利尻島・礼文島の旅

初めて利尻島・礼文島にバスツアーで行ってきた。天気予報では雨だったが、カムイ パポニカ アーホイア(アイヌ語で「明日天気になーれ」)が効いたのか、利尻岳の全景を見ることができました。

利尻島鴛泊港から、利尻富士の全景をくっきり見ることができました。

ツアーガイドさんの説明では、この時期、利尻岳は雲に隠れ全景を見ることはまれなのだそうですが、ついに旅の最終日、鴛泊おしどまり港から利尻岳の全景がくっきり見ることができました。

稚内港を出港して、ノシャップ岬沖から利尻岳を見た。
雲に隠れた利尻岳だが、やっと頂上の雲が切れ、頂上が見えた。(礼文香深港より)
翌朝少し雲があったが、利尻岳全景を望むことができ感動した。(礼文香深港より)

晴れれば何処からでも見ることができる利尻岳ですが、今回の旅は、利尻富士をることに取りかれた写真撮影の旅でした

夕日が丘パーキングから見た利尻(左)と夕日です。

というのも、昨年4月初めての稚内の旅の終わりで夕日ヶ丘パーキングから利尻富士を見て感動した

そのときから、いつかは利尻・礼文の旅を!と思っていた。
今回そのねがいが叶い、利尻富士を観る旅になった訳です。

札幌を出てバスで5時間、やっと着いた稚内港からフェリーで2時間、礼文島の香深かふか港に到着。すぐバスに乗ってトンネルを抜け島の反対側にある「桃岩・猫岩」に到着。(何と強行軍のツアーだ!)

圧倒する断崖と切り立った岩山をみて、平らな礼文島のイメージは変わった。双眼鏡ではるか稜線を見たら登山道が有るようで、登山者の人影が見られた。(こりゃトレッキング向きの島っだった!)

礼文島は1億5千万年以上前の「海底隆起」、利尻島は20万年前の火山活動によって形成された「海底噴火」という全く異なる形成過程で誕生したそうです。兄弟のように北海に浮かぶ利尻・礼文は血筋の違う島だった。

翌日も天気に恵まれた。礼文島の北端にあるスコトン岬へバスで案内された。礼文島の北の峰は生い茂る樹木がなく絶景です。

宗谷岬は「最北端」で、こちらの礼文島スコトン岬は「最北限」だそうです。なんだかね?とは思ったが最北には変わらない。
この絶景は宗谷岬とは比べ物にならない。

バスツアーは旅程をこなすのに強行軍である。「どうぞ窓から見て下さい」というので、ゆっくり写真を撮ったりする余裕はない。せっかくの景色を目にするだけで終わった。
もし、若く登山やトレッキングできる体力があればと思いながらバスツアーに従った。(それに坐骨神経痛を抱えてのツアーだったし)

最終日泊まった鴛泊おしどまり港は、どことなく北欧の漁村の町並みを思わせた。冬は厳しい利尻島だろう。だから夏を楽しんでるかのような町並みに見えた。

利尻島鴛泊港にて

そして、利尻富士のゴツゴツした厳しさに、冬の厳しさを思いながら、バスツアーで帰途につきました。

岩肌の利尻岳山頂に雲がかかり、一羽のかもめが飛んでいた (仙法志パーキングにて)

♪♪ かもめが翔んだ、かもめが翔んだ~
あなたは一人で生きられるのね ♪♪

 

熱狂するポピュリズム

日頃、ポピュリズムとは何かということを考えていた。特に熱狂するポピュリズムが戦争を引き起こすことになったのではないかという疑問がある。

ポピュリズムと歴史的背景

デモクラシー(Democracy)は主義ではなく制度だが、かつてdemocracyを「民主主義」と誤訳してしまった。また、ポピュリズムを「大衆迎合主義」と誤訳してしまったようだ。

ポピュリズムとは自己の意見や立場を熱狂的に主張し、強要しようとする政治的傾向を指す言葉である。今の日本でも、その勢いが増している。

かつてドイツのナチスも選挙で政権を握った。ヒトラーは「偉大なドイツの復活」を叫び、純血アーリア人種の優位性を唱えた。それがユダヤ人の大量虐殺へとつながっていった。現代的に言えば、排他主義でありポピュリズムの一形態であった。

