ゲノム科学を変えるCRISPR

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

遺伝子工学の時代が幕を開けたのは1970年代だ。バーグ(Paul Berg)が細菌に感染するウイルスのDNAをサルに感染するウイルスのDNAに挿入することに成功し,ボイヤー(Herbert W. Boyer)とコーエン(Stanley N. Cohen)は導入した遺伝子が何世代にも引き継がれて働き続ける生命体を作り出した。1970年代後半には,ボイヤーらが設立したジェネンテック社が合成ヒト遺伝子を組み込んだ大腸菌を使って糖尿病治療用のインスリンを量産するに至った。そして米国中の研究所で,疾患の研究に遺伝子組み換えマウスが使われるようになった。
こうした成功は医学の潮流を変えた。だが,初期の方法には2つの大きな欠点があった。正確性が足りないことと拡張が難しいことだ。DNAを特定の位置で切断できるタンパク質が1990年代に設計され,1つ目の欠点は克服された。DNAを無作為に細胞に導入し,有益な変異が起こることを願っていた時代に比べると,格段の進歩だ。とはいえ,この段階ではまだ,狙いのDNA配列ごとに新しいタンパク質をこしらえなければならず,それは時間がかかり,骨の折れる作業だった。
ところが2年前(=2013年),スウェーデンにあるウメオ大学のシャルパンティエ(Emmanuelle Charpentier)とカリフォルニア大学バークレー校のダウドナ(Jennifer Doudna)の研究室のチームが,ゲノムを迅速かつ容易に編集できる遺伝的メカニズムを細胞内に発見したと報告した。その後間もなく,ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学の研究チームが,この技術を使えば1個の細胞のゲノムに複数の変更を高精度でいっぺんに加えられることを示した。
この進歩に遺伝子改変業界は活気づいている。遺伝学と医学の分野に重要かつ有益な影響を及ぼすことがほぼ確実だからだ。以前は約1年がかりの仕事だった特注の遺伝子組み換え実験動物の作製が,今では数週間でできる。科学者はこの技術を使ってHIV感染症やアルツハイマー病,統合失調症など様々な疾患の治療法を探っている。ただ一方で,この技術は遺伝子を非常に容易かつ低コストで改変できるため,一部の倫理学者は負の結果をもたらす恐れがあると警鐘を鳴らしている。
この技術は,細菌のDNAに見られる反復配列(Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeat)にちなんでCRISPR(クリスパー)と呼ばれている。この奇妙な遺伝子配列は犯人の顔写真のようなもので,細菌はかつて自分を攻撃してきたウイルスをここに記憶している。1980年代後半に日本の研究者によって発見されて以来,ずっと研究されてきたが,ダウドナとシャルパンティエのチームがCas9 (CRISPR-AssociatedProteins 9)と呼ばれるタンパク質を使う方法を発見するまで,CRISPRが遺伝子編集ツールとして有望なことははっきりしていなかった。