自分でも信じられないほどの高齢になった。75歳以上を後期高齢者と誰が決めたのだろうか?道理に叶ってるような気がする。
老後のステージにも幾つかあるとすれば75歳は、一つの変化点かも知れない。
耳が遠くなってきて補聴器がないと聞き取りにくくなってきた。
日帰り温泉の回数券を買って週1回は温泉へ行くようになった。
ふさふさの髪毛が薄くなり頭皮地肌が見える様になった。
トイレは近くなり、降圧剤は毎日欠かさず飲むようになった。
でも、健康だから旅行に行くことができる。旅行すれば日に1万歩は歩く。そして好きなワインがまだ飲める。
人は必ず死にます。遅かれ早かれ必ず死にます。死ぬまで楽しく過ごした方が良いなどと気楽に考えるようになった。
観光案内に行っておしゃべりしてた。年齢を聞かれて75歳になったと言ったら「人生楽しまないとね」と言われた。それも一度や二度でなかった。
旅行できるほどに健康であることに感謝している。それに金銭的にも余裕があることにも感謝している。
今年、誓願勤行会に参加したとき立ち寄った書店で「人生で大切な たった ひとつのこと」を買った。米国シラキュース大学のジョージ・ソーンダーズが書いて、NYタイムズでベストセラーになった本の復刻版です。外山滋比古が薦めてたので買ってみた。
書評を言うつもりはないけど、創価学会員なら、賛意を送るような内容の名著です。
実は人生で大切なことはそんなに多くないことが、75歳の後期高齢者にはよく分かってきました。
がむしゃらに勉強したが志望校をすべったこと。大学に入って大学院にまで進学してしまったこと。思わぬ巡り遭せで一部上場の企業に入社したこと。部長になり関係会社の役員となったが60歳の定年で会社を辞めたこと。子供たちも成長しそれぞれ家庭を持ち、今では4人の孫に恵まれたこと。
今では我が人生で大切なことは、たったひとつのような気がします。それは自己中心的でなく人に対して心遣いや、慈悲の精神で成し通してきたことが、いかに大切か?ということです。
心遣いとか、親切にするとか、他者への思いやりは実は簡単なことではありません。それも積極的に意識的に、人に労わることは大変な努力が必要なのです。そうです「いまだ懲りずに候う」といった努力です。
他人から「悠々自適な生活」と言われていますが、それでも老後の不安があります。それは孤独です。妻は20年前に亡くなり来年23回忌になります。人生の最後は「お一人様」になります。
今、サービス付き高齢者住宅で暮らしています。「お一人様」がたくさん居ます。英国で孤独省といった官庁があるそうですが、孤独は重大な社会問題にもなっています。
「茶飲み友達で良いから再婚しなさいよ」と言われたことがありますが、断ってきました。しかしいよいよ「お一人様」となると孤独になります。
そこで、まず「人生100年パスポート」といった信託に入りました。
認知度が落ちたときの備えに、判断力が低下したときに備えにこの信託に入りました。ですが金銭的な問題では多少安心ですが、「孤独」の解決にはなりません。
人は人に寄り添って生きるものです。でも、これもそんなに簡単なものではありません。
他者への気遣い、心遣いが自らに還ってくることになります。それも実は簡単なことではないのです。
「譬へば人のために火をともせば、我がまへ明らかなるがごとし」とは正しい。この歳になって、幸せなことにそんな特別の人が出来そうです。若い時なら恋人だの愛人だのと言うんでしょうが、後期高齢者にそんな言葉は不似合です。でもお互いに不安もなく暮らせれば、こんな幸せなことはありません。
もう少し言い足せば、心配したり心配されたりする人が近くにいることが幸福なのです。
さて、言いたいことはひとつだけです。人生で大切なことはひとつなんです。
ここまで勝手なことを書いて来て恥ずかしい「じじぃは 蜜の味」ですか? そう、ご結構な後期高齢者となりました。
頑張りのG、我慢のG、義理のG、すなわち3Gからすっかり離れて、真剣になったり深刻になったりせずになりました。
趣味に没頭(野鳥撮影)している後期高齢者の本音トークとお認め下さい。
いよいよ本格的な老後に入ります
最期まで幸せな人生であったと言えるよう、人生のバックボーン(信心)を貫き持って生活して参りましょう。嗚呼人生はかくも素晴らしいかった、と言えるように