今年の夏は北海道らしくなく天気が悪い。長雨が続いて肌寒く鬱陶しく、気が滅入るような日々が続いている。外出できないので読書で時間をつぶしている。
司馬遼太郎の「夏草の賦」を読んだ。司馬45~46才の若い頃の作品である。土佐の長宗我部元親の生涯を描いた物語である。上巻は元親が四国統一の覇権を握るまでを描き、下巻は秀吉の軍門に下り、衰退していく姿を描いている。
土佐の「一領具足」とは、長宗我部が作った半農半兵の兵士(武装農民)である。
この気風が土佐の幕末まで続いたと司馬は云っている。土佐といえば坂本龍馬である。この戦国時代が幕末まで影響したと司馬はみている。
歴史は精神風土を作るようで面白い。四国の僻地である土佐に育った精神風土は「一領具足」という平等思想が基盤になった。それが幕末にまで続いたと司馬は云う。 ここで司馬の文章を借りる。
「ひるむな、臆するな」と諸人を叱咤し「敵はすでにわれらが土佐人なることを知る。わが名を長宗我部の弥九郎なることを知る。臆せば末代までの恥である」 わめきつつ斬りふせいだ。
末代までの恥である。というのが鎌倉以来の武士の倫理の手きびしさであり、そのためには死をも厭わない。むしろ生を恥じた。戦国の武士道は弥九郎のそれよりももっと個人的であり、合理的であり、この場合も身一つで逃げてもかまわないのだが、土佐は僻地であるため、鎌倉風の武士気質が根強く残り、これが土壌にしみ入って幕末までつづいてゆく。
ついでながら、国によって士風が違う。信長や秀吉の機略や合理性を生みそだてた尾張は、海内有数の交通の要地であるために、早くから商業が発達し、商人の気質が濃く、武士も多分に商人じみ、鎌倉風の気質などほとんど片鱗もない。その隣国の三河はまるで気質が違ってきている。純農地帯で、武士も頑固で質朴な農民気質を持ち、その気質がここで発祥した徳川家康とその家臣団を特徴付けている。
弥九郎の敵の衆は、阿波人である。土佐とは、四国山脈一つをへだてた国でありながら、まるで別人種かとおもわれるほどに気質が違っていた。阿波はその東郊いっぱいが紀伊水道に面し、その海岸線には多くの商港があり、それらが海峡一つへだてて上方と向かい合っているため、古来ゆききがひんぱんで、ほとんど上方圏といってよく、気風もよく似ている。上方は公家、僧侶、商人のにおいの濃い土地で、鎌倉時代でさえ、いわゆる鎌倉武士の気風は持たず、武士らしいいさぎよさの美意識はこの圏内ではほとんど育たなかった。
司馬の歴史観は面白い。司馬の小説にはこの歴史観と気風がよく描かれている。 ちなみに私自身は尾張・岐阜の出身です。江戸時代より更に昔の気風が今に残るとした司馬の見方は尾張にも当てはまる。
元親の時代より下って江戸時代。山内一豊が土佐に転封される頃の小説「功名が辻」にも土佐のことが書かれている。「この頃でさえ土佐は土着の国だった」と言うから、土佐は余程辺境の地だったのだろう。
土佐が辺境の地であるが故に、坂本龍馬が出て、自由民権運動の中江兆民や板垣退助が出たという。歴史と精神風土が幕末を作ったと観ている。司馬遼太郎の小説の面白さはここにもある。
余談だが、最近日本のガラパゴス化が一層進んで来たような気がする。円安が進み日本自体が安くなってしまった。
だからインバウンドは盛んになって、日本人は萎縮して国内に留まりアウトバウンド(外)へ出なくなってしまった。日本人は”池の中の蛙”となって来ている。鎖国に似た状態を自ら作り出しているようだ。
北海道の辺境の地に住んでいながらそんなことを考えている。今は海外を駆け巡る必要のない老人になったが、この国の先行きを心配している。何となく日本人は萎縮しているような気がする。
いま一見平和に見える日本だが、強者が弱者を支配し、強者の横暴に翻弄され、それに随順している。
昔は今である。長宗我部が20年かけて四国統一を果たそうとした夢は、秀吉の天下に儚く消え、降伏した。更に徳川家康の天下に破れ、長宗我部家は消滅した。昔の出来事は今の世の中を映す鏡でもある。
強国の天下にあって、強国に翻弄される中で、真の平和はどうしたら実現できるのか? 強国による支配の中で均衡を保つような平和は脆い。強い意思を貫く民衆の正義ある声から平和は実現できないものだろうか?
