マオイの丘

馬追原野の碑

長沼町の小高い丘陵の上に人知れず建てられた記念碑がある。

道の駅”マオイの丘”は誰もが知ったところだが、この記念碑に足を踏み入れる人は少ないだろう。記念碑は”辻村もと子の文学碑”です。

そして、ここから眺める景色即ち石狩平野を一望する景色は絶景、素晴らしい。

辻村もと子という小説家を知らなかったので、代表作「馬追マオイ原野」を読んでみた。

小説の主人公:秋月運平は辻村の父直四郎がモデルとなっている。明治20年ころの初代の開拓者たちの時代を描いている。
馬追マオイ原野」は、辻村が37才(S17年)のときの著作です。だが辻村は腎臓を患っていて、40才で早逝しました。

辻村は「馬追原野」で原野の光景・情景を見事に表現しています。

雨雲が夕陽に追われるように足早に東に流れていって、みるみる現れた青い空が広くなってゆく、手足まで染まりそうな緑だ。葉にたまった露が、いっせいに緑に、金色に光り輝く。まるでその露の宝玉は、人間の耳には聞きわけられぬ微妙な音楽を奏してでもいるかのようだ。説明のつかぬ一種の歓喜が心を浸し、秋月は、その荘厳な日輪の饗宴のまえに、原始人のように礼拝したくなった。
 
強欲な冬の力に反抗するかのやうに、時折、ぱぁっと、明るい名残の日差しが顔をだすのだが、その光は明るい割には弱々しく、すぐ灰色の雲に押しのけられて、ガラス屑のような硬いこまかな雪片が風と一緒に横なぐりに野面をおほってしまふ。
馬追の開墾地の人々は、まだ畑に掘り残してあった馬鈴薯の残りを、総がかりでで小屋に運んでいた。
 
雪が、いちはやく痩せていき、冬中の馬糞を溶かしてあめ色のざらめのようにジャリジャリしはじめる。街の西南をめぐる山々は、うっすらと、もやにかすんで、針葉樹のみどりまでが、いくらか生気をおびてきたようだ。傾斜のはげしいまさきぶき屋根すべっては、かたまった雪が、ときおりざあっと大きな音をたて、軒先に落ちてくる。

今、馬追マオイに原野はありませんが、馬追マオイ近くの恵庭に住んでると、辻村が描いたような圧倒する情景を目にすることがあります。

早朝、太陽が昇るときマオイの丘が見える。さらにその向こうに夕張岳が見える。
恵み野の街にかかる虹、虹の向こうはマオイの丘になる。
西に沈む夕陽(恵み野にて)はるかに札幌岳の稜線を望む。

北海道の景色、この絶景には詩人でなくても画家でなくても感動します。ときおり拙宅から絶景を見て感動することがあります。

北海道の開拓は代を重ね、今では初代の開拓時代は昔の物語となりましたが、風土は昔と変わりません。本州では味わえません。少し北海道に馴れてきましたが、それでも北海道の大自然の広大な美しさに圧倒されています。

 

北海道に住んで3年

いま、3年前のことを思い返している。母が亡くなったのが5月。葬儀、四十九日も終わり、埋葬も済んだのが6月末のこと。

恵庭に住むつもりで住居探しに廻り、今住んでいる所と契約したのが8月末。9月初めニューカレドニア旅行を終え、帰国してすぐに引っ越し荷物を出して、9月15日北海道に到着しました。

奇しくも9月15日は敬老の日。入居先が「サービス付高齢者住宅」でした。まだコロナ禍にあり、実にあわただしい日々でした。

翌日、サ高住の部屋で荷解にほどきをして一段落し、さぁ北海道の新生活を楽しみに、期待を抱いて北海道生活を始めたときでした。

故郷を捨て一大決心をして北海道へ移住したのは昔話。今では、転学・転職・転勤・転居は当たり前。北海道へ”移住”する悲壮感は全く無かったけれど、今回の”転居”で生活は大きく変わりました。
それは、この北海道という広大無辺な自然環境のせいでしょう。

