
山口県こと長州・萩に行ってきた。
ここは明治維新の胎動期に吉田松陰の私塾「松下村塾」があった場所です。
今では観光地になっている。明治維新のすさまじい変革の時代を知らない人たちまでが、神社仏閣を参拝するように来ています。

若き吉田松陰こと寅次郎は安政の大獄によって死罪を宣告され、江戸伝馬町の獄に殉節しました。29才の若さであった。
八畳間の松下村塾から明治維新が始まった。この部屋である
萩の街は小さい。未だに残る武家屋敷の佇まいを見て想った。
真っ直ぐな路地が、怜悧で理屈を真っ直ぐに通す気質を育てたのだろうか? 吉田松陰の真っ直ぐな気質、直情、人を諭し、感化した。この小さな萩の町並みが松陰にそうさせたように思った。
松陰の門下には、高杉晋作、久坂玄瑞、木戸孝允、山縣有朋、伊藤博文など明治維新に活躍した偉人が連なります。
明治初期、萩で反乱を起こすことになってしまった人物がいる。武家屋敷を歩きながら、やっと思い出した。前原一誠である。

前原一誠も松下村塾に学び、後に明治2年政府の参議にまで名を連ねたが、大久保率いる政府に意見が合わなくなり下野し萩に戻った。
そして明治9年、不平士族を統率して萩で挙兵し、敗走し萩で処刑された。
明治初期、士族は路頭に迷った。これまでの身分も俸禄も失った。
そしてその後、佐賀の江藤新平の乱、神風連の乱、西郷隆盛の西南の役へと歴史は繋がっていった。
いま明治維新の頃(170年前)を見ることはできない。ただ昔も咲いていたであろう梅の花の写真を撮った。(季節は梅花の頃だった)
そして、昔も在ったであろう「白砂青松」の海岸を眺めた。
泊まった千春楽旅館の前に、ぽつんと門だけがある空き地があった。いまの萩の街の象徴的な景色のように思えた。
明治維新は遠い歴史の彼方となった。
前原一誠について追記しておく。司馬遼太郎はこのように言っている。
前原もおなじく吉田松陰の門人で、多士済々といわれている松下村塾門のなかにあっては才略という点で他にゆずるにしても、人柄のよさはおそらく抜群であったであろう。<「翔ぶが如く」より>