日本でも皇紀2600年(1940年)に「八紘一宇はっこういちう」をスローガンに掲げ、大々的な記念行事を行った。このスローガンは天皇の下に世界を一つにまとめる意味を持ち、日本の侵略を正当化し、太平洋戦争への突入を後押しした。

過去の歴史がそのまま繰り返されることはない。しかし、歴史を知る者は同じ過ちが再び起こり得る危険性を認識している。

現代の台頭と日本の状況

ポピュリズムの最初の顕著な例は英国のBrexitだろう。2016年の国民投票でEU離脱が決まり、2020年に正式に離脱した。

その後、欧州各地で極右政党が相次いで台頭した。

  • フランスの国民連合(Rassemblement National)
  • ドイツのAfD(ドイツのための選択肢)
  • オーストリア自由党(FPÖ)
  • オランダ自由党(PVV)

現在、米国ではトランプ氏が再び「アメリカ・ファースト」を掲げ、排他主義と分断を助長する政策を推進している。

日本でも「ジャパン・ファースト」を唱える政党が台頭。

衆院選では新興の参政党が大躍進を遂げた。

関西・大阪では日本維新の会が優勢を示し、東京では都民ファーストが都議選で勝利した。こうした動きは、グローバリズムを掲げ相互扶助を訴えてきた従来の政党の勢いを失わせている。

今、平衡主義と極右主義、グローバリズムとマイ・ファースト、平等主義と排外主義の対立軸が複雑に交錯している。「ポピュリズムはデモクラシーを脅かす害悪だ」と一方的に断じることはできないが、何かがおかしいという危機感が広がっている。

ポピュリズムとは何か

仏のツヴェタン・トドロフは、
ポピュリズムとは伝統的な右派や左派に分類できるものではなく、むしろ「下」に属する運動である。既成政党は右も左もひっくるめて「上」であり「上」のエリートたちを「下」から批判するものだ。…と言っている。

興味深いのはドイツのAfDである。ナチ台頭という歴史への反省から、急進的主張に対する拒絶姿勢が強かった独が、ユーロ危機とEU不信の中で「ユーロ解体」という経済・通貨面の主張を掲げる政党として登場した。
そして移民・難民問題、イスラム過激派のテロといったドイツを揺さぶる問題に対し、政府や主要政党と対決する形で支持を広げてきた。

ポピュリズムは「ディナーパーティーに来た泥酔客でいすいきゃく」のようなものだ。デモクラシーという品の良いパーティーに出現した泥酔客もようなもので、パーティーの多くは乱暴な発言をするこの泥酔者を歓迎しないだろう。

腐敗した既成政党、一握りのグローバル・エリート官僚に対する批判として、サイレント・マジョリティー(沈黙する多数派)の不信感が、ポピュリズム政党を生んだ。
「民主市議の病理」
「カリスマ指導者」「討議ではなく喝采」を浴びてポピュリズムは急進的に出現したといわれている。

戦前回帰の懸念

「新しい戦前」という言葉は、タモリ氏が2022年末の『徹子の部屋』で「来年は新しい戦前になるんじゃないでしょうか」と発言したことをきっかけに知られるようになった。

現在の日本社会は、大正デモクラシーだった戦前を彷彿とさせる、そして不安定で不確実な時代となっている。
以下の要素が重なり合い、戦前のような状況が再来するのではないかという懸念が高まっている。

    • 新型コロナウイルス感染症の長期化や気候変動問題など、将来の見通しが立たない状況
    • 社会の分断:価値観の多様化や意見の対立が深まり、社会全体が分裂状態に陥っている
    • 国内政治の動向:防衛費増額や敵基地攻撃能力の議論など、平和主義からの転換を思わせる動き
    • 国際情勢の悪化:ロシアのウクライナ侵攻、米中対立の激化、台湾を巡る緊張など、地政学的リスクの高まり
曲解された日蓮主義

日本の軍部によって引き起こされた太平洋戦争の源流をたどれば、満州事変である。満州事変を主導した石原莞爾や永田鉄山など関東軍が作った。その軍国主義が太平洋戦争を招いた。