北海道の方言

北海道には方言がないと思ってた。しかし3年も暮らしてると、道民でも気づかない方言があるのに気がついた。

例えば、イントネーションは最初に来なくて次に来るのです。だから何でも平坦に聞こえてしまう。ちょっと関西風に屯田とんでんと言うと、道民に笑われてしまいます。
丁寧に話すときは必ず過去形になります。レストランで注文を確認するとき「以上でよろしいでしょうか?」ではなく「よろしかったでしょうか?」になり、気にすれば気になる表現です。
さらに気になる表現は「鍵持ったよね?」が「もったかい?」になります。これ命令口調のようで気になります。馴れるのに時間がかかりました。他にも北海道ならではの表現があります。

  • バクル(交換する)
  • ジョッピンカル(鍵かける)
  • サビオ(絆創膏)
  • アオタン(青あざ)
  • 手袋をはく(はめる)
  • ナンモ(何でもない)
  • イズイ(違和感がある)
  • ゴミナゲル(ゴミ捨てる)
  • コワイ(疲れた)
  • カッチャク(引っ掻く)
  • 雪トバス(除雪)
  • ハッチャキコク(駄々をこねる)
  • チョッスル(からかう)

イインデナイカイ(いいよね)は女子カーリングで有名になった北海道弁です。
そしてナマラ(本当にすごい)は大泉洋さんが流行らせた?道民はあまり使いません。

道民は方言をっているようです。自慢して方言を作ってるなんて北海道だけかもしれません。

大阪だって福岡だってひどく方言がありますが、新らしく作って、自慢したりはしません。

観光の北海道

道内の観光スポットは「温泉」です。全域に大小たくさんあり、よく回りました。また岬巡りは道内旅行の目標となり、よく回りました。ここ3年で主だった岬はだいたい回ったでしょうか。

  • 北海道の納沙布岬
  • 襟裳岬や様似エンルム岬
  • 宗谷岬とノシャップ岬
  • 道南の白神岬
  • 積丹半島カムイ岬
  • 礼文島スコトン岬

北海道の端から端まで回る目標があった訳では有りませんが、われながらよく旅をしたものだと思います。

3年も経つと観光ではなく人生の一部になります。北海道の大地に魅せられて、まだまだ回ります。

北海道には空路で新千歳空港(CTS)から人が入って来ます。だからCTSは東京にいるような感覚になります。夏も冬も年中混んでいてにぎやかです。

札幌も賑やかです。夏は大通りビヤガーデン。冬は大通りで雪まつり。その他、春のライラックまつり、秋のオータムフェストなど、年がら年中おまつりをしています。

おまつりは札幌だけではありません。いなかの地元でもおまつり大好きで北海道中どこかで、おまつりをしています。氷も雪も花も月も何でもおまつりの題材になります。

おまつりが無ければ運動会がおまつりになります。みんな弁当とビール、中にはジンギスカンで一杯やりながら楽しんでいます。

若い北海道

気象情報でも「記憶にある明治以降のデータでは…」という表現になる北海道です。明治開拓史から始まった若い北海道なのです。

北海道の何処にでも見られる白樺は、若さと清々しさの象徴です。そして歴史を大地を拓いてきた北海道の象徴のようです。
パイオニア・プラントで、後に続く樹木を守る役割をしてます。

のちに残す広大な大地や耕地、のちに残す原生林や湿地の大自然、そして音楽も文化も、のちに続く歴史を残すために今があります。

北海道そのものが未来をつくるパイオニアだと感じています。
北海道には若さを感じる要素があるように感じています。

年はわこうなり

「年はわこうなり、福はかさなり候べし」とは御書の一説です。まだまだ若い気持ちでいたら、突然に坐骨神経痛の病に犯されて自らの老化を知りました。もう父が亡くなった年を超えました。

明治35年(1902年)、関寛斎は齢72歳にして徳島藩典医の職を辞して、北海道の陸別町に入植しました。その関寛斎の詩にこうありました。(これは金婚式のとき陸別入職前の71才のときの書)

人生百歳ヲ期ス
七十是レ中途ナリ
老健シバラク怪シムヲヤメヨ
天真我ガ躯ヲ保ツ

ネオ道民となって、さぁこれからであります。今日は転居3年目の「敬老の日」です。自ら祝い、自分を大切にしてまいります。

 

