「理論と実験証明」の往還作業

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そもそも教育は、子どものためのものであり、” 国家の専有物 ” であってはならない。教科書検定や学習指導要領を含め、国家が教育内容の細部に至るまで深く関与する制度のもとでは、学校や教員の自律性だけでなく、子どもの個性や創造性を育む土壌も育ちません。

今後は、統一的な基準は大枠のものに止め、運用にあたっ ては現場の主体性を尊重する方向で調整していくべきではな いでしょうか。

その一方で、「学校の教育力」を高めていくために、現場でさまざまな試行錯誤が繰り返されているように、教員が互いに向上を図っていく取り組みを積極的に行っていくべきです。

昨今の改革論議の中で、「教員免許の更新制」など教員個々人の資質を問う制度も提案されていますが、本当の意味で「学校の教育力」を高めていくには、学校全体が一丸となって挑 戦をする環境こそが求められると私は思います。
たとえば、「開かれた教室」をモットーに教科や学校の枠を飛び越えて、すべての教員が定期的に自らの授業を公開し校内研修を行う制度や、近隣校との交流を兼ねた教育研修を 進めることも考えられましょう。

一般企業においても、終身雇用や年功序列を軸とする日本型システムが限界にきているように、よい意味での競い合い がなければ、人間の集団は活性化しません。

学校教育の向上のためには、教員同士が立場の違いを超え て、
” 刺激 ” し ” 触発 ” し合う場が必要であり、ともに切磋琢磨し、連帯感を深めながら「学校の教育力」を高めていく努力が不可欠でありましょう。

また、保護者や地域関係者への学校公開日を定期的に設けたり、同じ地域にある高校・中学・小学校の教員間の意見交 換を積極的に行うことも、地域での協力関係を深める上で役立つのではないでしょうか。

学校教育の充実のために、私がもう一つ提案しておきたいのが、さまざまなタイプの学校の認可と、「実験的な授業」の奨励です。

諸外国では、一般的な学校とは異なる教育のあり方を志向する、さまざまなスクールが認可を受けて運営されています。その例としては、シュタイナー学校のような独自の教育思想に基づいた学校や、アメリカの「チャーター・スクール」、子どもが主体的に科目などを選択して学ぶことができる「フリー・スクール」などがあります。

日本においても、こうした多様な学校の存在を求める声が少なくありません。教育改革国民会議でも、新しいタイプの公立学校として地域が設置し地域が運営する「コミュニティ・ スクール」の設置が論議されていますが、一考に値するものといえましょう。

私は、教育の新たな可能性を実践的に示す意義から、新しいタイプの学校の認可要件を緩和し、一方で教育実践の成果を報告する制度を設けてはどうかと提案したい。また、既存 の学校にも「実験的な授業」を行うことを奨励し、同様に実践報告を募る制度を整えていってはどうかと思うものです。 ” 学びからの逃走 ” 傾向が憂慮されるなか、学校が子ども にとって常に ” 学ぶ喜びの場 ” となり ” 生きる喜びの場 ” となるよう挑戦を続けることが、教育の生命線です。 文部省では今年度から、国公私立を問わず、現場で独自のカリキュラムに取り組むことのできる「研究開発学校」の希望を募り、財政支援を行う制度をスタートさせました。

現場の創意工夫を奨励する制度の誕生を、私は歓迎するものですが、こうして積み上げられた成果を分析し、情報の 共有化を図ることによって、教育界全体の向上に資するべき と考えるのです。

かつて哲学者デューイが、シカゴの実験室学校における成果を踏まえ、教育理論を練り上げていったように、教育にお いては理論と実験証明の往還作業が欠かせません。

牧口初代会長の『創価教育学体系』や、戸田第二代会長の『推 理式指導算術』などの著作も、教育者として現場で具体的実 践を重ねる中で生み出されたものでありました。