サラリーマン定年後の悲劇

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渡辺淳一 インタビュー ~「中央公論」 2010年12月号掲載~ ……を読んでどう思うか? 定年後の人生を迎えた諸氏に送りたい。(長文)


サラリーマン定年後の悲劇は「男」という性の宿命である サラリーマンの隠れた悲劇性 ─新作『孤舟』では、定年退職後の、厳しく、寂しい初老男性の生きざまが非常に鮮明に描写されていますね。

渡辺 今度の作品は、いわゆる男女の関わりや恋愛ではなく、「定年を迎えた男を待ち受けている老後の大問題」を主なテーマに据えました。
サラリーマンの男は六十歳になると、突然、「定年」を突きつけられます。つまり会社から「明日からは来なくていい」と言われるわけですが、それが一体何を意味しているのか。このことについて一人でも多くの人に真剣に考えてほしかった。もちろん「妻とのすれ違い」や「デートクラブを通じて出合う若い女性との淡い恋愛」といった内容もストーリーに盛り込んではあります。しかしそれだけではなく、もっと広く社会小説のつもりで書きました。

─『孤舟』というタイトルがとても印象的ですが、定年後の男性は、まさに「孤独」と向き合うことを余儀なくされているわけですね。
渡辺 一見すると、サラリーマンというのは、大都会にある洒落たビルで仕事をしている「近代産業時代のエリート」であるかのように見えます。実際、戦後まもなくの頃は、「あこがれの職業」でもありました。

─確かに、収入も安定していて、大企業ともなれば、福利厚生や企業年金などさまざまな保障が付きますしね。高度成長期には「サラリーマンは気楽な稼業」とも言われていました。
渡辺 しかし実態はそんな単純なものではありませんでした。サラリーマンという職種には、しかるべき年齢に一方的に職を追われるという恐ろしい悲劇性が隠されていたのです。  サラリーマンという職種が日本で確立したのは戦後のことです。まだ五、六〇年しか経っていません。それまでは、ほとんどの男は一次産業に携わっていました。農業や林業、漁業を営んだり、あるいは大工になったりして。これらの職業では、腕さえ良ければ、歳を取っても「ベテラン」として周囲から重宝されます。もちろん定年もありません。でもサラリーマンは違いました。サラリーマンは学校を卒業してから数十年間、つまり生涯を通じて一つの仕事に取り組んだとしても、それはあくまで「会社のための仕事」をしてきたのであって、「自分のための仕事」をしていない。だからベテランになれないのです。
さらに六十歳になれば、どれほど優秀な技能を持っていようとも、全員横並びでスパッと首を切られてしまう。そして会社から追い出された後には、限りない「孤独」が待ち受けている……。  日々のテレビニュースや新聞そして雑誌では、政治や経済についてさまざまな問題が取り沙汰されています。しかし、僕が考えるに、今の日本の最大の問題は、「都市生活者の大多数がサラリーマンである」ということです。でもこのことについては、今まで誰も問題にしてこなかったし、もちろん小説にも書いてこなかった。今度の小説では、まさにこの問題点を問い詰めているので、ぜひとも社会問題に関心の高い『中央公論』の読者にも読んでほしいと思います。 行くべきところがないからトラブルが起きる

