民主主義の脅威としてのポピュリズム

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さて、資本主義、グローバリズムと共に歩んだ民主主義ですが、いまポピュリズムという脅威にさらされています。
これは、ファシズムとも、ニヒリズムとも違う脅威なのです。

民主主義の規範から逸脱しないように、注意深く振る舞われているのです。そして選挙に勝って、権力を奪取することだけが目標とされています。ポピュリストは、選挙が目的か?と思うほど、選挙至上主義なのです。

今回の2017衆院選で、突然「希望の党」を作り、民進党を統合して、政権を取ろうと企んだのですが、見事に失敗しました。
ポピュリズムの気配は、この国、日本にも有ると言えます。

「人民」を「都民」と言い換え、「腐敗したエリート」を批判し、「仮想敵」を作り、反体制の「小池劇場」は独壇場でした。ところが思わぬところに、陥穽おとしあなが有ったのです。

「さらっさら考えてません」「排除します」この言葉が、人々の心に突き刺さってしまいました。
そうです。「排除」とは、排他的で、分断を呼ぶ主張なのです。ポピュリストの言動なのです。「寛容と包摂の時代」が求められるこの時代に、この失言は看過できないものとなりました。
思わず「本音が出た」と誰もが思いました。
日本の庶民感覚は、敏感です。曖昧な情報の中から鋭い判断を下します。往々に、正確で、真実を射止めることがあります。

しかしながら、政策や政治とは無関係な事柄が、選挙の趨勢を左右することも、また多いのです。余り内容に踏み込まず、その時のムード(旋風)で票が大きく流れる現象があります。

○✕旋風を何度も経験してきました。後に「ありゃ何だたのかね?」と意味を問うこともありました。

民主主義は、生徒も教授も一票、非課税者も高額納税者も一票、善人も悪人も一票、無法者も裁判官も一票、凡人もエリートも一票、老・若・男・女すべて等しく一票を与える制度なのです。
「一体誰だ?政治に無知で無関心な奴らにも、等しく一票を与えたのは!」と言っても、これが民主主義なのであります。

そして、代表制民主主義では、代表が選出され、その代表は絶大な権力を握ります。そこにポピュリストを出現させた遠因があるのです。

先日(2017年10月22日)の選挙開票が終わり、翌朝、勝者となった自民党は、申し合わせたように「数に奢らず…」と接頭語を、付けて話し始めます。
これもまるで、ポピュリストが勝者になった後も、犠牲者のように振る舞っているような、妙な姿勢を感じるのです。「何でもできる」権力を得たことを、裏返した表現にしか聞こえません。

そして、庶民感覚による信頼できる監視が必要です。またそう言った政党なり、NGOを作っておかなくてはいけません。
一党だけでは、ポピュリズム性を防ぐことはできません。複数政党による政権運営は、今後ますます大切になってきます。

国民の福祉や社会保障制度による、安心と安全が保証されない社会になると、ポピュリストが割拠する不安定な社会になってしまいます。まるで悪循環するかのように。
社会保障制度が整えられ、安心して暮らせる社会、希望が持てる社会に、ポピュリズムは育たないと思うのですが、如何でしょうか?

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p style=”text-align: right;”>(終わり)
拙い文章に最後まで、お付き合い下さり有り難うございました。