150年を迎える北海道

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北海道と命名されて150年を迎えるそうです。明治2年(1869)
8月15日の太政官布告で、蝦夷地を北海道とするとされました。この北海道の名付け親が松浦武四郎ということだそうですが…

松浦は音威子府おといねっぷで、アイヌの総長アエトモから「アイヌは自分の国のことをカイ(加伊)と呼ぶ」と教えられたことをもとに後年、彼は「蝦夷地」を「北カイ(加伊)道」と呼ぶよう提案しました。
明治2年(1869)と言えば、まだ明治政府は混乱期にありました。旧幕府軍の榎本武揚が函館で蝦夷共和国を建て(1867年)、五稜郭の陥落(1869年5月)で戊辰ぼしん戦争は終結、その頃のことです。

北海道の姉妹州は、米マサチューセッツ州です。マサチューセッツ北海道協会というのがあって「北海道及び11 カ 国86郡の名付け親 松浦武四郎の生涯」といった論稿を出しています。今では、海外にも知られた北海道命名の親、松浦武四郎です。

畿内 東海道 東山道 北陸道 山陰道 山陽道 南海道

西海道、ここには北海道がありません。

正式に北海道と名付けたのは、明治政府ですが、これが振るってるのです。

律令制の五畿七道の七道に倣い、北海道を加えのです。

東海道、西海道、南海道まであったのに北海道がなかった。北加伊道ほっかいどうではなく北海道としたことで、松浦の本意でないにせよ、東西南北が全部そろったという訳です。当時の明治政府の高官は味なことをやったものです。

良くまとまった松浦武四郎の紹介記事がありましたので、抜粋を掲載しておきます。興味ある人は読んでください。

北海道地 図の変遷-江戸初期から明治初年まで-

高木崇世芝提供

松浦武四郎は「東西蝦夷山川地理取調図」を生み出した。

そして「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌」「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」「近世蝦夷人物誌」など、松浦武四郎は単なる冒険家ではなかったようです。
人道的な心根を持ってアイヌと接したようで、寒い北海道を徹底的に粘り強く現地調査した人は、松浦を除いて他にはないでしょう。

今年(2017)のニュース(1/17)で北海道150周年記年の行事が企画されていることを知りました。

1/20に、北海道150周年記念事業のロゴマークも決まり、来年2018年に向け、北海道は熱も入ってきたようです。
どんなイベントになるのか楽しみです。

モリパパは、北海道が大好きな一人です。かつて上川支庁の全市町村を訪ね、土壌調査に一ヶ月も歩き回りました。
また冬のオホーツクの流氷を見に行ったのはS49年のこと。
また、新婚旅行は富良野でのスキーツアーでした。これは後に、女房のうらみを買いました。女房は海外旅行に行きたかったそうです。

できれば北海道に住みたいと思ってるくらいなのです。小椋桂は「自分の夢は人に語ることによって実現する」なんて言ってるそうですが、実現できるかな?その日を楽しみに北海道研究です。

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