そうだったのか、アメリカ

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

先の稿でアメリカの血筋を引く北海道(その2)などと表現したけれど、知ってるようで知らないアメリカを少し勉強してみました。

アメリカの西海岸に沈む夕日は、日本に昇る朝日です。今や中国より近い隣国です。日本では、アメリカが好きだとか嫌いだとか意見を言うけれど、アメリカでは、日本を損得で見ています。

アメリカは連邦共和国で移民大国です。

即ち、邦(Stats)がモザイク状になって出来た人工国家で、建国以来、絶えず分裂の危機を内包して来た連邦国家です。

独立当時、東部13州はイギリス植民地で、独立宣言(1776年)によってアメリカ合衆国は誕生し、移民によって建国されました。
最初の移民はワスプ(WASP=White Anglo-Saxon Protestant)と呼ばれる人々で、建国後250年足らずの若い国でありながら、西洋文明を継承して出来たのです。これがアメリカの源流です。

「風と共に去りぬ」より

アメリカの歴史は割譲、合併、購入を繰り返し拡大してきました。
連邦議会が始まった年(1789年)は、フランス革命が始まった年でもあります。
実は、アメリカは世界で最初の共和国として誕生しました。共和国の概念はパリ革命で生まれながらも、それを実現したのはアメリカという連邦共和国だったのです。
西洋世界の文化的伝統を継承したといった意味から、アメリカは新しくて、古い伝統理念の上に出来た国だと言えます。

この人工国家が内包する分裂の危機は致命的なものです。合衆国最大の危機は、南北戦争(1861~1865年)でした。
そのころ日本では、ペリー来航(1854年)以降、幕末の風雲期を迎えています。桜田門外の変(1860)、寺田屋事件(1862)、薩英戦争(1863)、池田屋事件(1866)が起きています。しかしアメリカでは、日本どころではなかった訳なのです。
南軍11州が合衆国を離脱し、50万人もの戦死者を出し、国家分裂の危機を迎えていました。
南軍が合衆国から離脱し目指しものは何か? それは中南米まで含めた独立国家を目論んだと言われています。この分裂の危機を乗り越えたから今のアメリカがあります。

Wikipediaより引用 ワシントンDC

首都Washington DCは、バージニア州とメリーランド州から割譲され、どの州にも属さない「District of Columbia」として誕生しました。これは新大陸発見者のColumbiaに因んだ名で、初代Washington大統領の名を冠した首都です。

正義の女神 テミスの天秤

アメリカの法体系は英国と同じです。英米法は、制定法と判例法に別れます。判例法は、コモンロー(Common Law)と言われ、裁判所の判決の集積からなっています。これが人々の生活に係るもので、ほとんど民事の解決に関わってきたものです。

あたかもWeb世界でのオープンソース・プログラム(OS)のように見立てることができます。コモンローには正確な脚注が一杯付くのは、まるでWebのサイトのようだとも評されています。

アメリカは、ネット社会でソーシャルネットの起業家やクラウドファンドの創始者など次々と新しい潮流を生み出して来ました。
今日でもアメリカ西海岸から革新的な技術やトレンドが生まれています。アメリカを代表するGAFA(Google Apple FaceBook Amazon)などのIT企業は西海岸で生まれ育ちました。

赤い共和と青い民主

一方で、アメリカはRed States(共和党)とBlue States(民主党)に二分されてきました。それはあたかも文化戦争とまで言われています。

いま、トランプのアメリカは再び分断の危機に晒されていると言われています。しかし建国以来、分裂の危機を乗り越えてきた人工国家は、最終的に分裂による破局の道は選ばないでしょう。それがアメリカです。

司馬遼太郎の「アメリカ素描」を読みました。司馬遼太郎の文章は到底まねできませんが魅力的です。偉大な作家です。
彼の文章は、突然プツンと切れたり、突如方向転換してしまう軽佻さがあります。それでいて話が戻ってくると、言わんとすることが良くまとまっているのです。彼の言葉を借りれば…

アメリカというのは、まことにあっけらかんとした国である。それだけに、アメリカの儲けを阻んでいる相手には、これほどドスの利いた国はない。

1853年、日本はペリーに鎖国のドアを蹴破られてしまった。

日本人は察することに長じているために沈黙し、アメリカ人はこの世に察する(こと)などは存在せぬはずだという”はず”があるために、主題に関する全空間を自分の言語と論理で埋め尽くそうとする。

移民国家であるアメリカ合衆国の場合、個々がその国に忠誠心をもち、大統領を尊敬し、星条旗に心から敬意を払わない限り崩れてしまうのである。

モリパパは現役だった頃、何回かアメリカへ出張(旅行)したことがありました。訪問した先は、California の Los Angeles、San Francisco、San Jose、Napa など西部と、中部の Chicago、Minnesota、Ohio、Indiana などでした。旅行した程度のアメリカ印象ですが、西部と中部では随分違いを感じたものです。

アメリカは実に広い。New Yorkなど東部を旅行したことがありませんが東部も違った印象を持ったことだろうと思います。ともかくアメリカは時差が有るほどに広いのです。

そして自由な国です。

日本では特別に許可されない限りすべてが禁じられており、それに対してアメリカでは特に禁止されていない限りすべてが許される(「ならず者の国家アメリカ」より)

アメリカではこれからも銃規制は実現しないだろうし、ゲイ(ホモ)の権利は公然と守られるでしょう。そしてメディア大国として、報道の自由を掲げ続けるでしょう。

司馬遼太郎が「アメリカ素描」でこんなことを言ってます。

アメリカに犯罪が多いのは自由の副作用と言えるのかもしれない。自由が死ねば経済は壊滅する。かつこの人工国家への人々の参加意欲は消滅し、アメリカ社会は崩壊してしまう。
アメリカにおける自由は、この国の活力源であり、人類の希望のでありながら、しかしその副作用として血まみれの犯罪を引きずって進み続けているのである。

もうひとつアメリカという新しい国で、おカネに関する考え方の一端を論じています。結論的ではないのですが気になります。

「ロス市警は汚職をしないのです」その理由はロサンゼルスのか異文化(サブカルチャー)にあるのではない。「給料が高いからです」とあっさり言った。
ギャングから金品をもらったりするのは給料が安いからだ。
カネ。すべてカネ。詰まりはカネという普遍性ーーこれはアメリカというほかはない。

ある売店で売っていたテナント(壁飾りの三角旗)に書かれた警句がすごかった。「お前がそんなに利口ならどうして金儲けできないんだい」(If you’re so smart, how come you ain’t rich?) 

話はもとに戻るが、あっけらかんとしたアメリカの「カネに対する考え方」が綴られています。

ぼんやりとした思考の先で、「アメリカの血を引く北海道」も何処かでアメリカに似たところがあるだろうか?「カネに対する考え方」も似たところがあるのではないだろうか?と考えてます。

自論ですが、北海道はアメリカに似た処があると思っています。 これは、先々の研究課題としておきましょう。

 

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