札幌誕生を読んで

首府の場所を風水や地相で選ばれ、札幌が首府となったのであれば、これ以上問題にすることはない。
札幌と決まったのちのことが「札幌誕生」である。政府が札幌をどうしたか?政治的又は軍事的に投下した意気込み見てみたい。

そう、首府をどこに置くかではなくて、首府を置いたところから都市の誕生の歴史が刻まれることになる。
札幌の地に置くと決めてからの人々の努力や歴史を観ることが重要だ。動かすことのできない地である「札幌」に人々がどのように関わり、歴史を刻んだか?ということが重要です。

有名な都市には必ず有名な川がある。ロンドンにはテームズ川、パリにセーヌ川、ワシントンにポトマック川、そして東京に隅田川がある。隅田川といってもあれは利根川水系の一つである。

札幌の中央に豊平川がある。これは石狩川水系である。この石狩川ほど蛇行が著しい川は他にない。東京の利根川でもこれほど蛇行していないし、石狩川ほどの後背湿地を持たない。

札幌も石狩川水系の豊平川を利用したし、石狩川水系の治水にも苦労した。それは札幌の歴史を語る上で見逃せない点だ。そう、東京が利根川とその水系の隅田川を利用し、治水に手を焼いたに等しいし、利根川水系の治水に成功し墨田川を利用した。

長沼町のハイジの丘上部から、石狩平野を望む。実に平坦な地に石狩川は蛇行する。

石狩川水系を俯瞰ふかんできるところが何箇所かある。しかし余りにも広大で蛇行は見られない。石狩川の偉大さを感じるのみである。蛇行の石狩川の治水は泥湿地と氾濫原はんらんげんの制御です。これを制御しなければ都市/札幌は成り立たない。

この石狩川の蛇行をおさめることを使命とした者がいた。治水の方向づけをしたのは、岡崎文吉おかざき ぶんきちと言うことになる。講演会で門井氏は次のように言っていた。

第5章でようやく石狩川を書きました。岡崎文吉はショートカット工事を主導した技術者ですが、当初はショートカット論者ではなく、自然の河道を生かし、洪水が起きやすい所を緩やかな放水路や護岸で防ごうと考えた人です。ただし、国には石狩川につぎ込む予算がなく、工事は進まず、土地の人は度重なる洪水には悩まされる。
 そんな時に第1次世界大戦があり、日本に空前の好景気が訪れます。戦場は主に遠い欧州で、武器も弾薬も船も缶詰も何でも売れた。国の税収は激増し、桁の違う予算がつき、「よし、石狩川だ」と大きな工事に着手した。その後、最終的に岡崎もショートカットに賛成し、現在の石狩川になりました。
 岡崎の石狩川をなるべく自然のままにしようか、それとも工事で真っすぐにしようかという話は、さかのぼれば島判官が札幌で最初のひとくわを打ち下ろした時からの宿命でした。自然を優先するのか、人工的なものを優先するのかという命題は国内外どこでもある話ですが、最初から人工的に作られた札幌にとっては厳しいテーマで、本州の人よりも悩むことが多かった。
 その代表として最後に岡崎文吉を書いたわけですが、それは最初の島義勇にも通じる。ひょっとしたら土木以外では内村鑑三の信仰、バチラー八重子の言語、有島武郎の土地所有が、同じような主題だったのでは。そういう点でも勉強になりましたし、本当に書いてよかったと、連載を終えて思っています。

札幌誕生の最初は島義勇で始まり、岡崎文吉で締めくくられた。
途中、内村鑑三、バチラー八重子、有島武郎は付け足しで、作者の道草みちくさです。この部分が「札幌誕生」に味を添えている。

「札幌誕生」は歴史遺産を語ったものです。その後の政治・経済さらに人々の暮らしの中に、もう一段深く入り込んで歴史を語って貰いたかった。そこに無名な人々が歴史をつづる札幌誕生があるはずだ。

それには北海道/札幌に住む者でなければ書けないかもしれない。門井氏は道民ではないし北海道出身でもないから、この点で仕方ないのかもしれない。

札幌誕生の歴史をひもとくには道民の作家か、北海道出身の作家でしか為せないと思う。

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