戦争と平和的生存権

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

米軍駐留が合憲かを問うたのが砂川事件で、自衛隊が合憲を問うはずだったのが恵庭事件です。

恵庭事件は自衛隊の通信線を切断した野崎牧場の兄弟が、自衛隊から訴えられた裁判です。
そしてこの裁判は、自衛隊のそのものが合憲なのかどうかを問う裁判に性格が変わってゆきます。何と400名を超す弁護団が結成され、自衛隊が合憲かどうか争われるはずだったのですが、しかしその判決は、自衛隊の合憲性には触れず「無罪」となってしまいました。原告である自衛隊は控訴せず、終結しました。
いわば「肩透かし判決」と言われた裁判です。

恵庭事件の弁護に当たった久田 栄正ヒサダ エイセイという憲法学者がいます。
彼は学生時代から戦争反対で、平和主義者でしたが、招集され、ルソン島で生死をさまよう、過酷な戦争体験をしました。後に、その悲惨な戦争体験を戦記として自費出版しました。

この自費出版の本が縁となり、憲法学者の水島 朝穂あさほが、久田栄正の戦争を通して、日本国憲法の平和主義の「原点」を探ることになります。
これが憲法学者・久田栄正のルソン戦体験記「戦争とたたかう」であります。いわゆる武勇伝や戦術を書いた戦記物とは全く異なり、戦争反対を訴える戦争体験記であります。

久保栄正は「平和を人権の問題として捉える」という視点から「平和的生存権」即ち、「平和のうちに生きる権利」として、恵庭裁判で主張しています。

憲法9条の平和憲法13条の人権は、表裏一体で、憲法前文の精神「平和的生存権」として捉えています。以下の憲法前文が重要だと言ってます。

(前略)日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。(以下、略)

前置きが長くなりました。さて、その久田栄正の戦争体験記「戦争とたたかう」の中から、戦争という非人間的、非人道的な内容などを、引用そのままではありませんが、おおむねの意をくんで要約してみました。

久田は、軍隊に入営直後の内務班でのビンタ、殴打、私的制裁やいじめなどの洗礼を受けます。人を殺すことを強要するため人間改造、人間性の否定を迫るのが、内務班という軍隊です。
民間人や丸腰の捕虜までも殺す異常な精神を植え付けるます。

徴兵忌避せず招集に応じ入隊した久田は、満州ハルビンへ、そして南方フィリピン・ルソン島へ転進させられます。
軍隊とは「死は鴻毛の軽きに比べ」として、人の命は損耗率という数字ほどにしか捉えません。人として命として取り扱われることはありません。これが激戦地ルソンの戦争でした。

命令を下す立場にある上級指揮官は、自身保身のために部下を死地に送り込んだり、戦場に置き去りにしたりしていきます。「人間廃業」が戦場であります。これが醜い戦場の実態です。

陸軍大臣 東條英機が、示達した訓令「戦陣訓」の一部

戦陣訓の「生きて虜囚りょしゅうはずかしめめを受けず」といったくだりが、どれだけ多くの兵隊の生命を奪ったことか。

久田は、最後まで軍隊への同化を拒否しました。
人間廃業の戦場でも、人間の務めを保持しようとします。しかし、痛恨事と悔やむことあったと告白しています。それほどに戦場は非情だったのです。

ルソン島で終戦を迎え、4ヶ月余り、米軍捕虜となります。

そこで人間としての「憲法論争」、新憲法の議論を密かに考えています。

文民統制(Civilian Control)とは、政治が軍事に優越することで、軍の政治介入軍の支配を許さないことだと言っています。
政治は対話と合意によって成り立ちますが、軍事は命令と服従の構造を取り、全く質が異なります。

国民は一日も早く戦争が終わることを望んでいたが、「持久」をやって、「終戦」を遅らせたのは「国体護持」のためだった。国民のためでは決してない。

軍上層部の全近代的思想と感覚と野心と思い上がりのために、これほど多くの人命が犠牲になったことをどうして誇ることができよう。

日本に帰ってきて、日本国憲法改正案を初めてみた時、私は飛び上がって喜んだのは、九条についてでした。九条以外の内容は、収容所の中で考えていた通りだった。九条の戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認という徹底した平和主義条項までは、ルソンの収容所では考えも及ばなかった。

ルソン島の戦場から生還した久田は、日本国憲法の九条との出会いを契機として、憲法研究者の道を歩むことになります。

『個人の尊重』の徹底した国家、すなわち、一人の人間の生命もかけがいのないものとして尊重する国家では、戦争は成り立たない。戦争はその動機や目的には無関係に、交戦状態が発生すれば無差別に、大量の犠牲が強いられる。

この本のエピローグの最後はこのように終わっている。

久田栄正という一人の憲法学者の戦場体験を通して、日本国憲法の平和主義の「原点」を探る旅を行ってきた。あの戦争の悲惨な国民的体験(個別的、特殊体験)は、日本国憲法を経由することによって、平和生存権として普遍化されたといえるだろう。戦争体験を単なる「昔話」にしないためには、過去の体験と今日の問題とを、憲法を媒介にして結合することである。ここに、平和教育と憲法教育との有機的結びつきの必然性が生まれる。

本書を読まないと、戦場の生々しい悲劇は分かりません。人間ができる最悪の状態「人間廃業」そのものが軍隊であり戦場です。

どんな事があっても、この国を戦争におとしめてはなりません。誓って平和のうちに生存する権利を守って行かなくてはなりません。

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