作家・佐藤優氏は創価学会機関誌のインタビュー記事〈戦後80年〉特別対談〈上〉 作家・佐藤優氏×歴史小説家・安部龍太郎氏で、次のように指摘している。

初代会長の牧口常三郎先生と同時代を生きた人物に、日蓮主義者の田中智學(注)がいます。「八紘一宇はっこういちう」という言葉は田中によって造語されました。その田中を仏教の師と仰いだ石原莞爾(注)は、いつしか日蓮主義をねじ曲げて解釈し、海外侵略を正当化するイデオロギーを生み出しました。
同じく日蓮の思想を深めた牧口会長が、日本の軍国主義に抗して投獄されながらも、平和の信念を貫いた一方で、石原のように極論を唱えた人物もいたのです。
もっとも正しい真理のすぐ横に、もっとも危険なものが潜んでいる。

注)
田中智學:1861年~1939年。日蓮宗(身延派)の僧侶として得度後、還俗し立正安国会・国柱会などを組織。国家主義と結びついた日蓮主義を広め、『宗門之維新』などの著作で日蓮系の僧俗に大きな影響を与えた。

石原莞爾:1889年~1949年。陸軍軍人。満州事変を主導し、国柱会にも参加。田中智學の思想的影響を受け、『最終戦争論』などの著作がある。

いったん制度化された体制の下では、我々は、もう何も為すすべがありません。そしてある時「止むにやまれない事由」によって戦争は始まる。それが庶民の感覚です。

参政党とはどんな党

神谷氏が代表する参政党がどんな党なのか、あまり知られていない。その主張が知られていないのに、参院選では大躍進した。

  • 「天皇を中心とした国家」謳う
  • 「教育勅語」の尊重
  • 「日本人ファースト」「外国人排斥」
  • 「反グローバリズム」
  • 「オーガニック信仰」
  • 「ワクチンは殺人兵器」
  • 「ONE PIECE」神谷宗幣
  • 「ネット保守」政党

参政党の支持者が熱狂する光景をTVで見てゾッとした。

戦争を引き起こしてはならない

何が真理か?微妙な時代の変化の中にある「真理」を見逃してはならない。

あの戦争は、熱狂する喝采、軍国主義によって組み込まれた制度の中で、止むにやまれない事由によって、引き起こされた。

安倍政権は「国民の生命と財産を守る」と謳った。公明党は「国民の命と生活を守る」といっている。
財産生活のニュアンスの違いは重大だ。財産に固執する自民党は金権政治から離れられなかった。

庶民感覚で、真剣に諸問題に取り組む公明党は、与党でありながら自民党とは、はっきり一線を画すところがある。とりわけ戦争にに関する議論では明確だった。すなわち拝金教、出世教、ナショナリズムである。

2014年、集団的自衛権の議論が盛んだった。安保法制化に思う、日本の役割りについて集団的自衛権の議論についても何回かこの投稿で意見を書いた。

「平和」という一点を見定めていかなくてはならない。

 

坐骨神経痛

「なにが椎間板坐骨神経痛だ!弱音を吐かずに勇気出して挑戦し平癒へいゆしてみせるぞ!普段の暮らし(歩行)に戻してみせるぞ!」と意気込んだものの、痛い痛いと言う間に6週間が経ちました。

坐骨神経痛に関する本を探してみたら、有るはあるはこんなに坐骨神経痛で悩んでる人がいるとは知らなかった。「坐骨神経痛マニュアル」なんて解説書まであった。

その解説書によれば「脊柱管狭窄症は加齢によってどんな人でも起こる可能性がある」そうです。

立っていると痛い。椅子に座ってれば痛みが軽くなり、寝ていると痛みを忘れるのは助かりました。

帯広の旅-2

発症した直後2,3日はなんとか歩ける状態だったので1泊2日で帯広旅行に行ってしまった。ところが、これが良くなかったのか、その後痛みが激しくなってしまった。腰椎椎間板狭窄症を甘く見てはいけなかった。発症したら安静療養すべきだったかも知れません。

ウォーキング用のトレッキング ステッキは杖になった

1週間って、左足の激痛で立つことも歩くこともできない状態になってしまった。
トレッキングステッキを杖にして、びっこをひきながらゆっくり歩く始末となりました。

整形外科医院へ行き処方の薬*を飲たが、痛みは激しくなるばかり、なおるどころか激痛はますますひどくなるばかり。「こりゃ一生なおらないのでは?」と悲観的になってしまうほどでした。

*整形外科医で処方の薬

    • セレコキシブ錠100mg炎症や痛みを和らげる。
    • レバミピド錠100mg胃粘膜の障害を抑制する。
    • タリージェOD錠5mg 過剰に興奮した神経を鎮め、痛みを和らげる。

