この記事は3年以上前に投稿された古いものです。
今日の名字の言を読んで、個人的にあれこれ想いを巡らし、父の青春時代に想いを馳せてしまいました。
時々、千駄ヶ谷駅近くで、国立競技場の工事を遠くから眺めますが、見るたびに工事が進んでいくのが分かります。
⾦栗四三の名前は知りませんでしたが、嘉納治五郎の名前はよく父から聞いていました。
父も東京⾼等師範学校在学中に箱根駅伝に出たから、嘉納治五郎を尊敬してたのでしょう。ご自慢の写真が、一枚だけ残っていました。
オフクロの話では、この絹のパンツとシャツがボロボロになっても、大切にして絶対に捨てさせなかったそうです。
その後、父は学徒出陣の後に招集され、戦争末期に戦地(満州)に向かうことになりました。満州で大怪我をして帰国、広島へ帰国して、すぐ福知山へ配属となり終戦を迎えた。広島原爆にも遭わず九死に一生を得たと聞いてます。
父の頃の青春時代は戦争の時代でした。今は父も鬼籍の人となってますが、今度生まれてくる時は、平和な時代に「青春を!」送って欲しいと祈っています。
なぜなら、父と母は昔(s.34~s.36)、岐阜で創価学会の班長・班担として頑張ってきた人だったし、生涯学会員として貫き通した人でした。所願満足が叶わぬことはないと思うからです。
今朝、東京は嵐のような風雨に見舞われましたが、今は日差しがのぞく穏やかな5・3を迎えています。
「名字の言」の最後にある通り、佳き日を迎えています。
青年が躍動する世界広布新時代も、その源には、“自分が花を咲かせなくとも、妙法という平和の種をまこう”と、師と共に走った無名の先達がいたことを――。感謝と決意で見上げる5月3日の空である。
5・3の名字の言に想う、父の青春時代でした。

