台湾の親日感情の由来

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

個人的なことになりますが、台湾出身の親しい友人がいます。
もう日本に来て60年以上になり、今は85才の高齢となりました。

彼は、二・二八事件(1947年)の時は中学1年生で、このとき両親とはぐれ、生死を彷徨うような経験をしたそうです。
また、金門戦役(1949年、古寧頭戦役)へも加わったそうです。

そして、若いころ日本に移住を決めた時、母から反対されるどころか激励されて、もし日本で成功したらお母さんを呼んでちょうだい、と言われたそうです。

台湾での親日感情は想像以上です。そして今の若い人たちも親日的だし、なかには日本に憧れている人さえいます。

今から18年前(2000年)、仕事で台湾に毎月出張していた時期がありました。旅行者ながら親日的なことに巡り合ったものです。
顧客訪問のため「斗六」という田舎町へ出かけた時のこと、後ろから女子高生が近寄って来て「日本人ですか?」と言われたので「そうですよ」と日本語で答えたら、もう大変! 中国語で大騒ぎになった、こちらは何を喋っているのか解らない。でも雰囲気で歓迎されていることは分かった。まるでスター並み??
台北の本屋にも“六本木Walker“といった雑誌があり、中を見てみると、東京の六本木のガイドブックで繁体語で書いてあります。
若い人にとって、今も憧れの日本、東京なのです。
こんな国、アジアの何処にもありません。この親日感情は台湾だけでしょう。

しかし、李登輝が指摘するように、台湾にとって国家アイデンティティーという大問題があります。
台湾的な台湾を台湾人が作って欲しいものだと思います。そんな台湾の歴史をこれから作ってもらいたいと思っています。

先ごろ、台湾SGIで「台湾SGI栄光大会」での様子が聖教新聞に掲載されていました(2018.3.5)。その記事にこのような、解説がありました。

台湾の同志は思いをはせる。

戒厳令が敷かれ言論や集会が厳しく制限されていた1963年1月27日のことを。

この日、世界広布の旅の帰途にあった池田先生を乗せた飛行機が、給油のため台北・松山空港に着陸。出迎えたメンバーに先生は「本当の勝負は、30年、40年先です」「冬は必ず春となります」と語った。

その3カ月後に突然出された、政府からの解散命令。活動できない。同志と集まることすらままならない。警備総司令部の尋問を受けた友もいた。
 その“厳冬の時代”を越えて、ここに55年――春が来た。
社会から圧倒的な信頼を勝ち取るまでに発展した台湾SGIに今、人材の花が爛漫と咲き誇る春が来た!
栄光勝利大会が行われたこの日、3月3日は、28年前の1990年に、台湾SGIが念願の法人認可を得た日でもある。

そうです。1990年になって、やっと台湾SGIが認可されました。

それまで台湾のSGIは、地下組織だったのです。長い厳冬の時代を乗り越えて、今は晴れやかに新しい歴史を刻み始めました。

新しい台湾の歴史の出発を讃えたい。台湾人が誇る、独自の台湾の将来を作ってもらいたいものだと、心から応援せずにはいられません。台湾バンザイ!

<参考にした資料>

  • 「颯爽と清廉に 原敬」 上・下 高橋文彦/著 原書房
  • 「大風呂敷」杉森久英/著 角川書店
  • 「原敬と新渡戸稲造」佐藤竜一 著
  • 「武士道」新渡戸稲造/著 矢内原忠雄/訳 岩波書店
  • 「マイグランパ新渡戸稲造」加藤武子/著 寺田正義/著 朝日出版社
  • 「背広をきた侍 小説・新渡戸稲造」中村豊秀/著 国書刊行会
  • 「新・台湾の主張」  李登輝/著 PHP研究所

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