日独「歴史認識」の差異

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それにしても日本の政治家(自民党)の中には、靖国に参拝し、敢えて「歴史リスク」を煽り、周辺諸国の感情を逆撫でしています。
何を企んでいるのでしょう。決して宗教的な信仰からではなく、政治的な威武いたけだかな態度を見せつけたいだけ。軽薄で浅薄な考えしかありません。それは、昔の軍部と同じ精神に戻っているのではないでしょうか?

政教一致の禁止をうたった憲法が出来た理由わけや過去の経緯は何だったのか、踏みにじる行為です。日本にこうした政治家がいる限り、「出口の見えない袋小路に入った外交」は続くでしょう。そして「歴史リスク」をますます増大させてしまいます。

驚くことに、ドイツの軍事的な事情は、日本と大きく異なっています。地政学的な違いがあるので当り前ですが、著者はこう言ってます。これこそドイツに長く住んでないと判らないことです。

興味深いことにナチスによる被害を受けた国々からは、ドイツの武力行使について批判の声は出ていない。むしろ東欧諸国からは、「ドイツはEUの事実上のリーダーとして軍事貢献を増やすべきだ」という声すら上がっている。

但し、その際にドイツは、「独り歩きせず、EUやNATO加盟国と共同歩調を取っている」という原則を守る。

今回(2017.10.22)の衆院選で、自民党は憲法改正を公約にしました。その意図は第9条に自衛隊を盛り込むことです。
先の安保法制の審議では、公明党が最後まで専守防衛の自衛権にこだわり、集団的自衛権を事実上制限させることで決着しました。
自民だけでは暴走したことでしょう。

平和憲法(第9条)をどう拡大解釈しても限界があります。だから、自民党は憲法改正を公約にしたのです。
忌わしい軍部の歴史を繰り返させないために、あえて憲法に明文化させたのが第9条だという事を思い返して欲しいのです。
しかし、第9条の精神が危機にさらされています。もう一度、歴史認識の原点に立ち帰って、徹底的な議論の必要があるでしょう。

熊谷 徹 氏

「歴史リスク」と表裏の関係にあるのが、ヘイトスピーチです。日本人はヘイトスピーチに鈍感です。
著者の「日本は一刻も早くヘイトスピーチを取り締まる法律を制定すべきだ。」との主張に賛成です。何を言ってもいい自由は、人の尊厳を傷つけます。人道を否定する自由など何処にもありません。

今まや、外交や政治以外にも、人的交流が盛んになっています。
特に中国、韓国など近い周辺国との交流は、非常に多く、拡大しています。個人的な旅行や観光での交流がますます重要となり、外交をも凌ぐ成果を生むことさえあるでしょう。

今では、NGOの活動や文化交流はもう一つの外交です。そうした側面で、歴史リスクの回避を果たせないものでしょうか?
日本にNGOは400以上もあるのです。NGOについては別の機会に譲りましょう。

さて、長文になってしまいました。まとめに入ろうと思います。
ドイツのような戦後教育を、日本でもう一度やり直す時間はありません。ここまで悪化した日本とその周辺諸国の関係を改善するには、日本ならではの学術、芸術、観光などの文化交流、又は経済活動、NGOの活動などで、民間外交を進めるより方法がないのかもしれません。

(最後までお付き合い下さり、有り難うございました。)