ハイジ牧場とノーザンホースパーク

真夏、近くのハイジの丘とノーザン ホース パークへ出かけた。地元だけに車で小一時間で行ける気軽なドライブである。

白樺の木陰

ハイジ牧場は夕張郡長沼町の丘の上にある。素朴な観光牧場だ。

晩夏で暑い西陽に、白樺が日陰を作ってくれた。

ハイジ牧場、乳搾り体験

北海道も今年はとても暑くなって30度を超す日もありました。これでも涼しさに慣れた体にはえます。

乳牛も羊やヤギも暑さにぐったり。
でも、子供たちは元気に乳牛の乳搾ちちしぼり体験に夢中だった。

空を見上げると、秋の空になっている。もうすぐ千歳川にはサケが登ってきて、ナナカマドの実は赤くなり、紅葉が始まる季節を迎えます。

ノーザンホースパーク(2025.1.30)
冬(2025年1月29日)のノーザンホースパーク

新千歳空港から車で15分ほどの所に、名馬ディープ インパクトが生まれた牧場があります。
現在はノーザンホースパークとして観光地になっています。

冬1月に行ったときは雪が積もっていて枯木立かれこだちの景色で分からなかったが、高木の木はかしわの木でした。
夏は柏の木が鬱蒼うっそうとして木陰を作ってくれてくれます。柏の木がこんな高木になるには、寒い北海道では百年かかるだろうか?
高木の柏の木が茂るのは、北海道でもこの地域だけのようです。

園内は下草も刈り込まれ、とても気持ち良く手入されています。散歩しても、園内を貸自転車でサイクリングしても楽しい。

こんな静かな観光地が気に入ってる。家族連れで楽しんでいる方も多いし、レストランで食事したり、コーヒーを飲んで木陰で過ごすのもいい。ぜひ夏の季節に来てもらいたいものです。

 

利尻島・礼文島の旅

初めて利尻島・礼文島にバスツアーで行ってきた。天気予報では雨だったが、カムイ パポニカ アーホイア(アイヌ語で「明日天気になーれ」)が効いたのか、利尻岳の全景を見ることができました。

利尻島鴛泊港から、利尻富士の全景をくっきり見ることができました。

ツアーガイドさんの説明では、この時期、利尻岳は雲に隠れ全景を見ることはまれなのだそうですが、ついに旅の最終日、鴛泊おしどまり港から利尻岳の全景がくっきり見ることができました。

稚内港を出港して、ノシャップ岬沖から利尻岳を見た。
雲に隠れた利尻岳だが、やっと頂上の雲が切れ、頂上が見えた。(礼文香深港より)
翌朝少し雲があったが、利尻岳全景を望むことができ感動した。(礼文香深港より)

晴れれば何処からでも見ることができる利尻岳ですが、今回の旅は、利尻富士をることに取りかれた写真撮影の旅でした

夕日が丘パーキングから見た利尻(左)と夕日です。

というのも、昨年4月初めての稚内の旅の終わりで夕日ヶ丘パーキングから利尻富士を見て感動した

そのときから、いつかは利尻・礼文の旅を!と思っていた。
今回そのねがいが叶い、利尻富士を観る旅になった訳です。

札幌を出てバスで5時間、やっと着いた稚内港からフェリーで2時間、礼文島の香深かふか港に到着。すぐバスに乗ってトンネルを抜け島の反対側にある「桃岩・猫岩」に到着。(何と強行軍のツアーだ!)

圧倒する断崖と切り立った岩山をみて、平らな礼文島のイメージは変わった。双眼鏡ではるか稜線を見たら登山道が有るようで、登山者の人影が見られた。(こりゃトレッキング向きの島っだった!)

礼文島は1億5千万年以上前の「海底隆起」、利尻島は20万年前の火山活動によって形成された「海底噴火」という全く異なる形成過程で誕生したそうです。兄弟のように北海に浮かぶ利尻・礼文は血筋の違う島だった。

翌日も天気に恵まれた。礼文島の北端にあるスコトン岬へバスで案内された。礼文島の北の峰は生い茂る樹木がなく絶景です。

宗谷岬は「最北端」で、こちらの礼文島スコトン岬は「最北限」だそうです。なんだかね?とは思ったが最北には変わらない。
この絶景は宗谷岬とは比べ物にならない。

バスツアーは旅程をこなすのに強行軍である。「どうぞ窓から見て下さい」というので、ゆっくり写真を撮ったりする余裕はない。せっかくの景色を目にするだけで終わった。
もし、若く登山やトレッキングできる体力があればと思いながらバスツアーに従った。(それに坐骨神経痛を抱えてのツアーだったし)

