Ageism(年齢差別)

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

世に差別は色々ありますが、年齢差別もそのひとつでしょう。
年を取るのがとても難しいのは、年齢差別の問題だといいます。それは私たちの将来に寄り添って来る年齢への偏見のようです。
Ashton Applewhite は、この年齢差別(エイジズム Ageism)を無くそうと訴えます。
近頃、ポピュリズムPopulism レイシズムRacismセクシズムSexismなどイズムという用語をよく目にするようになりました。
エイジズムAgeismという発想が飛び出してくるのは、さすが差別や偏見に対して厳しい国、アメリカならではの自由な発想です。

ここにいる皆さん全員が歳をとるということは、どういうことでしょうか?
私たちの殆どが、そんな将来に震え上がってます。「老い」と聞いて、どんな感じで受けとめますか?
— 私も以前、同様に感じていました。私が最も心配していたのは?どこかの陰気臭い施設の廊下でよだれを垂らしている自分の末路です。
その後、老人ホームで暮らしているのはアメリカの老齢人口の たった4%だけだと知りました。そして、その割合は減ってきています。
その他に私が恐れていたのは?認知症です。でも殆どの人は 最後まで頭がしっかりしています。認知症になる率も減ってきています。本当に蔓延しているのは、物忘れへの不安ですね。
そしてまた、年老いて、もうすぐ死んでしまうのだと思うと、老人たちは、鬱々となるものだと思っていました。
でも実は長生きすればするほど、死への恐れを感じなくなり、実は、人は生まれた時と死ぬ時が、一番幸せなのだそうです。
これが「幸せのU(ユー)カーブ」です。世界中の何十もの研究が、これを裏付けています。仏教徒?や億万長者になる必要はありません。老化が脳に影響を及ぼしてこの曲線になります。
ということで、私には歳を取ることが、もっと明るく思えてきました。そして、なぜこれを知られれていなかったのか?気になり出しました。
その理由は「エイジズム」、年齢による差別とステレオタイプ化です。即ち、判で押したように多くの人に浸透している先入観や思い込みだということです。誰かが私たちの経験や能力ではなく「〜をするには歳を取り過ぎている」あるいは「若すぎる」と決めつける偏見。それがエイジズムです。
エイジズムは諸刃の剣です。「〜イズム」というものは社会的に構築された概念です。人種差別、性差別、同性愛差別など、私たちはそうした概念を作り上げるものです。
それらは、時と共に変わりますが、こうした差別による偏見は「現状を維持する為」に、私たちを互いに競わせます。
アメリカの自動車工場労働者が、協力して賃上げを要求する代わりに、メキシコの労働者達と生産性を競うようなものです。
人種や性別で差別するのは、悪いことだと皆知っています。
では、なぜ若者と年寄りのニーズを、天秤に掛けるのは問題無いのでしょう?
偏見は、特定のグループの人々を、自分たちではない者として見る — 「他者化」によって起こります。
他の人種、他の宗教の信者、外国籍の持ち主 — エイジズムの奇妙なところは、その「他者」は私たち自身だということ。 [エイジズムは未来の自分への差別]だということです。エイジズムは 私たちが いずれは老人になるという事実を受け入れたくない気持ち、現実否定につけ込みます。
若作りするときやアンチエイジング製品に頼るとき、衰えた自分の体に裏切られていると感じるとき、私たちは現実を否定しているのです。
どうして歳を重ねるにつれて、身に付けてた、適応し成長する能力を有難がらなくなるのでしょう?
何故「よく老いる」ということが、自分の若い頃の姿や動きを目指して、悪戦苦闘することを指すのでしょう?
年寄りと言われるのが恥ずかしいのは、恥だと思うのをやめないからです。未来を恐れながら送る人生なんて不健康です。老いの拒絶という袋小路から出るのが早ければ早いほど健全です
もちろん即ち、判で押したように多くの人に浸透している先入観や思い込みによるステレオタイプ化は、常に間違いです。特に年齢に関してはそうです。
長生きすればするほど、私たちは他の人と違ってくるからです 。そうでしょう?考えてみて。なのに私たちは老人ホームに入った人々を、こう考えがちです。
皆同じ「年寄り」—その期間が40年も続き得るのに、
— 20〜60代の人々のことを、十把一絡げに考えるなんて想像できますか?
パーティーの場でまず 同年代の人々を探してしまいますか? ミレニアムの世代が我が物顔だと、苦言を言ったことは?
年齢に見合わないからという理由で 髪型、交際、お出かけを断念したことは?
大人にはそんな決まりはありません、こうしたものは全て年齢差別です。

