厚田村にて

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

厚田村の戸田記念墓苑に行ってきました。ここは学会最初の墓苑です。40年以前も昔のことですが、全国からこの墓苑に購入申込みがあったものです。

未だ、一度も厚田に来たことはありませんでした。「北海凍る…」とはどんなところか? 以前より一度来たかった所です。

池田先生が初めて厚田村を訪れた後、その時の思いをうたにしました。それが「厚田村」です。

歌碑「厚田村」

若い時この詩をよく歌ったものです。この詩は青春の思い出での一つなのです。

厚田記念墓苑の中心に戸田記念広場があります。

その広場の奥に戸田先生の立像があります。立像の左に「同志の歌」、右に「厚田村」の歌碑が設置されています。

戸田先生の立像は遠くインドの方角を望む姿で建てられています。

池田先生が初めて戸田先生と共に、厚田に訪問したのは、S29年8月です。その頃は、どんな時代だったのでしょう。

S25年、戸田先生は自身の事業が破綻し、それが創価学会に及ぶのを憂慮し、理事長の職を辞任します。
翌S26年春、やっと事業の整理がつき会長就任を決意します。

この立像の左側に、戸田先生の歌が刻まれています。


色はせ、力は抜けし我が王者
死すとも残すは君がかんむり

この歌が、師弟の原点であったように思えます。歴史を作る原点となりました。

インド・北海道「仏法西還の木」

そして、今年2018年5月28日 インドのメンバーが本幹終了後この戸田記念墓苑を訪れ、桜の木を記念植樹しました。
インド・北海道「仏法西還の木」と命名されています。

ご存知の通り、札幌より北では不可能と言われた「ソメイヨシノ」を満開に咲かせた、桜守さくらもりの佐々木さん親子(忠・忠弘・忠法・聖子)の物語は、今も語り継がれています。

この戸田記念墓苑は全国の同志が集う墓苑です。

A区は東京/関東、B区は札幌/道内、C区は関西というように区域がまとまっているそうです。
メモリアル(記念)を象徴する墓苑です。

現在7万基の墓石が整然と並んでいます。あたかも創価学会の歴史的建造物のように。

そして今も拡張が続いており、年3回墓所購入の機会があるということです。

最後に、わが青春の思い出「厚田村」の合唱をお聞きください。

 

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