最終日泊まった鴛泊おしどまり港は、どことなく北欧の漁村の町並みを思わせた。冬は厳しい利尻島だろう。だから夏を楽しんでるかのような町並みに見えた。

利尻島鴛泊港にて

そして、利尻富士のゴツゴツした厳しさに、冬の厳しさを思いながら、バスツアーで帰途につきました。

岩肌の利尻岳山頂に雲がかかり、一羽のかもめが飛んでいた (仙法志パーキングにて)

♪♪ かもめが翔んだ、かもめが翔んだ~
あなたは一人で生きられるのね ♪♪

 

熱狂するポピュリズム

日頃、ポピュリズムとは何かということを考えていた。特に熱狂するポピュリズムが戦争を引き起こすことになったのではないかという疑問がある。

ポピュリズムと歴史的背景

デモクラシー(Democracy)は主義ではなく制度だが、かつてdemocracyを「民主主義」と誤訳してしまった。また、ポピュリズムを「大衆迎合主義」と誤訳してしまったようだ。

ポピュリズムとは自己の意見や立場を熱狂的に主張し、強要しようとする政治的傾向を指す言葉である。今の日本でも、その勢いが増している。

かつてドイツのナチスも選挙で政権を握った。ヒトラーは「偉大なドイツの復活」を叫び、純血アーリア人種の優位性を唱えた。それがユダヤ人の大量虐殺へとつながっていった。現代的に言えば、排他主義でありポピュリズムの一形態であった。

日本でも皇紀2600年(1940年)に「八紘一宇はっこういちう」をスローガンに掲げ、大々的な記念行事を行った。このスローガンは天皇の下に世界を一つにまとめる意味を持ち、日本の侵略を正当化し、太平洋戦争への突入を後押しした。

過去の歴史がそのまま繰り返されることはない。しかし、歴史を知る者は同じ過ちが再び起こり得る危険性を認識している。

現代の台頭と日本の状況

ポピュリズムの最初の顕著な例は英国のBrexitだろう。2016年の国民投票でEU離脱が決まり、2020年に正式に離脱した。

その後、欧州各地で極右政党が相次いで台頭した。

  • フランスの国民連合(Rassemblement National)
  • ドイツのAfD(ドイツのための選択肢)
  • オーストリア自由党(FPÖ)
  • オランダ自由党(PVV)

現在、米国ではトランプ氏が再び「アメリカ・ファースト」を掲げ、排他主義と分断を助長する政策を推進している。

日本でも「ジャパン・ファースト」を唱える政党が台頭。

衆院選では新興の参政党が大躍進を遂げた。

関西・大阪では日本維新の会が優勢を示し、東京では都民ファーストが都議選で勝利した。こうした動きは、グローバリズムを掲げ相互扶助を訴えてきた従来の政党の勢いを失わせている。

今、平衡主義と極右主義、グローバリズムとマイ・ファースト、平等主義と排外主義の対立軸が複雑に交錯している。「ポピュリズムはデモクラシーを脅かす害悪だ」と一方的に断じることはできないが、何かがおかしいという危機感が広がっている。

ポピュリズムとは何か

仏のツヴェタン・トドロフは、
ポピュリズムとは伝統的な右派や左派に分類できるものではなく、むしろ「下」に属する運動である。既成政党は右も左もひっくるめて「上」であり「上」のエリートたちを「下」から批判するものだ。…と言っている。

興味深いのはドイツのAfDである。ナチ台頭という歴史への反省から、急進的主張に対する拒絶姿勢が強かった独が、ユーロ危機とEU不信の中で「ユーロ解体」という経済・通貨面の主張を掲げる政党として登場した。
そして移民・難民問題、イスラム過激派のテロといったドイツを揺さぶる問題に対し、政府や主要政党と対決する形で支持を広げてきた。

ポピュリズムは「ディナーパーティーに来た泥酔客でいすいきゃく」のようなものだ。デモクラシーという品の良いパーティーに出現した泥酔客もようなもので、パーティーの多くは乱暴な発言をするこの泥酔者を歓迎しないだろう。

