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電信柱は、それ自体が景観を汚くしているのですが、更に追い打ちをかけるように、電信柱に看板が取り付けられ、張り紙や不必要な案内まで付着している。
電信柱は看板柱となり、みんなで汚す処となっていたのです。見事に昭和の汚さを演じてきたのです。
道路拡幅のため、電信柱が道路中央に取り残されてしまった。
電信柱も撤去され町並みはスッキリしました。
渋谷・松濤の通りが拡幅され電信柱はすっかり消えた。狭い一方通行の道はきれいな交互通行の道路になった。
我慢できないほどに、見難いものがある。電信柱と電線である。(中略)南麻布の電信柱は、私がこれまで見てきたものの中でも、特に醜い形をしたものである。巨大なゴキブリのような塊がコンクリート柱にはりつき、無数の女郎蜘蛛が、その周辺にへばりついている。
排水管とガス管は地面の中にあるのがまったく当たり前の日本で、電線だけは、その感性に対する暴力に誰一人怒声をあげない(戦後日本が失ったものp.86 東郷和彦著)
これほど極端な意見を吐くつもりはないが、景観を損なっているのは事実です。
「戦後日本が失ったもの」ではなく、急速な経済成長を成し遂げた「昭和の落とし子」を代表する電信柱であります。
これから、日本経済はゆっくりと見直し、見直されながら、それに併せて街の景観も整理されていくと思います。江戸・明治時代に遡ることはありませんが、日本独自の景観が徐々にゆっくりと形成されていく時代を迎えています。
安全安心、防災減災、そして都市景観が一層大切になってきました。