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講習会に参加して自信をなくす

我ながらスナップ写真がヘタであります。どう撮って良いものやら分からなくなって、お金を払って講習会に参加してみた。

LUMIX「銀座で撮影!単焦点レンズで撮る街角スナップ」講師コムロ ミホ に参加したのであります。

座学は1時間ばかりで、後は銀座に繰り出し街角スナップ撮影に興じ、最後にLBT(LUMIX BASE TOKYO)会場に戻り一人一点のスナップ写真を披露して、講師から講評をいただく。

参加した皆さん大したもんで、中々のスナップ写真を撮られていました。

私は写真を披露するつもりはなかったのですが、指名をされて出したのがこれ(右の写真)です。

恥ずかしいから拡大できないようにヒッソリと載せます。

なんとも不評で、これ何?って言われても「銀座だよ」としか説明できません。?説明にならない。

講習会に参加して、すっかり自信をなくしてしまった。

才能がないのでしょう。友人も酷評しきりで、落ち込むばかりであります。どうも芸術性も才能もないのでしょう。

だが、才能無くても好きで撮ってりゃ誰にも迷惑かけないんだから良いや。

芸術性の無い自分が云うのも何だが、そもそも日本の街がキレイじゃないんだ。日本の悲しい景観破壊にも書いたが、こんな芸術性のない街に暮らしているから、センスがなくなるのだろう。

でも、芸術性のないままに、暫く写真家気取りで撮りまくろうと思っています。少々やけくそになってますが、講習会のときに、銀座で撮った写真を載せておきます。

外苑前のLumixのLBT会場を出たら、もう日が沈んでいた。

 

おばけ バケ、バケちゃま♪

初めてレスパイト入院した病院で「おばけが出た」とオフクロが言った。病院にうわさが立ってはいけないと内緒にしていた。

その病院には本院と分院が2つあって、2回目のレスパイト入院では、別の分院に入るようお願いした。そして今度は、おばけと立ち向かえるように、お守り御本尊を携帯して入院した。

内緒にしていた筈のおばけ話は、何のことはないもう病院中に広まっていた。病院のソシアルワーカーも看護師も知っていた。

果たして2回目のレスパイト入院でおばけちゃまが出たのか?
やはり別のおばけちゃまが出た。でも今回は撃退したそうです。

孫のおばけちゃまのお歌のようなら、おばけは怖くないんだけど‥ね。

2回目のレスパイト入院から帰ったオフクロは、入院前より元気になって帰ってきた。入院中食事も完食していたらしい。

オフクロの主治医は「おばけと仲良くなり、とても元気になって帰ってらっしゃいました。」との診療レポでした。

 

有明海の「シギチの聖地」

レスパイト旅行で、有明海の荒尾干潟、東よか干潟(大授搦だいじゅがらみ)に行ってきました。シギチ(シギとチドリ)の2大聖地と言われているほど有名で、一度は行ってみたかったところです。

特に、荒尾干潟はNHKの「さわやか自然百景」(2021/2月)に、単一の干潟としては国内最大級の面積を誇る渡り鳥の楽園として、紹介されました。毎年およそ3000羽のシギやチドリの仲間が冬を越すために集まる人気スポットなのです。

シギチを見るには夏羽の方が初心者には分かりやすのですが、この時期(10月初旬)は夏羽がほぼ冬羽に切り替わる時期で、識別が難しくなる季節になります。

観察の面白さ、奥行きの深さはシギチは別格。私のような素人には難しかったのですが、東よか干潟でみたハマシギ、オバシギの飛翔は圧巻で感動しました。シギチに嵌りそう!

ダイナミックなシギの飛翔を見ているだけで大満足でした。
こんな風景に出会えるとは思ってなかっただけに、まるで生き物のように飛び回るシギの大群の飛翔写真を撮りまくってました。

最初オバシギだと思ったのですが、写真を専門家に見てもらったら、以下のコメントを頂きました。ハマシギだったんですね。

オバシギは飛翔時に腰が白く見えますが、ハマシギは腰の中央に黒線が入り、両脇が白くなります。また、腹部の黒斑は幼羽か夏羽から換羽中のものと思われ、お写真はハマシギだと思います。

干潮になってしまうと、シギチは採餌のため遠く離れた干潟へ行ってしまいます。だから満潮時前後の1,2時間が見どころです。

10月6日の日の出はam 6:14、満潮はam 8:51、これに合わせて満潮1時間前後から観察するように計画しました。

以下は、前日(10月5日)に観察されたシギチドリで、21種だったと報告されていました。(東よか干潟 情報より)

*アオアシシギ*アカアシシギ(3羽)*ウズラシギ(2羽)  *オオソリハシシギ(10羽)*オオハシシギ(2羽)*オグロシギ(21羽)*オバシギ(322羽)*キリアイ(10羽)    *コアオアシシギ*コオバシギ(6羽)*シロチドリ(54羽)  *ソリハシシギ(1羽)*ダイシャクシギ(23羽)*ダイゼン  *チュウシャクシギ(1羽)*トウネン*ハマシギ*ホウロクシギ(20羽)*ミヤコドリ(1羽)*ムナグロ*メダイチドリ

シギチの種も多いことながら、これを夏羽・冬羽、更には幼鳥など見分けるには相当なキャリアを積まないとできません。

まだまだシギチに関して素人で、大群で来ていたハマシギ、オバシギ、ダイゼン、それに嘴が特徴的なオオソリハシシギくらいしか識別できませんでした。

さて2大聖地の一方の荒尾干潟にも、満潮時に合わせて行ってみたのですが、シギチは全く観察できませんでした。

地元の方にお話を聞くことが出来ました。

時期としては、シギチが少ない頃だそうです。荒尾干潟はアサリの宝庫で、昔から稚貝をかなくてもアサリは豊漁だったそうです。しかし、諫早干拓が出来て、以降不漁が続き昨年はアサリ漁ゼロとなったそうです。更に今年も大雨のせいで2年連続アサリ漁ゼロとなった。