─渡辺先生がこの問題に注目し始めたのは、いつ頃からですか。
渡辺 最近のことですよ。僕がなぜこの小説を書けたかというと、それは歳を取ったからです。若い頃にはこうした問題があるとは気が付きもしなかったし、たとえ気が付いていたとしても、リアリティをもって小説として描くことはできなかったでしょう。  七十代半ばになってふと気が付くと、僕の周囲には、定年退職をしてすることがなくなり、むなしい思いをしている人々があふれていました。そのなかでかつて編集者をしていた人はこう言います。「先生、月に一〇万円の給料でいいから働く場所がほしいんです。朝になって目が覚めたら、出かけることのできる勤め先がほしい」と。もちろんこれは編集者に限った話ではありません。あらゆる企業のサラリーマンが定年後には同じような境遇に置かれているのです。   
定年退職した直後は、「さあこれからは自分の好きなことでもして毎日をゆっくり過ごそう」と考えます。でもいざ、そうした生活を始めてみると、何もやることがない。忙しいなかであれほどやりたかったゴルフも碁もまったくやる気になれない。心のなかには、限りないむなしさが広がるばかり。  これは若い人にとっては切実な問題ではないかもしれません。しかし六十代にとっては致命的な問題です。「俺はまだまだいろいろなことができる」という湧き立つような思いはあるのに、やるべきことが何一つないというつらさ。  この作品の主人公である威一郎もそうですが、行くべきところがなくて朝から晩まで家にいるから、結果として妻との関係にトラブルが生じます。そしてそれが日常生活のあらゆるところに支障をきたすようになっていく。  この「行く場所がない」という問題について、今の日本政府はまったく対処を考えていませんが、これは大変な問題です。六十歳以上の男性は約一五〇〇万人もいます。その厖大な人数がサラリーマンという職種に就いていたがためにあふれているのです。そういう意味では、これは極めて社会的な問題とも言えるでしょう。たとえば、年金財政が厳しいという話をよく耳にしますが、もし彼らに何らかの仕事を与えることができれば、年金受給者を減らすだけではなくて、納税者を増やすことができ、一気に問題を解決できるわけですから。 男は群れることができない生き物

─女性は、カルチャーセンターに行けば共通の趣味友達ができたり、近所にはお茶友達がいたりして、いつも周りに友人がいます。そうして歳を取っても楽しく暮らしているように見えます。一方、男性に友人ができないのはなぜなのでしょうか。
渡辺 それは「男」という生き物の宿命だね。男は、同僚や取引先といった仕事に関係する人を除いて、ほとんど人間関係を持ちません。男というのは、群れることができない生き物なのです。  奥様族は、大勢の仲間たちと賑々しく旅行したりしますが、男はそれができない。時間もお金もあったとしても、定年後に友達と、「おい、京都にでも行こう」などと言うことはまずありません。結局、男という「オス」は、ほかのオスと戦って「メス」を勝ち取ろうと行動するようにできていますから、群れることがないのです。仕事以外で人とつながることに価値を見いだせない。だから、ちょっと碁を打ちたいと思って碁会所に行ってみたり、俳句を詠みたいと思って俳句の会に入ってみても、どこかしっくりこない。これは多分、生物学的な宿命といってもいいものだろうね。  とくにサラリーマンという職種の問題に限っても、男が孤独になるカラクリを説明することができます。サラリーマンが企業のなかで出世をするということは、友人を振り捨てることでもあるのです。もし同期で入社した仲間を親友とするならば、その親友を振り切ることが会社内での地位を上昇させることになるのです。だから五十歳にもなって社内に友人がたくさんいるような人は、出世していないということを意味します。そう考えていくと、会社のなかで一番孤独な人は、一番出世をした社長ということになる。つまり一番仕事に励んだ人が一番孤独になる。サラリーマンというのは、そういう過酷な宿命を背負った、ある意味で非常にシビアな職業でもあるわけで。 忙しくて病気になるのではない、むなしくて病気になるのです ─そしてその寂しさは誰からも共感されないものですね。 渡辺 そうです。六十歳で定年退職した男の本当の悲しみや、つらさというものは誰も分かってくれません。共感しあうような友人ができないことは、これまで説明してきましたが、だからと言って家族に期待しても、妻はお金を稼いでこなくなった夫に対して冷淡な態度を取ることはあっても、あたたかく理解してくれることはまずないでしょう。子どもにしたところで、年頃の息子も娘も自分の生活に忙しくて、父親の心情などに関心を持つことはまずありません。  とにかく朝起きて夜寝るまで何もやることがない。友達もいない。電話をかける相手もいない。これでは生きていることがむなしくて仕方がなくなる。それはある意味、死ぬほどつらいことですよ。実際そのつらさが病気の誘因になっています。男は忙しくて病気になるのではありません。むなしくて病気になるのです。