私たちは皆、年齢差別をしていますが、偏見は自覚しない限り乗り越えることができません。
生まれながら年齢差別主義者なんていません。それは幼少期に始まり、この頃から人種と性別への態度が決まり始めます。
人生の晩年に、否定的なメッセージが、メディアやポップカルチャーから、絶え間なく降り注ぐせいでしょう?「シワは醜い」「老人は惨め」「年をとるのは悲しいこと」というように
ハリウッドをみてください。最近のアカデミー作品賞候補を調査すると、60才以上です。セリフや名前のある登場人物は、たった12%、しかも殆ど障害を持つ姿で描かれていました。 高齢者が年齢差別主義者になり得るのは、一生かけてこうしたメッセージを内面化しそれを疑いもしてこなかったからです。
私はそれを自覚し、加担することを止めなければならないと思いました。例えば「物忘れ」を「年寄りの瞬間」と 言うのは止めました。こう気づいたからです、高校時代に車の鍵を無くしてしまった時に「若さの瞬間だ」なんて言わなかったって。
膝の痛みを64歳という年齢のせいにするのは止めました。もう一方の膝は同じ歳でも、痛みもしなかったんですから。
私たちは皆、年老いることの何かしら恐れを抱いています。
貧しくなること、病気になったり、独りになること。そうした恐怖は当然だし現実のものです。
でも私たちのほとんどが気づかないのは、老いるという経験は その人の周りの文化背景により、良くも悪くもなるということです。女性器を持つことが女性の人生を、辛くさせるのではありません。性差別がそうさせるのです
男性を愛するから、ゲイの男性の人生が辛いのではありません 。同性愛差別がそうさせているのです。
老いることを必要以上に辛くするのは、時間の経過ではなく、年齢差別(エイジズム)です。ラベルの文字が見づらかったり、手すりがなかったり、瓶を開けられなかったりする時、私たちは自分を責めてしまいます。
「上手く歳を取れていない」と、自然な老化現象を恥ずべきことだとするエイジズムやこうしたことを受け入れさせてしまいます。 差別こそを責める代わりにです。
満ち足りた気持ちからは搾取できませんが、恥や恐れという感情は市場を生みます。そして資本主義はいつも 新たな市場を必要としています。
シワが醜いと言う張本人は?何十億ドル規模のスキンケア業界です。誰が閉経や男性ホルモンの低下、軽度の認知機能の低下が、医学的な症状だと?1兆ドル規模の製薬業界です。
こうした力の作用が はっきりと見えるほどよりポジティブで正確なナラティブ(事態の描写)を思い浮かべ易くなります。 歳を取ることは正さなければならない問題や治療されるべき病ではありません。
これは私たち全員に共通する自然で力強い 生涯に渡るプロセスです。

