旧島松駅逓

恵庭市の北端、北広島市の南端に旧島松駅逓きゅうしままつえきていがあります。
ここが、久蔵とクラーク邂逅の地、島松駅逓です。札幌農学校一期生に「少年よ大志をいだけ」と言った送別の地であります。北海道に来る観光客は大概 羊ケ丘のクラーク像を見ますが、ここ旧島松駅逓に来る観光客は以外に少ないようです。

2024年7月16日から暫く改修工事に入り再開は2026年春になるようで暫く見学できません。そこで休館する前に再訪してみた。
(現在の旧島松駅逓はM14年の平面図をもとに、S59年に完成したもの)

明治9年9月に開拓使より駅逓を拝受していた

旧島松駅逓は、中山久蔵翁の「北海道米のふるさと」としての紹介されてます。

クラーク博士が離任最後に挨拶したとされる時期(明治10年1877年)には、中山久蔵翁は駅逓に在任していました。

久蔵とクラーク邂逅の地、島松駅逓にも書いた通り、クラーク博士の残した言葉が如何なるものか?議論は多かった。しかし以下のような言説がもっともらしいと思っています。

“Boys, be ambitious like this old man”
“ Boys, be ambitious in Christ (God) ”諸説ありますが、
“ Boys, be ambitious for what a man ought to be. Gentlemen, good-bye. ” というのが一番穿うがっています。
即ち「人間として役に立つ仕事をするために、人間というものは野心的であらねばならぬ」です。(知的野蛮人のすすめ 岡野加穂留著 P6)

真実は確かではない。しかし札幌農学校の二期生となった内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾、岡崎文吉など錚々たるメンバーによって、クラーク博士の言葉を箴言たらしめたのだと思います。

駅逓所とは人馬を備えて、宿泊・運送の便をはかるために設けられたものです。嘗て北海道に600以上の駅逓があったそうです。
昭和22年に駅逓制度が廃止されて、現在は殆ど残っていません。

さて、中山久蔵翁に話を戻しましょう。中山久蔵は”稲づくりの久蔵”として、北海道の米作に寄与したことは勿論、勤勉実直の人格だったようです。

開拓使 松本十郎の「中山老翁81有一寿序」明治41年

同時代の開拓使 松本十郎は中山久蔵翁を「中山老翁八十有一寿序」で富・貴・寿の三者集まる者として褒め契ほめちぎってます。

91才で没するまで慕われたようです。

 

 

後に正式に島松駅逓取扱に任命され、更に明治14年明治天皇の北海道巡幸に際して御昼幸在所に当てられる栄誉に浴しました。

再来年(2026年)の春になればまた見ることが出来ます。旧島松駅逓の佇まいは、明治期の様子を観ることが出来ます。

恵庭市民の一人として、旧島松駅逓を観光スポットにして欲しいと思っています。

 

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