2週間後、朝起きるとき一番つらく、ひどい激痛に朝トイレにって行くような状態です。1日中激痛で室内でも歩けません。椅子に座っていると激痛がやわらますが、部屋から出ることもできません。

本を読み、痛みみをほぐすため、しこりトイガーポイントをマサージしてみてもなかなか痛みが消えません。

痛みが慢性化すると、痛みが増強していくらしく、さらに高齢者は筋力が低下していくのが問題になるそうです。
とにかく痛みが無くなるのなら、何でもやります。そんな気持ちでした。

3週間過ぎたころ、左足のシビレるような痛みは相変わらずですが、慎重にゆっくり歩けば何とか歩けるようになりました。
ステッキを杖に近くのスーパーへ行ってみたら数分歩いただけでもう立っていられず、椅子に座ってダウン。しばらく休憩して休むと歩けるようになります。でも激痛で長く歩けません。

後で分かったのですが、これを間欠性跛行かんけつせいはこうというようです。
「間欠性跛行は、特定の距離を歩くと足に痛みやしびれが生じ、歩行が困難になる状態を指します。休むと症状が軽減または消失し、再び歩き始めると再び症状が現れるのが特徴」だそうです。

整形外科に行って医師に症状を訴えた。どうもガングリオンが神経を圧迫しているようだとのこと、しばらく経過観察することになった。ガングリオンは、関節や腱の近くにできる良性の腫瘤で、良性で悪性化することは無いとのこと。
経過観察しないで
痛みが取れるなら、ガングリオンでもなんでも取って治るなら、手術してほしいと思ったが、医師は経過観察するという。

4週間も過ぎた頃、なんとか痛みが和らぎ始め希望が出てきた。間欠性跛行はまだ有りますが、歩ける時間が少し長くなり、ゆっくり歩けば、スーパーの椅子に休むようなことはなくなった。

「脊柱菅狭窄症の人は症状が軽減するために前かがみの姿勢で歩く傾向がありますが、無理にこの姿勢を矯正する必要はありません。
そのため楽に歩きたいのであれば歩行器やカート、杖を使用するといいでしょう」更に「自転車で負担が軽くなるのなら利用して構わない」そうだ。

自転車でスーパーへ行ってみた。快調である。なるほど自ら体感して見ることよく分かる。自転車に乗って痛みはない。

「脊椎管狭窄症の場合は、脊椎感の空間を確保するために少し前かがみの姿勢がいい」と「こまめに姿勢を変えストレッチなどを行うと、筋肉が緊張しにくくなり、血流も保ちやすくなる」らしい、ストレッチを教えてもらえるところはないかなー?

やってはいけないことは「背中を伸ばしたり体幹を回旋する、高い場所へ手を伸ばす、重いものを持ち上げるような動作は坐骨神経痛の症状を悪化させる」そうで、これは気をつけている。

5週間が過ぎた頃、スーパーでの買い物ばかりか、ちょっと出かけてみても休憩を取らずに歩けるようになった。少し痛みとシビレは感じるが、何処か出かけて見たいと思うほど回復してきた。

PMFピクニック・コンサート

一度、行ってみたかったPMFのピクニック・コンサートへ友達の肩を借りて行くことができた。

痛みでびっこをひき杖をついて、友達にいたわられて参加した。こんなPMFコンサートは一生の思い出になった。友情に坐骨神経痛の痛みも和らぐほど嬉しかった。

6週間目、これで治療が終わるかもしれないと期待して整形外科に出かけた。だが、なんと今回も3週間分の薬*を処方された。えー!まだ3週間も経過観察なのかとガッカリしてしまった。

AIのCopilotに聞いてみたら、以下の通り今後の方針を教えてくれたが、医師の目から見たらまだまだ経過観察が必要な状態だった。残念!

