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2013年12月17日、イタイイタイ病、救済決着 被害者団体と三井金属が合意:朝日新聞デジタルのニュースが飛び込んできた。
モリパパが三井金属に入社したのは1974年。イ病の最終結審(敗訴決定)が1972年8月だったから、敗訴決定してから入社したもの。入社して10年ほどイ病の後始末である土壌改良に関する仕事に携わったが、以後営業畑を歩いてきた。
既に、遠い記憶になりかけていたイ病について、突然の記事で驚いた。
三井金属のOB会が2014年1月29日開かれ、イ病問題の関係者だったOBへの説明会として本社で開かれた。
聞けば、社長挨拶の途中、スタンディングオベーション(Standing ovation)で拍手が自然に起きたとのこと。
何が真実だったのかはともかく、気持ちの整理にはなった。
三井金属にいた当時、こんな日が来るとは思っていなかった。Cdが本当に原因物質であったかという真実より、イ病の歴史的事実が大切で、真実より事実が勝る。