ニュースが作るパラダイム(社会規範)

池田純一 FERMATinc.代表

少し古いが、ウェブがもたらした米大統領選の「異変」〜「フィルターバブル」を考える(2014.04.02)という池田純一のブログがありました。この中でトランプ旋風を次のように表現しています。

(トランプは)リアリティショーである「アプレンティス」を通じて知名度を上げ、ウェブとテレビという新旧2つのメディアをハイブリッドで活用しているところに特徴がある。

「フィルターバブル」という言葉は、インターネットだけでなく、むしろ前世紀の20世紀を形作ったマスメディアや大衆社会といった言葉とも交差している。

閉じこもる」というよりも「徒党を組む」インターネットという方が多分適切なくらいだ。(『フィルターバブル』は『閉じこもるインターネット』として翻訳出版されている。

(著者)パリザーも『フィルターバブル』の中で触れていることだが、マスメディアは社会的に有意味なのかどうかという、素朴だが根本的な疑問は、1920年代の時点で、有名なウォルター・リップマンとジョン・デューイの論争で検討されている。

J.デューイによる『世論』(W.リップマン)の書評

その論争とは、簡単にいえば、マスメディアは社会的意識を明確に持つ人びと(=公衆)を生み出すのかどうか、という問いを巡るもので、

ウォルター・リップマンは公衆は幻想であると論じ、ジョン・デューイは公衆に可能性を見て擁護にまわった。

オバマの2012年大統領選で、オバマ大統領の本戦での「勝ち方」を完全に予測したネイト・シルバーの「シグナル&ノイズ」ようなデータ解析も見逃すべきではないとも言っています。

いろいろな議論が有る中で、メディアによるニュースについてリップマンはこのように言ってます。

今日的な意義と信憑性を持つニュースが継続的に提供されなければ、民主主義に投げかけられた厳しい批判がすべて正しいことになる。事実を知ることのできない国民は、無能に無目的、堕落に不誠実、パニックに大災厄に見舞われるのだ。

少々エキセントリックな表現ですが、多くの人が日常的に見聞きするニュースが、確かに民主主義の基礎を作ってるのは確かなようです。
そして、ある時は分断を招き、一歩間違えば独裁を許し、更に、戦争へといざなうことにもなりかねません。

分断と共生独立と平和格差と教育平等と包摂開発と持続など、沢山のテーマを抱えた社会の只中に生きています。
これらの課題はパラダイム・シフト、即ち思考の枠組みの転換から見ないと解決できないテーマ(課題)ばかりです。またの機会に考えてみたいと思います。

(おわり)

 

 

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