─高齢者のウツ病が増えていると聞きます。 渡辺 そうですね。そのウツ病は精神の病としてつらいだけでなく、ガンなど大きな病気の原因にもなるのです。  昔は、寿命が短くて、六十歳で退職したあと、それほど長生きしなかったから、むなしさを感じていたとしても、それほどの苦痛にはならなかった。しかし今は平均で八十歳まで生きるわけです。こうした孤独のなかで、定年後二〇年間、過ごさなければならない。

─うーん、厳しいですね。ただ、この『孤舟』という小説自体は、基本的にハッピーな方向に色付けされていたように思うのですが、それはあまりにも過酷な現実があるからということですか。 渡辺 いやいや、本作の主人公がこれからどうなるかは分かりません。小説としては、ある程度希望を持たせる形で終わっていますが、そのとおりゆくかどうか。この先どうなるかは分かりません。結局、妻と離婚してしまうかもしれませんし、習おうと決意したフランス料理もすぐに挫折してしまうかもしれない。

─なるほど。そうしたら依然として悲惨な状況は変わらないままということになりますね。
渡辺 結論はありません。分かっているのは、老後の生活が崩壊する危険性は常にあるということだけで。 自分から「変わる」しかない ─何か処方箋のようなものはないのでしょうか? 渡辺 実はこの本を出版して、まず読んで「非常に面白い」と言ってくれたのは奥様たちなのです。

─男性が主人公であり、男性の内面を中心に描いた小説なのに、女性から読まれはじめたのですか!?
渡辺 ええ。これは奥様たちから火がついて、男性も読み始めてくれた。妻からすると、うっとうしい夫の描写が真に迫っていると言ってくれて、それがまず彼女たちの興味を引くことができた原因かもしれません。「ああ、うちの夫と同じだ」と。夫婦問題についてはリアルに描きたかったのでかなりたくさんの取材をしました。  こうして奥様たちのあと、少しずつ男も手に取ってくれるようになったみたいで。男にとっては、自分の悲劇というか自分の隠しておきたい部分が書いてあるわけだから、面白がっては読むことはできないけれども、厳しい現実のなかでの「自分の生きざま」を考えるきっかけとして読んでくれているようです。  身も蓋もないことを言うようですが、人に対して前もって警告をしても、それは無意味です。いくら年長者が「気をつけなさい」と注意したとしても、その年齢にならないとその真意は絶対に分からない。ですから前もって事前に問題を回避することは難しい。  ただ、『孤舟』のような本を読んだことがあれば、いずれ実際にこうした問題と直面したときに、「そういえば、今の自分と似たような主人公がいたな」と思い出して、より柔軟な対処ができるかもしれない。プライドを捨てても何か仕事を見つけようとか、頑張って趣味の友達をつくるとか、妻に支配されないためにお金は自分で管理するとか。  今、団塊の世代が次々と定年退職を迎えて、厖大な数の「孤舟族」が増えている最中です。この作品を書くにあたって図書館へ取材に行ったのですが、何もすることがないのか、図書館で時間を潰している高齢男性が実に多かった。本のなかでも、主人公が幼稚園児から「おじさん、友達いる?」と尋ねられる場面がありますが、そんな「孤舟族」を一人でも減らすためには、高齢男性自身が、自分から「変わる」しかない。  それは非常に難しいことだと思いますが、サラリーマン社会というシステムが変わらない以上、何とか前向きに挑戦してほしいと思います。 (了)

注)「孤舟」集英社 東京 2010.9出版 のあらまし 大手広告代理店を定年退職した威一郎。バラ色の第2の人生のはずが、待っていたのは、夫婦関係と親子関係の危機。娘は独立し、妻も家を出て…。定年後の夫婦の形を問う、待望の最新長編。