日高、襟裳岬への旅

初めて襟裳岬えりもみさきへ1泊2日で行ってきた。地元恵庭から襟裳岬へは日高地方を南下し、約200Km、自動車で4時間の遠距離です。

途中 鵡川むかわまでは水田が広がる平坦な平野ですが、日高町から丘陵地帯になり景色は一変します。

北から、日高町~新冠にいかっぷ町~新ひだか町~浦河町~様似さまに町~えりも町と続き、最後えりも町の南の端が襟裳えりも岬となり、終点になります。

鉄道の日高本線は2021年4月に廃線となり、現在は苫小牧~鵡川までの30Kmだけです。

襟裳へ行くには自動車しかありません。苫小牧ひがしICから日高厚賀あつがICまで日高自動車道があり、ほとんど1車線で無料高速です。まだ延伸されるようです。(今年2025年に新冠にいかっぷICまで開通の予定)

日高ひだか

日高町に入ると牧場が目につきます。そう日高~新冠にいかっぷ~新ひだか町~浦河うらかわは、サラブレッドの産地です。牧場はきれいに整備され、サラブレッド競走馬の牧場が点在します。

名馬ディープインパクトのような名馬ともなると、数千万円もします。競走馬は生きてる資産だから、安易に近寄って馬を脅かすことがないよう気を配る必要があるのです。牧場見学ガイドに沿って、ルールを守って見学しなければなりません。

新冠にいかっぷ

競馬馬の牧場は日高町~新冠にいかっぷ町~新ひだか町~浦河町へと日高サラブレッドロードが続きます。

立ち寄った道の駅 サラブレッドロード新冠は馬の塔が目印です。
塔の下にあの名馬ハイセイコーの像が飾ってありました。
ハイセイコーは新冠町高江の武田牧場で誕生した名馬です。1970.3~2000.5 父チャイナロック、母ハイユウと記されてました。

2001年に建てられたハイセイコウの像

ここ新冠では他にもオグリキャップが生まれています。

先日、ノーザンホースパークを見学して以来 競馬の馬に関心持ってしまったが、ここ新冠はサラブレッド銀座です。

優駿メモリアルパーク、ホロシリ乗馬クラブ、静内場外馬券場などサラブレッド産地の中心地です。

道の駅にワインセラーがあったので、のぞいてみてビックリした。なんとシャトウ・マルゴーが入っていた。だれが何十万のするこんなワインを買うんだろう? 道の駅で在庫として抱える商品ではないシャトウ・マルゴーだ。

新冠の街並みも何処か違う。駿馬しゅんめが育つ新冠ってどんな処?と思った。競馬の世界を知らない者にとって、とんでもない場違いな世界を見たような気がした。
こりゃ競走馬のふるさと案内を見て少し勉強してからでないと、わからないわ!と思った。

新ひだか町

新冠の南隣は新ひだか町で競走馬のふるさと日高が続きます。新ひだか町は2006年に静内町と三石町が合併して誕生しました。

道内随一と言われる桜並木

静内は桜並木で有名です。桜の時期は4月下旬ですから桜の時期でなかったので立ち寄らなかったが、桜の時期は大変な渋滞になるようです。

観光ツアーで行くしかないようですが、いつかは見てみたい。

さて三石の道の駅みついしに立ち寄ってみた。きれいなバンガローやみついし昆布温泉蔵三があった。夏に大勢でバーベキューをやったり温泉はいったりして、バンガローに泊まるのもいいかも

ここまで来ると昆布を干している光景を見ることができた。日高昆布である。

水揚げした昆布は、この様に「干場」に並べられ天日干しされるそうです。

日高の庶民的な生活風景をここで見て何故かホッとした。新冠の道の駅で見たシャトー・マルゴー昆布干しに落差にを感じた。日高の風景は単一じゃない。

浦河町

新ひだか町の南隣は浦河町になります。ここもサラブレッドロードが続きます。

浦河優駿ビレッジAERUに泊まった。

桜の時期ならサラブレッドと桜並木が楽しめそうです。

乗馬と桜かな?

英傑シャクシャイン像

シャクシャイン記念館に立ち寄りました。(当日記念館は閉店だったが)

シャクシャインの戦いは、1669年(寛文9年)にアイヌ民族が松前藩に対して蜂起した事件です。
アイヌの首長シャクシャインの呼びかけで、アイヌ2部族が団結して松前藩と戦った歴史であります。

英傑シャクシャインは “和睦の酒宴”の席で殺害されてしまった。

この丘から眼下に浦河の街が見下ろせます。和人を見下ろすように

様似さまに

浦河の次は様似町です。むかしの様似に興味がそそり「様似郷土館」に立ち寄った。江戸時代の様似を知ることができた。

「東蝦夷図巻 乾」北海道大学附属図書館北方資料室蔵(様似郷土館特別展のパンフレット「様似有情」から転載

江戸時代、様似は東廻海運である松前~厚岸の中間点だった。”動く商社”北前船の寄港地だった。豪商高田屋嘉兵衛と幕臣近藤重蔵は様似で落ち合い国後択捉の調査へ出かけたと伝えられている。

エンルム岬

昔、エンルム岬の存在が、様似を日高沿岸の良港にさせた。

急勾配の坂を自動車で登りエンルム岬の中腹まで行った。

エンルム岬の中腹に「火星より遠いアポイのかんらん岩peridotite at Mt.apoi – a mountain even more mysterius than Mars」と書かれたかんらん岩の宣伝catch copyがあった。アポイ岳まではまだ先が遠いのにと驚いた。

以前から行ってみたかった「アポイ岳」である。

アポイジオパーク

先ずは勉強のため、アポイジオパークへ車を走らせた。

ジオパークで「かんらん岩が腐って蛇紋岩になった」との解説catch copyがあった。
これは受ける表現だ。ここのジオパークは勉強になった。

頂きに残雪が残るアポイ岳

肝心のアポイ岳は、アポイ山荘から眺めることができた。

アポイ山荘に泊まって、アポイ岳810mに登ってみたいと思うが、体力的にかなわぬ夢と諦めた。

えりも町

最後に 森進一の歌で有名になった襟裳岬をめざした。襟裳岬の先端にある「風の館」から岬の先端が見える。

岬の先端は岩礁が続いている。むかし北前船は座礁しないように岩礁が連なる相当先まで、岬を迂回したそうです。海も厳しい。
襟裳岬の風雪も厳しい。気候も厳しい。先端はすべてが厳しい。

歌にある通り「♪襟裳の春は 何もない春です~」でした。

 

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