対象のビルでした。

小樽も写真映えする街角がありそうです。

今は廃線となっている路線が嘗てのままに残されていました。

ここでモデルさんの撮影をしてました。私は線路を背景に、紅葉を撮ってみた。

線路ずたいに行くとレトロを超えて昭和の駅裏の雰囲気があったので、モノクロで撮ってみました。

この民家は意図して残したのと違いますが雰囲気あります。

通りの先に日の丸が掲げられていました。ここが日銀支店です。

平成13年まで現役だったそうですが、今は観光用になりました。

これぞ小樽の、いな小樽経済の誇りだったに違いありません。

保存状態も良く、未だにお金には困っていないような気がします。

 

近づいと確かに「日本銀行小樽支店」とありました。

函館、札幌を凌ぐ経済が、ここ小樽にあったことを雄弁に物語っています。

銀行内のカウンターも一寸イケます。

東京の日銀に入ったことはありませんが日銀の隣にあった三井銀行(当時)のカウンターはこんな感じでした。

外壁にシマフクロウをデザインした紋章があるというので、出直して道路向こうから撮りました。

シマフクロウはアイヌの守り神だそうですが、今も希少種。

だれがデザインしたのか知りませんが、これは価値があります。

記念に拡大して撮影しておきました。

 

何処かで見たようなドアです。

どこで見たのか思い出せません。でも確かに何処かで見たような

なんともレトロな雰囲気で、懐かしく思って撮った写真です。

こんな時代を知っているほどに、私もレトロになったわけですね。

 

日銀を後にして、坂を下ると、今は商店のようですが蔦のからまるレトロな建物に出会いました。

こうした建築には紅葉の蔦がよく似合います。

これはウィットですね。こうした洒落っ気が楽しい。

そう、奥さん方はお喋りと買い物で賑やかです。おとうさんあれどこ行った?

運河に出ました。

陽も傾いて、静かな運河にカワウが一羽なんとも、のどかな午後となりました。

小樽運河は観光地。

そこに小樽ビールのビアホールがあります。

新型コロナを気にしながら、混雑してるかそっと覗いてみると、まだお客はマバラでした。

雰囲気もいいので、ならば、イッパイ頂こうと席に座って小樽ビールを注文。

この蒸留釜は飾り物ではなく、現役でビル醸造に使われているそうな。

ジョッキーを三杯頂き、すっかり気持ちよくなって外に出るとイルミネーションが灯って観光地らしくなってました。

一日満足して帰途につきました。

帰りの電車では、酔いもまわり乗り過ごしてしまいましたが無事帰宅。

何かご褒美いただいたような、気ままな写真とビールの旅でしたああたのしかった。