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四苦の生,老,病,死のうち、特に老,病,死の3ッは人生の終盤に折り重なってやってくる。
その老,病,死のそれぞれに対する嫌悪には、心に巣食う驕りがある。
- 老者に対する嫌悪は、若者の驕り
- 病者に対する嫌悪は、健者の驕り
- 死者に対する嫌悪は、生者の驕り
池田先生は論じてる
人の心に刺さった、見え難き「一本の矢」がある。この「一本の矢」は差異へのこだわりだ。
その差異へのこだわりは、自分の生命の領域を自分で小さくし、塞いでしまうことになる。
老いや病に直面した人々を、それがやがて自分にも訪れることを看過して、忌むべきものと差別してしまう ”心の驕り” が「自己責任論」に通じるものになっている。
あるものは運命論を甘受し、あるものは傍観を正当化する。
他人が病気や老いに苦しむ姿を見て、人生における敗北であるかのように見なすことは、誤りであるばかりか、互いの尊厳を貶めることにつながってしまう。
生命の尊厳とは、苦悩をわかちあい、どこまでも心を尽くすなかで、自他ともの幸福への道を拓く生き方でなくてはならない。
そういった社会へと変革することが仏法の目的であり、広宣流布でもある。
否、社会の変革を目指す宗教でなければ、それは宗教ではない。
他への影響力を持たない宗教は、どんなに心の奥深いところで、共感し、同苦したとしても、無為である。
共に乗り越えようと、祈り唱題する中にしか自己拡大はないからだ。
大白蓮華2014年12月号 池田SGI会長指導選集「幸福と平和を創る知恵」
に感銘し、一部内容を、そのまま引用しています
親友のIwさんが胃癌と診断され、あさって17日手術することとなった。今や胃癌は不治の病ではなくなったが、手術の成功を祈っている。人ごととは思えない。手術後も元気で活躍できるように、題目を送ります。