🧭 今後の治療方針の考え方

症状が軽快してきている今、治療の目的は「再発予防と機能回復」にシフトしていくのが理想です。

1. 薬物療法の継続と調整

    • セレコキシブ:炎症が落ち着いてきたら、医師と相談のうえ減量または中止も検討可能です。
    • タリージェ:神経性疼痛が残っている場合は継続。副作用(眠気など)がなければ、徐々に減量していくこともあります。
    • レバミピド:胃粘膜保護のため、NSAIDs服用中は継続が望ましいですが、NSAIDs中止後は不要になることも。

2. 理学療法(リハビリ)

    • ストレッチや筋力強化:特に臀部・体幹・下肢の安定性を高める運動が有効です。
    • 神経の滑走性改善:坐骨神経の動きをスムーズにするエクササイズ(例:神経モビライゼーション)も効果的。
    • 歩行指導:間欠性跛行が改善してきた今、正しい歩行フォームの習得が再発予防に役立ちます。

3. 生活習慣の見直し

    • 長時間の同一姿勢を避ける
    • 冷え対策(特に北海道では重要ですね)
    • 適度な運動習慣(ウォーキングや軽い体操)

4. 漢方薬の併用(必要に応じて)

ではでは、更に頑張って3週間ゆっくり坐骨新鋭痛と付き合って直して参りましょう。

 

2025年PMFピクニックコンサート

今年(2025年)初めてPMFピクニックコンサートに行くことができた。北海道に来てぜひ行きたいと思ってたが、年一回のイベントに都合がつかず、これまで参加することができなかった。

実は、前夜遅く友達に野外コンサート用に椅子を貸してほしいと電話でお願いしたところ、椅子を持参して車で一緒してくれることになった。偶々たまたま予定がなかったとは言え、その好意に甘えた。

2025年PMFスケジュールでの、ピクニックコンサートは7月26日(土)に開催予定だった。

あいにく、天気予報では雨模様の曇りだった。曲目はシューマンの交響曲第3番「ライン」だった。

ドイツ・ハンブルクでは”灰色に輝く空(Himmel so schön grau)という。曇り空は快適だった。気温26℃、風もなく 野外コンサートが終わるころに小雨が降ったが、最高の野外コンサート日和びよりになった。

PMFピクニック・コンサート会場の野外ステージ

開催場所は、札幌芸術の森の野外ステージで意外に音響が良かった。時折カラスやウグイスの鳴き声が混じり、車の騒音が全くない野外ステージだった。クラシック・コンサートに向いたステージだ。

交響曲「ライン」の演奏を終えて、拍手を浴びるPMFオーケストラ

友達と一緒に、3人で楽しい一日を過ごさせてもらった。
坐骨神経痛の痛みでびっこをひいて杖をつき、友達にいたわられて参加したピクニック・コンサートだった。その友情に坐骨神経痛の痛みも和らぐほど嬉しかった。「こんな幸せ北海道だけ」

交響曲「ライン」を聞きながら、ドイツ・デュッセルドルフでのライン川の光景を思い出した。ドイツに住んでる息子夫婦や二人の孫たちは元気にしてるかな?

もう一度、元気にライン川を見ることができるだろうか?と・・・ 会場をあとにした。

 

2025年の参院選

2024年10月の衆院選に続き、今回2025年7月の参院選でも惜敗を喫した。もう「捲土重来けんどちょうらい」の言葉も虚しい。

堅実な議論を重ね、誠実に実行してきた公明党の姿勢を理解してもらえなかった「やると言ったら、やり切る」姿勢も通らなかった。

選挙区で4議席、比例代表で4議席と改選14議席から8議まで落としてしまった。

驚くことに、極右ポピュリズムの参政党が、比例代表で7議席を獲得し大躍進した。実に不気味である。
6月の東京都議選では3議席しかなかった参政党が、7月参院選では東京選挙区で68万票も取って、第2位まで躍り出てしまった。

ナチがなぜ台頭したか?それは選挙によってだったことを忘れてはならない。世界中が右傾化し排斥主義があたりまえになった。

始まりは英国のBrexitだった。それに独のAfD、仏の「国民連合」さらにオランダの自由党PVV、オーストリア自由党FPÖである。そして米国のトランプ政権そのものが極右で排斥主義なのです。

最近ではヨーロッパ各国の右派政党が集会が開かれたそうだ
「トランプ政権に続き変化を!」と訴えるまでになっている。

新型コロナが収束を待っていたかのように、右傾化し排斥主義が世界に台頭してきた。実は、日本も同調するかのように参政党が大躍進した。

もう一度、民主主義の原点に還り、平等・人権・自由・平和が、「人の幸せのためにある」政治かどうか考え直す必要がある。

2025参院選でも自公与党は過半数をとれなかった。

時代は混迷を深めて来た。決してイデオロギーのためではなく、平和で戦争をさせない、庶民のための政治に還ってもらいたい。