文化を変容するというのは叶わないことは分かっていますが、 文化は流動的です。私の生きている間に女性の地位がどれ程変わったか、あるいは同性愛の権利が数十年で格段に向上したかを見てみてくださいね?
ジェンダーも過去には、男性か女性の2つだけだと考えられていましたが、今は幅のあるものとして捉えられています。
今や「若いか年寄りか」という二極思考を捨て去るときです。 若さと老齢との間に、後はみな「下り坂」だというような明確な線引きなどできません。
この二極思考に立ち向かうのを先延ばしにすればするほど、私たちや私たちの居場所への悪影響は大きくなります。
例えば年齢差別が横行する職場。シリコンバレーではエンジニア達がボトックス注射や植毛をして大事な面接に臨みます。専門的な技能を持った30代の白人男性がですよ。
— これがもっと弱者の場合ならどうなると思います?
個人的、経済的な影響は悲惨なものです。高齢労働者に対するステレオタイプ、即ち、判で押したように多くの人に浸透している先入観や思い込みでまともなものはひとつもありません。
会社に適応力や創造性があるのは、社員が若いからではありません、社員が若いにも関わらず適応力や創造性があるんです。
会社は — 多様性のある会社は、単に働きやすい場所というだけでなく、業績も良いんです。人種や性別と同様、年齢も多様性の基準であるはずです。
徐々に増えつつある興味深い研究の数々は、加齢に対する姿勢が、私たちの心や身体の機能に細胞レベルでいかに影響するかを示しています。
私たちがお年寄りに、こういう風に(大声で)話しかけたり 「おばあちゃん」だとか、「お嬢ちゃん」だとか、幼児言葉で呼びかけるとき、~ 皆 途端に老け込んで 歩き方や話し方が、弱々しくなってしまいます。
老化についてより前向きな感覚の人は、より速く歩き、記憶力テストの成績も良く、怪我や病気の治癒も速い、長生きしています。
脳が老人斑と神経原線維変化で満ちても、最後まで頭がしっかりしていた人々がいます。彼らの共通項は何だったでしょう?
目的意識です。そして晩年に人々が目的意識を持つことを阻むのは何か?老人になれば人生の舞台から降りるものだと教え込むような文化です。
こうした理由で世界保健機関(WHO)が世界規模の反エイジズム・イニシアチブを展開し、寿命だけでなく健康寿命のスパンを延ばそうとしているのです。
女性はエイジズムと性差別の二重苦を被り、男性とは違う加齢経験をします。ダブル・スタンダードですよ。オドロキ!
「老いることが男性の価値を高め、女性の価値を下げる」という考えです。
女性は競って若さを保とうとして、このダブルスタンダードを増長させてしまいます。これも「自分を責めて何かを失う」という振る舞いです。
ここにいる女性の中で、本当にご自分が昔の自分よりも衰えていると — 面白みが無く、ベッドでもそう。価値が下がったと信じている方はいますか?
年齢差別は私たちの健康や幸せや収入を左右し、その影響は時間とともに蓄積し、人種や社会的階層と相まって、さらに悪化します。世界中で最も貧しいのが有色人種の高齢女性なのはそのためです。
このマップの通り、2050年までに私たちの5人に1人、およそ20億人が 60歳以上になります。
長寿は人類の進歩の基本的な証です。高齢者人口はかつては無かった広大な未踏の市場でもあるのです。

そして資本主義や都市化は年齢バイアスを世界中のあらゆる国々へと広げました。
老人たちの居心地が最も良いスイスから、高齢者の暮らしやすさランキング最下位のアフガニスタンまで、世界各国の半数は そのリストに載ってすらいません。
何百万というお年寄りのデータをわざわざ集めようなんて思わないからです。世界中の60歳以上の人々のおよそ2/3は 医療に手が届かないと訴えています。
およそ3/4の人が、彼らの収入では食料、水、電気、まともな住居といった基本サービスの支払いができないと訴えてます。
これは100歳まで生きるであろう子供達に [エイジズムは世界規模の人権問題] 遺したい世界ですか?
[エイジズムは世界規模の人権問題] あらゆる年齢、ジェンダー、国籍の 全ての人がいずれは老人になるんです。
エイジズムを止めない限り、それは私たちを抑圧し続けるでしょう。そしてエイジズムは 権利擁護活動の格好のテーマです

では 人種差別(レイシズム)をはじめ権利擁護が必要な差別がこれほどあるのに何故もう1つ加えるのでしょう?
こういうことです。選ぶ必要なんてないんです。私たちがこの世界を安心して歳を取れる場所にするとき、ここは他の場所から移住しても、障害を持っていても、同性愛者の人にも、金持ちや白人でない人にも、居心地良い場所になります。
あらゆる年齢の人が、皆にとって最も大切なことを行動に移せば、例えば鯨を救うとか、民主主義を救うなど、
— その運動をより効果的にするだけでなく、その過程でエイジズムを無くしていけるんです。
長生きは当然のことなんです。エイジズムを終わらせる運動が起こっています。
[エイジ・プライド!]
私はその一員 あなたも加わってください。

ありがとう!やりましょう!

日本では高齢者問題を、財政問題、施設の問題、孤独の問題などある意味でマイナス思考で取り上げることが多いのですが、これを社会問題としてプラス思考で捉まえなくてはいけません。
Ashton Applewhite の最後のメッセージ「Age Pride!」は素晴らしい。

“エイジズム(年齢差別)に立ち向かおう”クイズ

最後に、右の“エイジズム(年齢差別)に立ち向かおう”クイズに答えてみてください。あなた自身が、エイジズムの魔法を解けるかどうか、自己診断してみましょう。

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