腐敗した既成政党、一握りのグローバル・エリート官僚に対する批判として、サイレント・マジョリティー(沈黙する多数派)の不信感が、ポピュリズム政党を生んだ。
「民主市議の病理」
「カリスマ指導者」「討議ではなく喝采」を浴びてポピュリズムは急進的に出現したといわれている。

戦前回帰の懸念

「新しい戦前」という言葉は、タモリ氏が2022年末の『徹子の部屋』で「来年は新しい戦前になるんじゃないでしょうか」と発言したことをきっかけに知られるようになった。

現在の日本社会は、大正デモクラシーだった戦前を彷彿とさせる、そして不安定で不確実な時代となっている。
以下の要素が重なり合い、戦前のような状況が再来するのではないかという懸念が高まっている。

    • 新型コロナウイルス感染症の長期化や気候変動問題など、将来の見通しが立たない状況
    • 社会の分断:価値観の多様化や意見の対立が深まり、社会全体が分裂状態に陥っている
    • 国内政治の動向:防衛費増額や敵基地攻撃能力の議論など、平和主義からの転換を思わせる動き
    • 国際情勢の悪化:ロシアのウクライナ侵攻、米中対立の激化、台湾を巡る緊張など、地政学的リスクの高まり
曲解された日蓮主義

日本の軍部によって引き起こされた太平洋戦争の源流をたどれば、満州事変である。満州事変を主導した石原莞爾や永田鉄山など関東軍が作った。その軍国主義が太平洋戦争を招いた。

作家・佐藤優氏は創価学会機関誌のインタビュー記事〈戦後80年〉特別対談〈上〉 作家・佐藤優氏×歴史小説家・安部龍太郎氏で、次のように指摘している。

初代会長の牧口常三郎先生と同時代を生きた人物に、日蓮主義者の田中智學(注)がいます。「八紘一宇はっこういちう」という言葉は田中によって造語されました。その田中を仏教の師と仰いだ石原莞爾(注)は、いつしか日蓮主義をねじ曲げて解釈し、海外侵略を正当化するイデオロギーを生み出しました。
同じく日蓮の思想を深めた牧口会長が、日本の軍国主義に抗して投獄されながらも、平和の信念を貫いた一方で、石原のように極論を唱えた人物もいたのです。
もっとも正しい真理のすぐ横に、もっとも危険なものが潜んでいる。

注)
田中智學:1861年~1939年。日蓮宗(身延派)の僧侶として得度後、還俗し立正安国会・国柱会などを組織。国家主義と結びついた日蓮主義を広め、『宗門之維新』などの著作で日蓮系の僧俗に大きな影響を与えた。

石原莞爾:1889年~1949年。陸軍軍人。満州事変を主導し、国柱会にも参加。田中智學の思想的影響を受け、『最終戦争論』などの著作がある。

いったん制度化された体制の下では、我々は、もう何も為すすべがありません。そしてある時「止むにやまれない事由」によって戦争は始まる。それが庶民の感覚です。

参政党とはどんな党

神谷氏が代表する参政党がどんな党なのか、あまり知られていない。その主張が知られていないのに、参院選では大躍進した。

  • 「天皇を中心とした国家」謳う
  • 「教育勅語」の尊重
  • 「日本人ファースト」「外国人排斥」
  • 「反グローバリズム」
  • 「オーガニック信仰」
  • 「ワクチンは殺人兵器」
  • 「ONE PIECE」神谷宗幣
  • 「ネット保守」政党

参政党の支持者が熱狂する光景をTVで見てゾッとした。

戦争を引き起こしてはならない

何が真理か?微妙な時代の変化の中にある「真理」を見逃してはならない。

あの戦争は、熱狂する喝采、軍国主義によって組み込まれた制度の中で、止むにやまれない事由によって、引き起こされた。

安倍政権は「国民の生命と財産を守る」と謳った。公明党は「国民の命と生活を守る」といっている。
財産生活のニュアンスの違いは重大だ。財産に固執する自民党は金権政治から離れられなかった。

庶民感覚で、真剣に諸問題に取り組む公明党は、与党でありながら自民党とは、はっきり一線を画すところがある。とりわけ戦争にに関する議論では明確だった。すなわち拝金教、出世教、ナショナリズムである。

2014年、集団的自衛権の議論が盛んだった。安保法制化に思う、日本の役割りについて集団的自衛権の議論についても何回かこの投稿で意見を書いた。

「平和」という一点を見定めていかなくてはならない。