そもそも中央銀行(日銀)の役割は以下の3つです。
- 通貨の発行(強制通用力のある法貨として支払い完了性あり)
- 物価の番人(独立性と透明性とをもって物価の安定をはかる)
- 決済システムの安定(信用秩序、日銀ネット、最後の貸し手)
この役割を政府が直接行ってはいけません。歴史的な教訓から中央銀行の独立性を保証するに至ったのが世界的な規範です。
中央銀行の発想すらない時代から、
紙幣はその健全性を保つことが難しい宿命を負っています。
中国は「明」の時代(約600年前)、最古の紙幣である大明寶鈔が発行されました。
「明」政府は、紙幣の偽造ができないように厳重に管理したのですが、「明」政府自体がこの紙幣の大量発行の誘惑に勝てず、増刷してしまいました。
この紙幣は発行15年後に、紙幣価値が急落、紙くず同様となって廃止されたそうです。
今では、政府と中央銀行は別個になっているのが当たり前です。だが中央銀行が出来るまでの歴史はさまざまでした。
戦費調達、銀行統合、多国籍(EU) の故だったり、設立理由はさまざまです。
しかし各国とも、その必要性から中央銀行が設立されるに至ります。従って、中央銀行の制度は各国さまざまです。
ただ共通して中央銀行は「政府からの独立性」といった特色を持っています。現在では、独立性こそが中央銀行の存在意義になっているのです。
本来的に、政府はどうしても景気刺激策を追求し、金融緩和を求める方向へ傾き、そして経済の健全性を損ねるようになります。中央銀行という制度は、こうした誘惑から自制するための自己統治のメカニズムなのです。
日銀は、1882年日銀法によって設立されました。高度成長、オイルショック、プラザ合意、バブル、金利の自由化など経済的な荒波を経験し、日銀法は何回も改定されてきました。
阪神淡路大震災があった1995年以降、金融界では資本が自由に国境を超え、利潤の極大化を求めて一挙にグローバル化した時期を迎えました。そこで日銀法が1998年に全面改訂され、現行の「新日銀法」となりました。
「新日銀法」では、日銀への蔵相の業務命令権、内閣の日銀総裁の解任権、蔵相の日銀予算認可などが撤廃され、日銀の独立性と透明性がより明確になりました。そして政策委員会はスリーピングボードではなくなり、新たな時代が始まりました。
ところが、これまでにないデフレ(政府が渋々認めたのは2001年3月)とゼロ金利時代へ突入した時期と重なったのです。
しかも世界的デフレ時代、各国ともゼロ金利の競争となり、もはや日本だけの問題ではなく世界的な問題となっています。
「新日銀法」が制定されて以降、総裁の任期は5年となり任期途中で解任されることはなくなりました。この総裁任期5年ごとに、時代を見てみると「なるほどそうだったんだ!」と経済政策が分かりやすく見えてきます。
- 1998.3月~:速水優<第一次ゼロ金利政策と量的緩和>
- 2003.3月~:福井俊彦<ゼロ金利量的緩和に一旦は終止符>
- 2008.3月~:白川方明<民主党政権下、悲劇の総裁>
- 2013.3月~:黒田東彦<アベノミクス、異次元金融緩和>
財政政策の好循環に支えられた時代(1978~1990年)の終焉。1991年ついに日本経済はバブル崩壊に見舞れました。
政策金利もかつての公定歩合(2006年以降「基準割引率および基準貸付利率」と呼んでいる)は死語となり、無担保コール翌日物金利へ変更されました。そしてゼロ金利まで緩和され、金利政策は機能不全に陥りました。
2001年3月、日銀は無担保コールレートの「金利」から当座預金残高の「量」へと金融政策を大きく舵を切りました。最初の量的緩和政策です。
2001年当初の当座預金残高10~15兆円だったのですが、2002年15~20兆円に、2003年27~32兆円、2004年30~35兆円と増え続け、2006年3月に量的緩和が解除されるまで続きました。
機能不全に陥った金利政策の一時的な回復、即ちゼロ金利政策の解除を目指し努力が実った時期でした。
