冊子『広布最前線の輝き』の「発刊によせて」に思う

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ブロック長・白ゆり長の指導集、冊子『広布最前線の輝き』の池田先生の「発刊によせて」が今日(8/5)の聖教新聞に掲載されました。
冊子本体は、まだ読めないが、「発刊によせて」を読むと学会とは何か明快な回答を得たような気がします。

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学会は権力構造ではない。権威はない。ましてお金で左右されるものは何一つない、誠に不思議な組織であります。

「発刊によせて」は先ず、人生の目的を明確に宣言することから始まっています。この命題は誰にとっても人生の根本中の根本です。

我が師・戸田城聖先生は言われました。
「我々は何のために生まれてきたのかー。それは、法華経に『衆生所遊楽(衆生が遊楽する所)』とあるように、遊びに来たのである。だから、人生を楽しまなければ、つまらないではないか。ご本尊を信じきった時に、生きている事自体が楽しい、何をやっても楽しいという人生になるのである」と。

そして、遊楽の本質とは何であるか、歓喜とは何かを明快にされています。

自行化他の題目こそ、「歓喜の中の大歓喜」の生命のエンジンです。たゆまず広布に励む実践の中で、自らの悩みを乗り越えながら、何ものにも崩れぬ絶対的な幸福境涯を大きく開いていくことができるのです。

大歓喜と言うと、有頂天の時のような歓喜を思い浮かべてしまいますが、どうも大歓喜の「大」は境涯の大きさを云っているような気がします。
人生の酸いも甘いも知り抜いた中で、しみじみと味わう歓喜です。
「これこそ正しい」と胸を張って、励まし励まされながらの偉大な使命感を伴った感情を、大歓喜というように思います。

自分の生き方のはるか地平線の向こうに、文化・教育・平和を見つめながら、近くの隣人を励まし励まされながら生きる事こそ、歓喜のなかの大歓喜ということになるのでしょうか。
そう考えると、生も歓喜、死も歓喜が少し解りかけてきます。

ブロック長白ゆり長に贈る(全文)

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