介護が社会化する時代

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劇作家の著作はなかなか面白い。前田司郎、平田オリザの著作は面白かった。同じ劇作家の山崎正和の著作もこれまた面白い。
あれ?年齢が若い順(逆順)になってしまった。失礼!

日本人はどこへ向かっているのか」という、山崎氏の著作(潮出版社 2016年5月初版)を読んだ。

21世紀は、ボクらの生きた時代と違って来ている。「近代以前の社会なら格差など一顧だにされず、公務が私生活に優先されるのが当然だった」どうも社会規範そのものが、変化してきているようだ。もっと目を凝らして見ないと、今の21世紀という時代が見えないし、見失うような気がしてならない。

山崎氏は昭和9年生まれで、現在82才だ。だからこそ書けることがあります。

高齢者の人生は明日をも知れぬ毎日の連続である。それが営々と生きる動機は、若い人ががんばる源泉とは違っている。若者が明日の希望のために努力するのに対して、老人は明日はどうなるかわからないからこそ、今日をがんばるのである。

そして山崎氏はこの年で、まだ感性は研ぎ澄まされている。社会規範の変化もそうだが、介護が社会化する時代と見ています。

介護施設を「姥捨て山」のようにみなし、利用者を親不孝呼ばわりする時代遅れの固定観念から脱却することである。
考えてみれば、すでに日本の家族は変わり始めていて(中略)いわば、人生の出発点も終了後も、社会化の波に侵されている。
残る老後生活の社会化のためには、たぶん老人の主導が必要であって、親がまず子や孫を対等な他者として突き放すことである。そのうえで彼らとたまの晩餐など、社交的な交わりを結べばよいのであって、この新しい家族関係が意外に楽しげであるのを、私は自分が住むホームでしばしば目撃してきた。

介護の責任主体の所在は、従来家族であって、訪問介護やデイケアは補助的のものだった。しかし今、介護の責任主体そのものが社会に移る時代だと言っている。確かに時代は変わってきたと思う。山崎氏自身、ホームに入っており、こう言っている。

ホームに入る人は子や孫とも一定の距離を置き、末期まつごの面倒をかけないという覚悟を固めている(中略)ときにレストランで入居者の孫らしき若者の姿も見るが、彼らもそういう祖父母を温かく理解しているように感じられる。家族を純粋な客として食事を楽しんでいる老婦人の表情には、日本社会に新しい老人像が芽生えたのではないかと思わせるものがある。

自宅を売り払って入居する人もおり、子孫に残す遺産より、自分一代限りの人生との思い切りがある。そして都会的な生活空間で暮らすことを選んだわけで、じめついた処がないホームを最期の生活の場に選ぶ時代になりました。

お一人様もその予備軍も介護について他人事ではありません、今から考えておかねばなりません。2025年には団塊の世代が、一斉に75才になり、介護の人材不足が問題になっています。

2025年には38万人が不足する見込みだそうです。

介護人材に外国人の起用が検討され、経済連携協定(EPA)による介護福祉士の採用が、いよいよ法制化されます。

EPA介護福祉士はインドネシア、フィリピン、ベトナムからの人材起用で、すでに438人の方が資格取得しているそうです。
かつて、ドイツで労働力不足を補うために、人が流入、定住しました。その結果、外国人の介護が、今問題になってるそうです。

新しい時代の変化は、ゴールデン・シルバーにとっても無関係ではありません。

 

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