戦後生まれた団塊の世代の一人として、覇権(hegemony)国家アメリカの横暴を、最初に感じたのは、会社で財務研修の企画をしていた頃です。
当時(1992年)、会計制度がドンドン改定されるので、企業会計についての勉強と、併せて若手経理マン養成するための研修会を企画。
その研修会の企画運営に携わって、企業会計の改定は、アメリカからの押し付けだと強く感じて以来のことです。
アメリカ在住の政治学者、伊藤貫によればこんな感じになります。
戦争終結の処理は、交戦国どおしが満足できる妥協案を見つけることで、戦争を終わらせるのが国際的な処理だと思うのです。
しかしアメリカはいつも、敵国を完全に叩き潰すやり方で戦争を終結してきたと言っていいでしょう。アメリカは、自分たちの政治思想と経済制度だけが、正しいと思い込んでいるようなところがあります。だから完全勝利と最終的決着をもとめ、無条件降伏を迫ってきます。
敗戦後の日本は、自主防衛能力を持つことを禁止され、アメリカの保護領とされてきた。日本の独立を許さず、米軍による実質的な占領体制を維持することが目的でしたから、日本が自主防衛能力を持つことを許さなかったのです。
アメリカ国民は、広島と長崎に原爆を投下することによって、百万の米兵の命が救われたと思い込み、信じてきました。
そもそも1945年の広島、長崎に対する核攻撃は、明白な戦争犯罪行為であった。最初から非武装の民間人を大量に無差別に殺害する軍事行為は、どう考えても戦争犯罪であり、それを二度も繰り返して、原子爆弾の投下行為を執拗に正当化してきました。アメリカは先住民インディアンの大量虐殺、奴隷制度、メキシコ領土の大規模な強奪、ラテンアメリカ諸国へ腐敗した独裁政権を押し付けてきたことなどを見ても、アメリカにとって心地よい筋書き(神話)の歴史観を作ってきました。
そして、最近20数年の間、アメリカは日本の企業経営、雇用慣行、会計制度、法制度、医療制度をアメリカに類似した制度にするよう、日本に要求してきました。
アメリカは例外的な国家で、外交・軍事で優越していると思い込んでいる。特定のイデオロギーを旗印に人為的に作られた国家です。
日本や西欧諸国は、政治イデオロギーでつくられた国家ではありません。長い年月をかけて国民国家として成長し、発展した自然国家であります。
ここが、成熟プロセスを経ないで、政治的イデオロギーとして独立したアメリカが、アイデンティティーを主張してきたものとは違いがあります。即ち、イデオロギーがないと国家成立できなかったのがアメリカです。まるでアメリカの初期に上陸したピューリタンのように高邁で、峻厳な態度をとっているアメリカだからこそ、自国の軍備拡張と戦争犯罪をあっさり正当化してしまいました。
アメリカはRobust Puerile(タフな児童)のようなもので困ったものだ、言われても仕方ない処があります。
戦後70年、振り返ってみればアメリカの植民地だったような日本ですが、一方でアメリカから多大な恩恵を得ているのも確かです。
そのひとつは敗戦によって思いがけず、求めずして得られた平和憲法です。
そして、アメリカ自由経済圏の中にある日本経済ですが、アメリカに肩をならべる経済力を持つまでになりました。
集団的自衛権の法制化について、また議論が盛んになっています。
覇権国家・アメリカの傘下から独立できないものか?
日本から世界へ、新たに平和運動を展開することはできないものだろうか?そんな時代になって欲しいと望むのは現実的ではないのだろうか?