荒尾干潟のダメージは、シギチにも影響が出ているのでしょうか心配になりました。ラムサール条約の登録が取り下げにならなけれが良いのですが…、自然環境のバランスは微妙です。来年はアサリ漁が元に戻るといいのですが…と願うばかりです。

シギチには会うことが出来ませんでしたが、アオバトに会うことが出来ました。ラッキーにも遠くからですが写真が撮れました。

荒尾干潟で思わぬ贈り物(アオバト)を頂き、大満足でした。

実は双眼鏡でアオバトを確認できたとき思わず走り出してしまい、アオバトを驚かせ逃がしてしまったのです。(;´д`)トホホ…

 

レスパイト旅行(第2弾)九州の旅

レスパイトrespiteとは一時中断とか一時休息といった意味で、介護者の一時休息のために、レスパイト入院があります。オフクロがこのレスパイト入院中、今回は九州に旅行しました。行き先は福岡の大牟田、長崎の島原、雲仙、佐賀の有明海をぐるりとひと回り。

実を言うと40年来の親友HGを訪ね、ゆっくり積もる話をするためで遠慮なくHG宅に泊めてもらい、遠慮なく酒も頂きました。
九州交流、旧交を愉しむ」から6年目、今回もHGさんとその家族にすっかりお世話になってしまいました。m(_ _)m

有明海の夕日

着いた日は快晴で、有明海の夕日を見に連れて行ってもらったり、シギやチドリを見に早朝未明に荒尾干潟へ連れてってもらったり、その上、有明フェリーで島原、雲仙まで突き合わせてしまった。

そして最後に東よか干潟までお付き合い頂き、シギチ観察に心残すこと無く見させて頂きました。

シギチなどに興味ない人には、申し訳ないと思いながら、大満足の九州旅行でした。

HGさんとは創価学会男子部の頃、一緒の戦った同志です。旧交を温め40年、気兼ねや遠慮など全く無いお付き合いで、今も変わりません。

亡くなった妻のこともよく知ってくれていて、同じ学会員でこんな長いお付き合いになるなんて本当にありがたいことです。

有明海の対岸は長崎 島原・雲仙です。夕日が沈み光景は荘厳です。

旅行中、晴天が続き、島原からも旭日を見ることが出来ました。

ブルーアワーとサンライズとの中間の時間の朝焼けは格別です。

島原の朝
朝日が昇る前、有明の静かな夜明けは神秘的です。
島原のホテルから旭日を望む。

大牟田から普賢岳の噴火を眺めたのは30年も以前だったろうか?

普賢岳の普賢は、法華経最後の第28品菩薩勧発品に由来します。
普賢岳が噴火した年(1991年)、創価学会は宗門から11月28日付けで破門通告書を受けた。学会の「魂の独立記念日」となった。

普賢岳の噴火で出来た平成新山は右奥の尖った山です。(島原城天守から望む)

1990年11月の噴火から1996年6月の収束宣言まで、6年続いた普賢岳の噴火の歴史遺構を伝承するために、雲仙岳災害記念館として「がまだすドーム」が建てられています。
がまだすとは、島原で「精を出す、頑張る」ことだそうですが、九州の他の地域でも「がまだす」は同じ意味で使われています。

  • 熊本では「いっちょがまだそーかね」
  • 福岡では「がまだしよんなはっですかー」

さてさて、人生100年まだまだこれからであります。
がまだそーかね」と思いながら、良い旅行であったと締め括りたいと思います。HGさんとご家族に感謝して‥

 

老後は好奇心Curiosity創造力Creativity楽観主義Optimisum

老後は好奇心Curiosity創造力Creativity楽観主義Optimisumで行こう。この3つのキーワードが大切です。

先ずは、好奇心(Curiosity)を持つことであります。これがなくなるとイッキョに老けてしまいます。
次に、創造力(Creativity)を絶やさないことであります。これを怠ると生きがいが無くなってしまいます。
最後に、楽観主義(Optimisum)で行くことです。楽観的な気質を獲得する絶好の機会が老後であります。人生の極意であります。

楽観主義と悲観主義者
(ウラジミール・マコフスキー)

老後になって、何か変わる?じつは何も変わりません。

好奇心だって旺盛だし、学ぶ姿勢だって変わりません。

料理に工夫を凝らしたり、絵画を書いたり、何でも創ることは大切です。

体力相応に適正化(Optimization)する必要があるので、少し楽をしながら、楽観的(Optimistic)な暮らし方を楽しみます。つまりさまざまな制約やしがらみから脱し、より自由になることです。自由な老年的愉悦だと楽しんでいくのが楽観主義です。

若い人よりたくさん旅行をしてきたし、大勢の人にあってきました。苦しいときも楽しいときも経験してきました。何に価値があって、何が価値がなかったも分かるようになってきました。

聖教新聞に連載されている「ブラボーわが人生」。これこそ楽観主義そのものでしょう。
いい企画です。読者も多いことと思います。
今は単行本になっています。

人生終盤となって語る体験には重みがあります。これまでどの様に生きたか問われます。

これまでの生き方に自信が持てれば、人生は楽しい。楽観主義を貫いてゆけます。宗教をバカにする人には解らないことです。

有明海の夕日

話を戻しましょう。

老後は好奇心Curiosity創造力Creativity楽観主義Optimisumで行こう。これが私の主張です。

この人生を黄金の落日のように飾ることを目指して。