アイヒマン・ショー

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アイヒマン・ショーこれも、アイヒマンを「悪の象徴」として論及されることを期待したシオニストたちのショー(裁判劇)を側面から撮った映画です。
ハンナ・アーレントの言う「悪の凡庸」「悪の陳腐さ」はこの映画から見て取れませんでした。深い思考につながらない、つまらない映画でした。

eichmannShow

1961年その年は、ケネディ大統領就任し、まもなくキューバ危機を迎える前夜で、ガガーリンが有人宇宙飛行に成功し、世を賑わした年でした。

そんな時代の裏側で、ユダヤの国(Israel)では、過去を裁くアイヒマン裁判が行われていました。どうしても許せないナチスのアイヒマンに対するシオニストたちの裁判劇(ショー)だったのです。

残念ながら、ハンナ・アーレントの言う「本質は全体主義が悪の根源的なものであって、イデオロギーや結論ありきとした、思考を停止したところに全体主義の悪があった。」との考え方はこの映画にはありませんでした。


一方で、六草いちかさんのように、こんな意見もあるんです。

【アイヒマン・ショー 応援コメント⑫】
どのシーンも無駄がなく、どの登場人物の心の動きも見逃せない。
証人たちの証言に驚愕し、カメラマンの苦悩に思わず涙。
裁判のみならず、アウシュヴィッツというところが、静かに、しかし衝撃的に描き出されている。
六草いちか ― 作家