無作為という名の決断

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どの国も昨今の国際経済に振り回され、昨今「政治の劣化」とまで言われるようになりました。

ギリシャ総選挙も終わり、国会の会期末21日も本日となり、突然の台風4号も去りました。今日は夏至、一年で最も日中時間が長い。日の出は4時25分、日の入りは19時00分であります。
徒然なる思いで、政治家について書き添えます。

「枢要な公職にある凡庸な人物、これほど厄介なものはない。彼らが危機に臨んで下す無作為という名の決断は一世紀にわたって国家に災厄を及ぼす」、これはまさに然りである。

民主主義に疑念を抱くものではないが、票集めのプロであっても、科学や経済には凡庸な人物が下す『無作為の決断』がなんと多かったことか?

福島第一原発の事故の真相が少しずつわかりかけてきた。
ある種『無作為の決断』が災禍を広げたのではないか。 さらにまた、世界に広がった信用不安も、ある種『無作為の決断』ではなかったのか?

未だに国の会計は複式簿記を採用していない。バランスシートがない小遣い帳の延長のような会計で国は運営できる訳がない。

プロでない人物に『無作為の決断』を下せないようにすることが重要だ。否、政治家は「自らは凡庸な人物ではない」などと間違っても思い上がってはならない。無作為という過失を犯さぬために、その道のプロに従う度量を持ってもらいたいものだ。