司馬遼太郎の小説「翔ぶが如く」を読んでいる。10巻に及ぶ長編ともなると一簣に読めない。6巻まで読んだところで小休止。
維新とは「維 (こ) れ新 (あらた) なり」との意で、革命ではなく自ら大変革を成した。日本人から見ても、その頃の日本は実に特異な時代に思えます。
明治維新は走ってしまってから考えた。走ってしまってから、その裏付けを求めた。自由民権運動も裏付けのひとつだったようです。(The Liberty and Civil Right Movement=自由民権運動)
維新の10年前、幕末の頃、尊皇攘夷は詩にまで謳われた。水戸の藤田東湖の詩がもてはやされた。幕末に勤皇志士はこれに熱狂した。司馬朗太郎はこのように綴っている。
維新の成立は、外圧による。まわりが海である日本は、ちょうど砂漠の真っ只中にある都市国家に似ている。それを敵が包囲した。敵は欧米勢力という巨大なもので、ひたひたと城壁のそとをかこんだとき、市民に防衛上の大緊張(攘夷熱)が生まれこれによって防衛の担当能力を欠いた幕府が倒された。代わって太政官政府が成立した。
要するに、この革命は、外圧を撥ねかえそうとするきわめて武断的なエネルギーによって成立したものであった。ただし、革命分子のなかには、それだけでないさまざまの思想の持ちぬしはいた。しかしながら旧国家をくつがえしてしまったエネルギーそのものは多分に武の要素がつよかったといっていい。たとえば幕末の志士たちが好んだ水戸の藤田東湖の詩が、この次代の攘夷気分の象徴的なものであったであろう。東湖は重厚な学殖でもって世人から尊敬されていたが、尊敬されている自分を十分計量した上で、華麗な扇動をおこなう。かれの数多くの攘夷の詩は、虹のように華麗な扇動の歌である。
ついでながら幕末の一時期をになった老中阿部正弘は東湖が意見を言う前にその出鼻をくじくように、「足下のような賢者が、言うべくして実行もできぬ説を吐くのか」といい、東胡を怒らせた。(中略)
この気分を、開明化した新政府が継承しないということで、新政府は在野勢力から憎悪された。(翔ぶが如く 第5巻より)
明治維新の研究家でもある司馬遼太郎は世論とは言わない。気分という言葉を使っています。歴史は気分によって熱気を帯びます。
尊皇攘夷の志士が、手のひらを返したように、文明開化を謳い丁髷から散髪になり、帯刀を捨て(廃刀令はM9年)、汽船に乗り、人力車を引かせ、洋風建築に憧れる時代になると気分では済まされなくなります。激変の時代に思想まで受け入れられた。
自由民権運動は、中江兆民により日本に紹介された。ジャン・ジャック・ルソーの思想が啓蒙的に迎え入れられたのです。
中江兆民は、明治政府が派遣した岩倉使節団(1871~73年)と共に渡欧した。明治7年(1874年)6月に帰国し 、民約論として紹介した。
兆民は坂本龍馬に小間使いのように言うことを聞いたという。自身の回想で「龍馬を見た時に自然に尊敬の念を抱いた」と書いている。(兆民は土佐の出身です)
兆民は死ぬ間際に弟子に向けて「文章こそ、国を治めるうえでもっとも重大なものである」という漢詩を遺した。武力に頼らず国を変えようとした兆民。龍馬亡きあとその理想を受け継いで権力と闘った。兆民は晩年(44才)、北海道小樽へ渡道し「北門新報」で論説している。新天地・北海道を舞台にしたことがある。
民権運動は土佐の人脈で育った。土佐はもともと同格意識が強く民権が受け入れやすかった。
板垣退助、 後藤象二郎、 森有礼、植木技盛、沼田守一、大井憲太郎、河野広中、等が名を連ねた。
土佐藩の四民平等から民権運動が始まったと云えるのかも知れません。
大阪会議の大久保利通の説得で、木戸孝允は参議に還ったとき、立憲制の準備機関である元老院を誕生させた。その元老院に中江兆民を入れたほどだった。しかし、木戸は大久保の専制政府に憤慨し、再び明治9年3月(西南戦争の前年)に参議を辞めてしまった。
かくて当時太政官政府の大久保独裁体制を倒すに至らなかった。
明治草創の頃「国家とは何か?」岩倉具視使節団の人々は一から学ぼうと欧米国家を見聞した。そしてほぼ感覚的ながら分かった。
戊辰戦争で命がけで戦った武庶の不満は、油鍋を煮えたぎらせたような不満を持っており、僅かな火の粉でも爆発するようだった。佐賀の江藤の乱、神風連の乱、西南戦争に至った背景がそこにある。
司馬遼太郎は、肥後荒尾出身の宮崎八郎が中江兆民の民約論に醉心していく様子を執拗に追っている。しかし太政官政府転覆を図る根拠に民権運動を使った。宮崎は西南戦争で八代で戦死した。
開明的な太政官政府に不平を持つ旧士族の氾濫は西南の役で鎮圧されたが、なんと凄まじい時代だったことか。
尊皇攘夷の気分から、わずか20数年で日本はすっかり変わってしまった。こんな歴史を我々日本人は持っていると誇らしく思う。
話は変わるが、いま新しい時代に差し掛かっているような気分がある。まるで維新の頃のような大きな変革の波が襲ってるのか?
コロナが蔓延し全てが低迷・鬱懐した。気象・生態系ではレジームシフトが起こっている。更に核戦争に怯えながら逼塞し、これに耐えるようにウクライナを見ている。
いま、価値観を根こそぎ変えなくてはならない時期に差し掛かっているように思えてならない。夜明け前の気分がある。