千葉県の房総半島は、嘗て安房の国であった。大網から鴨川まで車で1泊2日の小旅行をしてきた。
源頼朝が挙兵して初戦の石橋山の戦い(小田原)で敗れ、ついに船で安房国へ落ち延びた。一敗地にまみれたのち、源頼朝は軍勢を立て直し、再興し、鎌倉幕府を開くに至った。八百年以上も遠い昔のことである。
また、安房の国は日蓮大聖人縁の地でもある。日蓮大聖人は鴨川の小湊に生まれた。そして清澄寺の持仏堂南面にて題目を唱え、立宗宣言(1253年)した。七百七十年前の昔のことである。
清澄寺へ行ってみた。深山幽谷の急峻な山奥にある。ここの南面から太平洋を望むことができる。この景色は日蓮大聖人の当時と変わらない筈だと思って、写真を撮った。

立宗宣言から若き日蓮の大闘争が始まった。国家諌暁の立正安国論(1260年)は鎌倉幕府を揺さぶった。故に、難(三災七難)が起きた。
小松原の法難(1264年)は、安房国東条(鴨川市天津)に住む門下の工藤吉隆の邸へ向かう途中、東条景信の軍勢に襲撃されたものだ。
工藤吉隆は討ち死にし、大聖人ご自身も眉間に傷を負い、左手を骨折された。
東条氏の館は鴨川にあった。今は「東条氏館跡」と書かれた錆びたプレートが有るだけだった。
現在の鴨川は、リゾートホテルやコンドミニアム、高級老人介護施設などが立ち並び鴨川シーワールドには観光客で賑ってる。

海岸では、朝からサーフィンで遊ぶ人たちがいた。

以前、興味を持った老人ホームについて
ラビドール御宿という高級老人ホームにも立ち寄ってみた。
外観を見ただけだが高級老人ホームというのが頷けた。
小さな街「大多喜」にも足を伸ばした。十万石の大多喜城の城下町です。大多喜には、いすみ鉄道が通っています。
桜で有名になった、いすみ鉄道はまだ災害復旧されていなかった。この分では桜の季節に間に合わないだろう。一昨年乗ったいすみ鉄道の旅で撮った写真だが、もうこんな光景は見られないだろう。

花粉症に悩まされなから、鎌倉時代と大聖人縁の地、鴨川の小旅行を無事終えた。ついでに御宿のラピドールや大多喜の城下街、移住者が集う「睦沢の道の駅」なども回ってきた。