核兵器禁止条約の奥座敷

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

核兵器禁止条約の会議で、空席となった日本政府代表席に、こんなメッセージが書かれた折り鶴が置かれていた。

wish you were here
(あなたがここにいてほしかった)

唯一の被爆国として、核保有国と非核保有国の橋渡し役を務めようとした、岸田外相(当時)は交渉参加をギリギリまで模索したが、トランプ米大統領を刺激すべきではないという、首相官邸の意向を覆すことはできなかったそうです。

核に縛られる日本 (角川新書)は今年(2017年)8月脱稿、10月10日初版発行されたものです。最近の核兵器禁止条約の奥座敷を取材してます。
著者 田井中雅人は、核兵器使用の源点に遡って、真実を探り、精力的なルポをしてReportage、一歩踏み込んだ、意欲的な本です。勉強になりました。

広島・長崎の1年前(1994年9/18)、「ハイドパーク覚書」即ち、ルーズベルトとチャーチルの密約があり、Tube Alloys (原爆開発計画暗号名)は、日本人に対して使われるとしていたそうです。

Harry-Truman

ルーズベルトの急逝で、急遽 大統領となったトルーマンにより、世界で初めて核兵器が使われました。
その威力と恐ろしさに、トルーマンはローマ法王の態度に懸念を抱いたといいます。
また「マンハッタン計画」の責任者だったスティムソン(元陸軍長官)の言説を借りて核爆弾使用を単純化し正当化しようとしました。

原爆を使用せず、仮に日本本土上陸作戦を実施すれば、米軍だけでも100万人以上の死傷者を出すかも知れなかった。

これが世界で唯一、核兵器を使用したアメリカの支えとなり「核兵器の正当性」がコンセンサスを得ていくことになりました。

しかしそうでしょうか?「核の傘」や「核の均衡」といった考え方は、核を戦術的な視点でしか捉えていません。
人道的な視点からみて、核の正当性など絶対に擁護されません。
殺人は自然法から見て犯罪であるように正当化できないのです。核の正当性は、生命尊厳の本質から目を背けさせる、詭弁でしかありません。

勝者の発想が産んだ核の正当性が、今日こんにち米国のズルイ意識です。
どうしても「核兵器は絶対悪」と言えない。「悪の烙印を押すstigmatize」ことができない米国の意識なのです。

  1. 言論と表現の自由
  2. 信教にの自由
  3. 困窮からの自由
  4. 恐怖からの自由

ルーズベルトが一般教書で「4つの自由」を讃えたうち、核の正当性を謳ったことで「恐怖からの自由」を、米国自らが失ってしまいました。
米国の「恐怖からの自由」と「核の正当性」のジレンマを観る思いがします。

オバマ氏の広島訪問への返礼のように、安倍首相が2016年12月27日に真珠湾を訪問しました。
同等に相殺できるものではありません。

“No more Perl heaver”と”Remember Hiroshima”とは次元が違います。
Perl heaverは日本軍の奇襲攻撃を非難する日米史上のメモリアルです。
これに対しHiroshimaは、核による無差別攻撃と後遺症を負った悲惨な史実を非難する人類史上のメモリアルなのです。
このことに安倍外交は、判っていないのではないでしょうか?

ドイツでは、ナチスの過去に目を背けない、過去の歴史と対決する姿勢をとってきました。
悲しいことに日独「歴史認識」の差異を未だに引きずっていますが、それよりも悲しくも重大な問題があります。それは戦後に勝者となった米国の幼児性ともいえる、核の正当化なのです。
米国ではこうした「歴史認識」が今も認められているのです。

そうです。核兵器禁止条約の奥座敷で、米国にこのような核信仰がある限り、核の非人道性に対し「悪の烙印を押すstigmatize」ことができないのです。
そこに人間軽視、生命軽視の思想が横たわっているというのに。

冷戦以来の「不信のスパイラル」が⽣み出した核抑⽌政策の奥には、“⾃国を守るために、どれだけ多くの⺠衆の犠牲が⽣じてもやむを得ない”との⽣命軽視の思想が横たわっている。

唯⼀の戦争被爆国であり、⾮核三原則を掲げる⽇本が、“⾃分たちの⽣きている間に核兵器のない世界の実現を⾒届けたい” と命を懸ての⾏動を続けてきた被爆者の⽅々の思いをかみしめて条約への参加に向けた検討に踏み出すことを強く訴えたい。

「⼈類の平和と⽣存」へ市⺠社会の⼒を結集し意識転換を より

毒ガス、化学兵器、生物兵器、対人地雷、クラスター爆弾など、禁止条約は全て人道的見地から支持を得て締結されました。今では世界的な規範となりました。最後の砦が核兵器禁止条約です。

21世紀が、軍事、経済を乗り越え「人道」の世紀となるように、核兵器禁止条約の締結が象徴的な意味を持つと考えます。
この条約のまえがきは、以下のような文言でくくられています。

核兵器廃絶への呼びかけでも明らかなように人間性の原則の推進における公共の良心の役割を強調し、国連や国際赤十字・赤新月運動、その他の国際・地域の機構、非政府組織、宗教指導者、国会議員、学界ならびにヒバクシャによる目的達成への努力を認識する。

我々にはいま、モラル コンパス(倫理基準)が問われています。
これを見失うことが、危険なのだということを一人ひとりが意識しなくてはなりません。
人道の世紀のメルクマールが、核兵器禁止条約となることでしょう。またそうなることを期待しています。

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