日銀バブルによるパラダイム・シフト

異次元の金融緩和の長期化によって日銀バブルを引き起こし、その結果、もはや出口も後戻りもできない財政と金融を作ってしまいました。これはもはやパラダイム・シフトです。

振り返ってみれば、6年4ヶ月前のことでした。2012年12/16総選挙で自民党が大勝し、安倍は翌日の記者会見でこう語った。

私は選挙を通して、2%の物価目標について日銀と政策アコード(協定)を結びたいと主張してきた。選挙で金融政策を議論することは非常に珍しい。我々の主張に対して、多くの評価を得られた。この結果を十分に受け止めて適切な判断をしていただけると期待している。

政治家は功名心が強い、いな功名心で生きているところがある。新しい経済成長の時代を、自ら築くような気構えだった。

次の日、当時の日銀総裁の白川方明と会談し、会談後に自ら「2%のインフレ・ターゲット(物価上昇目標)に向けて、日銀と政策アコードを結ぶことを検討頂きたい」と要求したことを記者団に披露し、日銀にプレッシャーをかけました。

2%の物価目標を公約の目玉に打ち出した安倍が総選挙で大勝したことで、日銀内からも「2%は国民の要請でもある」(日銀幹部)との声も出たほどです。だが日銀の本音は、自民党公約に盛り込まれた「日銀法の改正も視野」の怖い一文だったのです。

中央銀行の独立性をうたう日銀法の条文を変え、ときの政権が意に沿わぬ日銀総裁をクビにできれば、時代の後戻りです。日銀は、日銀法の改正の阻止を優先し、物価目標を受け入れてしまった。

安倍が2%を掲げる根拠となったのは、思い切った金融緩和をやれば2%を実現できると唱えたリフレ派の主張によるものです。リフレとは、物価が下がるデフレの状態から、再びインフレに転じるリフレーション(Reflation)の略です。
リフレーションとは再膨張の意で、デフレから脱却してマネーサプライ(通貨供給量)が再膨張し、加速度的なインフレーションになる前の段階で、比較的安定した景気拡大期を狙ったものです。

これを志向する人達をリフレ派と呼びます。実はこのリフレ派、昔も今も経済や金融の世界では「異端扱い」されてきました。

黒田の総裁就任から2週間後、2013年4月 強烈な金融緩和が始まりました。「異次元の金融緩和策、即ち非常に剣呑な政策」が始まりました。今年4月で6年経過し、余りにも長期になりました。

当初は、市場の事前予想を遥かに超える規模で「黒田バズーカ」と呼ばれてもてはやされました。日銀は大量の国債を買い入れ、それと引き換えに巨額のマネーを市場に流し込んできました。

国債だけでなく、株価に連動する上場投資信託(ETF)や不動産投資信託(Jリート)といった資産も大量に買い入れました。
これが新たなバブルの原動力となりました。日銀バブルです。

日銀の資産循環統計によれば、日銀の国債保有量は17年末449兆円となり、5年前の4倍近くに膨らみました。発行済の国債は実に1,093兆円、その内41.1%を日銀が買い占めた計算になります。

それと逆に、銀行などの「預金取扱機関」の国債保有量は187兆円。保有割合は16.7%で、5年前の37.5%に比べ半減しています。これまで日銀に対し銀行が国債の売り手を担ってきたことが説明されます。

銀行が売れる国債は無限ではありません。銀行などの金融機関は一定の国債を担保として手元に抱えておく必要があります。
保険会社や年金基金も満期までの期間が長い国債で資金を運用しているため、いくら低利になっても運用資産から、国債をすべて外すわけにはいきません。だから日銀が市場から大量の国債を吸い上げられなくなるのは時間の問題なのです。既に日銀は、国債を市場から買うことができない状況に見舞われています。

  • 2015年4月に「16年前半」に変更
  • 2015年10月には「16年度後半」に変更
  • 2016年1月に「17年度前半」に変更
  • さらに3ヶ月後には「17年度中」に
  • 2016年11月には「18年度頃」に
  • 2017年7月には「19年度ごろ」に
  • 2018年4月からは、達成時期を削除
  • さて2%の物価目標は2015年度頃と豪語した日銀黒田総裁でしたが、この目標は「逃げ水」のように遠のき、6回も見通し変更を余儀なくされました。

    ついには、見通しを示すことさえ放棄してしまいました。いまや日銀の展望レポートは「願望レポート」と揶揄されています。

    (次ページに続く)

     

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