日銀の当座預金も2004年初頭には30~ 35兆円で打ち止め。
また、2006.3月量的緩和を解除でき、2007.2月無担保コールレートを0.25→0.5%へ上げるまでに回復できたのです。
初の民主党政権となり日銀総裁選任で大揉め、出足から難産でした。
そして2008年10月リーマン・ショックです。100年に一度と言われるリーマン・ショック、これ以降、欧米も新興国も金融緩和・利下げ合戦に入って行きます。
またこの民主党政権時代、政府と日銀間の経済財政諮問会議が凍結されてしまい、開催できなかったそうです。
これは日銀の独立性尊重なんかでなく、官僚軽視、財政不在の無策で、論外なことであります。
米国FRBでは、この頃ファニー・メイ、フレディーマックからローン担保の証券化商品を大量に買うといった量的緩和を始めています。
当然、日本も2008年12月にゼロ金利・量的緩和が再開され、イングランド銀行(BOE)、欧州中央銀行(ECB)も世界中が量的緩和を進め、リーマン・ショック対応に追われました。
そして更に、2010年のギリシャ・ショック発生、将に”泣き面に蜂”とはこのことです。ユーロ圏ではECBの証券買い取りが始り、量的緩和が進みました。
日銀は包括緩和と称し、実質的なゼロ金融緩和政策のほかに、国債、社債、ETF、J-Reit まで、ありとあらゆる金融資産を買い取ることになりました。国債の買取額は70兆円に及びました。
この時代の日銀総裁は「悲劇の総裁」でした。おまけに退陣のとき2人の副総裁の退任時期と合せ、半月ほど前倒し退任となったのです。
民主党・野田政権から自民党・安倍政権に代わった途端、日銀の政策も大転換。黒田総裁の持論か、アベノミクスとの協調でしょうか、形振り構わず、異次元緩和政策に突入しています。
2014年10月には、ETF(上場信託投信)を年間約3兆円、J-Reitを約900億円とこれまでの3倍増のペースで買うとしてます
つまり、国債も株も日銀が買い支えている状況なのです。
日銀の役割は物価の番人でした。でも今は国債価格と株価の番人になってしまいました。
万が一、国債が暴落することがあれば、どうなるでしょうか。今まででしたら、民間金融機関が巨額の含み損を抱えてしまって、危機に陥ります。ただ、そこで最後の貸し手である日銀が民間金融機関を支えることが出来たのです。しかし、
今は、最大の国債保有者は日銀ですから、暴落すれば日銀が危機に陥ります。当然、そこまで状況が悪化すれば、民間金融機関も危機的状況に直面しますが、日銀は最後の貸し手という役割を放棄せざるを得ません。日本の金融は大混乱に陥ります。
今や、日銀は国債全体の三分の一近くを保有するまでになってます。仮に年間80兆円の買い入れを、このまま続ければ、2017年末には保有残高は447兆円となり、総額の半分近くにまで拡大するとの試算もあります。マネタイゼーシオン(monetization)、通貨増発の時代を突き進んでいます。
現在の政権と日銀は、一体的な政策にあり、日銀の独立性の議論はなくなり、日銀が冷静さを失い、政府を代行する機関になっているとしたら、大変な禍根を残すことになります。
今の日銀のマネタイゼーシオン(monetization)、通貨増発は、物価目標達成のためではなく、財政ファイナンスそのものです。
『日銀の異次元緩和はまさに「とおりゃんせ」状態であり、入るのは容易でも、出るのは困難である。(出口戦略に)20年超という期間も、あくまで楽観的に見てということになるのではなかろうか。』との声もあります。
日本国債の格付けは、今でもシングルAプラスで決して高いものではありません。
この格付が急落したらどうなるでしょう?日銀が買い入れた国債の引受け手はもう何処にもいません。
世界第三位の日本経済は、国際通貨基金(IMF)にも頼れません。
世界は、これまで経験したことがない未曾有の危機を迎えることになってしまいます。