法制化に思う、日本の役割りⅢ

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

公明党は余りにも誠実で、戦術的なパフォーマンスがなさすぎる。
日本には、未だに砂川判決以前に戻したい勢力があって、隙あらば安保反対を再燃させたいのです。また、党利党益しか考えない薄っぺらな烏合の政党もあります。

今回、安全保障関連法案の法制化は公明党の主張は殆ど通って、集団的自衛権を骨抜きにすることができました。公明党の対応にまずは感謝したい。

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ところが、TVや新聞のマスコミ報道を見ていると、何か、かつての軍国主義への道を開くような気配を感じている人が多いのではないでしょうか。
そもそも民主主義というのは、時代の雰囲気で左右されるものです。正論が理解されて、歴史が動くことのほうが少ないものです。
かつてのナチスや日本の軍国主義のように、明らかに間違った歴史もあります。旧ソ連のように、国家を実験場と化するような歴史もあったのです。

歴史のほとんどは失敗続きなのです。正論が勝つことは少なく、正義が勝つこともない。それが過去の歴史なのです。
今回の安保法制化の問題は、憲法改正の予選のような一面があります。だから故に、雰囲気やニュースに流されてはいけません。
しっかりと自分自身で考えていかないと、失敗の歴史に加担することになってしまいます。

そういった視点からみると、今回、公明党は集団的自衛権を見事に押さえ込んだと思います。同志社大学の村田晃嗣教授の衆議院での公述(7/13)でもよく分かる通りです。

7月13日衆院平和安全特委で、見解を述べる村田公述人(右)と、質問する岡本議員(左)
7月13日衆院平和安全特委で、見解を述べる村田公述人(右)と、質問する岡本議員(左)

村田教授も「そのような(戦争法案という)センセーショナルなレッテルを貼って批判することは、安全保障の問題を国民が広く議論する上で資するものではない」と強調。憲法との関係については「法的な枠組みと安全保障上の必要性との調整をどう取るかが政治の責任」と語った。

「終始一貫、集団的自衛権を認めず、憲法の拡大解釈もせず、従来通り憲法9条を守った」ことを公明党は明快にアピールするべきではなかったか。世論に訴えるアピールをしてもらいたかった。
政府自民の弁明に追随した説明はよくありません。公明党独自の訴求が必要です。
終始一貫明快に、専守防衛の公明党は集団的自衛権を認めません。と最初から主張して、自民と一線を画すべきだったんです。
その上、政府自民党の暴走を許さない。歯止めを掛けられるのは、公明党しかないことを広くアピールすべきだったんです。

少し脱線しそうですが、戦後70年となると戦争体験を持った人が、本当に身近にいなくなってます。
モリパパの母は今89才です。この世代は戦争を覚えています。どのように戦争に引き込まれたか体験しています。
「云うことを聞かないと憲兵が来るよ!」と云うのが最も怖い殺し文句だったそうです。一旦戦争が始まったら、もう何もかも止められない。軍が独走し、どうにもならないことをよく知っています。

この感覚は、戦争を体験した者にしか分かりません。肌で戦争を知っています。戦争前夜を知っています。
その母が、理屈抜きに、戦争への危うさを感じているんです。
これには、戦争を知らないモリパパは反論できません。 こういった感覚的な心配にも、公明党は誠実に、丁寧に応えて欲しい。ひょっとしたら意図しない陥穽おとしあなが潜んでいるかもしれません。

戦争前夜の存立危機事態になったとき、昨年12月10日施行された特定秘密保護法によって、殆どの情報は閉ざされてしまいます。
何が起こっているのか本当のことは、庶民には知らされません。今、そんな危うさを感じているのです。

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今、安倍内閣の支持率は急落しています。そして与党公明党の支持率も引きずられて急落しています。
公明党らしさは庶民感覚にあります。だから故に「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」立党精神をもう一度想い起し、誠実に正面から忍耐強く説明・対話する必要があります。

最後に、池田先生の講演(2000年9月 モアハウス大学「最高学識者」称号授与式での池田大作先生の謝辞)を引用して、今回のテーマ「法制化に思う、日本の役割り」を終えます。

キング博士も、苦渋の敗退を余儀なくされたこともあると伺っている。しかし、博士はそこから猛然と反転攻勢の行動を打って出られておられる。(中略) これが戦闘の名将軍の手の打ち方です。

現場に飛び込み、忍耐強く闘うことが、勝利の鍵であるとの原点に立ち返って、正義を主張し続けようではありませんか。

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