二度とない人生だれに遠慮がいるものか
花と咲け 花よ咲け 心に咲け
暮らしに咲け 大きく咲け
とは池田大作写真展でのコメントです。
近頃、そんな気持ちになっています。
自由とは、仏法で如実知見、つまり「実の如く知見す」とは、仏の知恵についていわれたものですが、自分が思い描いた観念的な基準にこだわり縛られるのではなく、ありなままの現実を見つめて、なんらかのよい面を、楽しいことを発見し、それを活かしていこうすることです。(新人間革命第6巻P.37より一部引用)
人生は、すべてが一念で決まる。そしてそれが観念ではなく現実の世界となって見えてくる。
自由自在の天地が、現実となってくる。
新・人間革命(第24巻P.58)に山本伸一が、危篤状態の母に御書の一節を講義する場面が出てきます。
「妙覚の山に走り登って四方をきっと見るならば・あら面白や法界寂光にして…」「松野殿御返事」の一節です。
死も、なんら恐れることはないんです。死後も、楽しく、悠々と大空を翔ける大鳥のごとき、自由自在の境涯がまっているんです
母は、病床に伏しながら、「うん、うん」と目を輝かせて頷き伸一の話を聞いていた。それは伸一が母のために行う、最初で最後の講義であった。
自由自在は何と素晴らしいことか。実にすばらしいと思います。
人生が限りなく広がって行く。毎日毎日繰り広げられるひとコマひとコマを大切にしながら、現実をありのままに楽しんでいる。「有名でも何でもない一人の人生で、かくも人生は素晴らしい」と言えるような自由自在の人生でありたい。