【夜と霧】…それでも生に然りと言う

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

言語を絶する感動と評された【夜と霧 新版】(ヴィクトル・フランクル Viktor E. Frankl著、池田香代子訳)を読んだ。

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【夜と霧】
これは夜陰に乗じ、霧にまぎれて人々がいずことなく連れ去られ、消え去った歴史的事実を表現する言い回しだそうです。訳者 霜山徳爾が付けた表題です。

池田香代子訳の新版も【夜と霧 新版】と表題が踏襲されました。

… trotzdem Ja zum Leben sagen

原著は …trotzdem Ja zum Leben sagen
(…それでも生に然り”Ja”と言う)が表題です。

アウシュビッツを始め、強制収容所の中で起る号令、鉄拳、足蹴り、非情、嗜虐しぎゃく行為、睡眠不足、飢餓、極度な栄養失調、飢餓浮腫、譫妄せんもう、幻覚、発疹チフス、自殺、死体…
そんな地獄絵のような強制収容所での自らの体験を通し、心理学者・精神科医フランクルが書き残した名著です。

Viktor E. Frankl (1905 ~ 1997)

体験したことがない、われわれにとって到底理解できそうにない極限におかれた人々の心理状態を突き詰めていく。
強制収容所を舞台に、人々がどうやって精神の平衡を保つようにしたか?又は崩壊したか?

人間存在それ自体にまで及ぶ考察と洞察。それは心理学というより哲学的な領域に踏み込んで行きます。

心理学者のフランクルによって、人間の奥深いところの「心」の状況を刻銘に記述して行きます。

ほんのひとにぎりではあるにせよ、内面に深まる人々がいた。もともと精神的な生活を営んでいた感受性の強い人々が、その感じやすさとはうらはらに、精神にそれほどダメージを受けないことがままあったのだ。そうした人々には、おぞましい世界から遠ざかり、精神の自由の国、豊かな内面へと立ち戻る道が開けていた。繊細な被収容者のほうが、粗野な人々よりも収容所生活よく耐えたという逆説は、ここからしか説明できない。

繊細ではあるが、粘り強く強靭な精神こそが、”生”に強い。またそうありたい。そう生きたい。

ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在に備わっている何かなのだ。
(中略)
ユーモアへの意思、ものごとをなんとか洒落のめそうとする試みは、いわばまやかしだ。だとしても、それは生きるためのまやかしだ。収容所生活は極端なことばかりで、苦しみの大小は問題ではないということをふまえたうえで、生きるためにはこのような姿勢もありうるのだ。
たとえば、こうも言えるだろう。人間の苦悩は気体の塊のようなもの、ある空間に注入された一定量の気体のようなものだ。空気の大きさにかかわらず。気体は均一にいきわたる。それと同じように、苦悩は大きくても小さくても人間の塊に、人間の意識にいきわたる。人間の苦悩の「大きさ」はとことんどうでもよく、だから逆に、ほんの小さなことも大きな喜びとなりうるのだ。

ユーモアが、生きていくためにかくも重要なだったとは、簡単には理解できない。人間性の証しこそユーモアなのかも知れない。

人間の命や人格の尊厳などどこ吹く風という周囲の雰囲気、人間を意思などもたない、絶滅対策のたんなる対象と見なし、この最終目的に先立って肉体的労働力をとことん利用し尽くす搾取政策を適用してくる周囲の雰囲気、こうした雰囲気のなかでは、ついにはみずからの自我までが無価値なものに思えてくるのだ。

自我まで無価値なものに思えてきたら、いったいどうなんだろう? 生きていけるのか?… どうなんだろう?

苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむことにもまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。
おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いであった。生きしのげられないのなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。
しかし、わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆のといであった。すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖ぎょうこうに左右されるわけで、そんな生はもともと生きるにあたいしないのだから。

「運命も死ぬことも生きることの一部」といった表現は、仏法(法華経)でいう生死不二に通ずる洞察だ。言い換えれば「死ぬことも生きることも生命いのちのあり方」ということになろう。
軽々に語ることではないが、生命とは不思議なものです。「れ法性の起、れ法性の滅」といった仏法用語に通底しています。

飛躍するが、極論すれば「生も地獄、死も地獄」といった一面もあれば、「生も歓喜、死も歓喜」といった生命状態もあります。余りにも極端ですが、生命いのちほど不思議はないと思います。

被収容者として過ごす時間がもたらす苛酷さのもとで高いレベルへと飛躍することはないのだ。その可能性は、原則としてあった。もちろん、そんなことができるのは、ごく限られた人びとだけであった。しかし彼らは、外面的には破綻し、死すらもさけられない状況にあってなお、人間としての崇高さにたっしたのだ。

あり得ないようなことが、現実にあったと言っている。
精神の昇華とでも言ったらいいのか?生命いのちとは何かを覚知する人が居たというのだ。
極限状態におかれた譫妄せんもうからではなく、覚醒したなかで得た覚知なのだそうです。

ひるがえって、生きる目的を見出せず。生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も失った人はいたましい限りだった。そのような人びとのよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶するとき、彼らが口にするのはきまってこんな言葉だ。
「生きていることにもうなんにも期待がもてない。」こんな言葉にたいして、いったいどう応えたらいいのだろう。

崩れていく時は決まって自分の中で「闘いを放棄」するときだそうです。

具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務とたった一度だけ課せられる責務としなければならないだろう。
人間は苦しみと向きあい、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。
だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりにになって苦しみをとことん苦しむことはできない。

宇宙と自分、どこかで通じていることを覚知する状態を言っているようです。悟達といっていいものなのかもしれません。

人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある、この存在することの無限の意味は苦しむことと死ぬことを、苦と死をも含むのだ、と私は語った。

これは、最後の段に出てくる。フランクが収容所で自ら語った言葉だ。極限状態の中で人間を肯定をすること、人間の尊厳を疑わないことが、意味があると言うこと自体が心を打ちます。

わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っも毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。

フランクは最後に人間の意味を説明している。人間=生命いのちの意味を語っている。そして死に対峙しても、祈れる屹立とした自己が持てるのも、人間だと言っています。


初めて「夜と霧」を訳した霜下徳爾は、こう述べている。

このような超国家主義の悲劇は、周知のように本邦にも存在し、多くの死と不幸を人びとにもたらした。軍閥は相克しつつ堕落し、良識ある国民、特に知識階級に対しては、国家神道の強制、および治安維持法による(ナチスに負けない)残忍な逮捕、無期限な留置、拷問、懲役で、「転向」を強制するのであった。

…と言うように、フランクルが体験したと同じような状況が、現実、この日本にもあったのだ。

そう、周知のように創価学会 初代会長の牧口常三郎は治安維持法により逮捕・投獄され、獄死した。第2代会長の戸田城聖も投獄された。その残忍な獄中生活を重ねあわせて、この本を読んだ。
戸田先生は、このような体験の中から、否この体験があったればこそ、仏法(法華経)を深いところで理解できたのかもしれない。

強制収容所も拘置所の体験も持たないモリパパには、苦と死を突きつけられた精神状態がどういうものなのか、ほんとうのところは想像もできないが、フランクルの体験を通して、屹立として自立した精神を持つことが、人間としてどういうことなのか、人生の意味を一段深く考えさせられた。

この本は、中学・高校の頃に是非読んでおきたい本です。
人生の意味を真剣に問う、青春時代に読んでおきたい本です。

せっかくの人生である。深いところを理解して生きないと損だ。


Gustav Mahler作曲の交響曲“大地”の「大地の哀愁にそそぐ酒の歌(Das Trinklied Vom Jammer Der Erde)」はフランクルが好きだった曲です。霜山徳爾は、あとがきに「それは私もきわめて好んでいる曲であった。偶然の一致を喜んだ彼と私は、暗い夜道で、迷惑もかからないので、一緒に歌うことになった。」と書いています。

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